バベルU 全地は同じ発音、同じ言葉であった。 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。 彼らは互いに言った、 「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。 こうして彼らは石の代わりに、れんがを得、しっくいの代わりに、アスファルトを得た。 彼らはまた言った、 「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。 そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔を見て、言われた、 「民は一つで、みな同じ言葉である。 彼らはすでにこの事をしはじめた。 彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。 主がそこで全地の言葉を乱されたからである。 主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。 <旧約聖書『創世記』第十一章> 全ての生き物が死に絶えた星で 今も生き続けてはいても 本当の空の青さも 太陽のぬくもりも 大地の感触も 何一つ知らない 神様 僕達は幸せですか 『次の地球の君達へ』No.003 西暦1998年、宇宙開発センターは画期的な計画を発表した。 その名も、『火星移住計画』。 だんだん深刻になる人口増加問題を解決するための計画だった。 火星にドーム型の都市を造り、好気植物を植え、酸素を作ることにより、人類の宇宙での生活を可能にするというものだった。 けれどこの計画の本当の目的は、地球を捨てることにあった。 地球は様々な問題を抱えていた。 環境汚染・温暖化・エネルギー資源の枯渇、数え上げたらきりが無い。 きっと近いうちに、地球は人類が住めない星になる。 宇宙開発センターは「人口増加問題を解決するため」としか言わなかったが、誰もが事実を知っていた。 当時5歳だった俺でさえも。 『空が落ちてくる』 そんな噂が流れ出したのは、俺が19歳になった春のことだった。 空が落ちてくる?馬鹿馬鹿しい。 俺はそう思ったが、その噂は凄い勢いで世界中に広まった。 同じ頃、宇宙開発センターは、「秋に移住を開始する」と発表した。 空が落ちてくる。もし本当なら、移住が始まるまでに落ちるだろうか。 そんな時、俺は奴に出会った。 (空が落ちる、か。今回は早かったわね。) 「・・・・・・誰かいるのか?」 突然聞こえた声に俺は周りを見回したが、誰の姿も見えなかった。 それなのに、声はやっぱり俺の耳に入ってくる。 (あなた、私の声が聞こえるの?) 「え・・・・・・?」 (やっぱり!じゃぁ、今回はあなたが選ばれたのね。) 「選ばれた・・・・・・?」 (そう、あなただけが、これから人類が絶滅する理由を知ることができるの。) 「人類が・・・・・・絶滅・・・・・・?」 (そうよ。きっと、そう遠くない未来にね。) 『空が落ちてくる』 一ヶ月が経った。 火星移住計画は最終チェック段階に入った。 一度に何千人もの人々を火星に運ぶスペースシャトルを飛ばすのは、かなり難しいらしい。 夏には何度かテスト飛行が行われ、秋に移住が始まる。 あと5ヶ月。 空はまだ落ちない。 「本当に空は落ちるのか?」 (ええ。私達のときは落ちたわよ。) 「何のために?」 (地球の復讐よ。自分を殺した人類への。) 「お前は・・・・・誰だ・・・・・?」 (前の地球の住人。名前は忘れちゃった。かなり前の事だから。あなたも教えてくれなくていいわよ。どうせ、時が来たら忘れちゃうから。) 「お前は何処にいるんだ?」 (あなたのすぐ側。この地球を包む大気の中に。) 「幽霊・・・・・・?」 (似たようなものね。でもどっちかって言うと、私達は、原子みたいなものかもしれない。) 「私達?」 (そう、前の地球の全ての住人。空に殺された人類。) 『空が落ちてくる』 噂だけが一人歩きしている。 空は今日も青く、落ちてくる気配は見せない。 スペースシャトルの第一回テスト飛行が行われた。 シャトルは地球を一周して、無事に帰ってきた。 火星では都市の建設が着実に進んでいるらしい。 (空が落ちてきて死んだ人類は、次の地球の大気になるの。そして、次の地球が死ぬまで、ずっと見てなきゃいけない。気が遠くなるくらい、長い時間よ。それが、私達に与えられた罰。) 「どうして俺以外、誰も気付かないんだ?」 (声が聞こえるのは一人だけ。それが、あなたで私。その人は次の地球の人に伝えなくちゃいけない。それが、私達の役目。) 「どうして俺が選ばれた?」 (あなた、空が落ちてくることを望んだ?) 「・・・・・・かもしれない。」 『空が落ちてくる』 火星で都市が完成したらしい。 この夏は特に暑かった。 スペースシャトルは、1000人の人々を乗せての飛行に成功した。 もうすぐ移住が始まる。 空はまだ落ちない。 「俺たちは地球を殺したのか?」 (まだ死んでないと思うけど。緑も残ってるし、空も青いし。前の地球は、もっと酷かったわ。まあ、あんまり長くはないと思うけど。) 「それでも殺されるのか?」 (声が聞こえる人間が現われたっていうことは、そういうことよ。) 「どうしてこんなに早く?」 (・・・地球は、人類が火星に移る前に殺そうとしてるんじゃないかしら。) 「人類が火星まで殺さないように?」 (かもしれない。) 『空が落ちてくる』 火星移住計画が始まった。 俺は、『記念すべき第一号移住者』の一人に選ばれた。 瀕死の地球を捨て、火星を殺しに行くための馬鹿げた宇宙旅行のため、俺たちはシャトルに乗り込んだ。 (逃げ切れるかしら?) 「無理だろうな。間に合わない。」 (今どんな気分?) 「せいせいしてる。やっとこの馬鹿げた計画が終わる。」 (私達も、やっと解放されるわ。) 「次は俺たちの番、か。」 (私、結構あなたのこと、気に入ってたわよ。) 「そりゃ、同族だからだろ。」 (でしょうね。) シャトルが浮き上がった。激しい振動。それが、俺が覚えている全て。 目は閉じていた。だから何も見なかった。でも、何が起こったのかは知っていた。 空が落ちてきた。 火星に作られた都市は、いずれ朽ちて果てるだろう。 次の地球に生まれる人類がまた繰り返したとしても、そのときには痕跡すら残らずに。 彼らが、それが罪だと知るときが来るのなら。 また、空が落ちてくる。 プルルル・・・・・・プルルル・・・・・・ 電話のベルの音に、ファイは読んでいた本を置いた。表紙に書かれたタイトルは『次の地球の君達へー1−』。黒鋼から借りたものだ。 「はい、」 電話の相手は若い女性の声。 仕事の以来を告げる内容に、ファイは、電話で指示された住所をメモに書き取った。 「はい、分かりました。ではこれから見積もりに。・・・いえ、塗装は明日以降。はい。失礼します。」 受話器を置くと、ファイはもう一度、依頼人の住所に目をやる。 (Nブロックかー、遠いなー。車出さないと。) と、その時、玄関でチャイムが鳴った。 「よお。」 「黒むー!いらっしゃい、早かったねー。」 「午後の授業が休講になってな。一度うちに戻るのも面倒だったから。」 黒鋼の兄が経営する幼稚園での仕事が終わってから早一ヶ月。その後も、何かと気が合う二人はよく会っていた。今日も、ファイのうちで夕飯を一緒に食べる約束をしている。黒鋼の手には、買ってきてと頼んでおいた野菜とデザート。せっかくだし、すぐにでも調理に入りたいのだが、 「ごめん、今から仕事なんだー。Nブロックまで。」 「Nブロック?随分遠いな。」 ファイの家はCブロック。黒鋼の家はDブロック。位置的にも近く、歩いて10分ほどの距離だ。しかしNブロックとなると、一番近いところでも、車でとばして一時間はかかる。 ファイは、依頼人を待たせないようにと、早速荷物の準備を始めた。 「なあ、俺も行っていいか?」 「今日は見積もりと相談だけだよー?」 「いいんだ。最初から見たいから。」 黒鋼は、ファイの仕事を見ているのが好きなのだと言う。ファイの手で生み出されていく、空を見るのが好きなのだと。 自分の作品を褒められて嫌な気はしない。ただ、こんな風にファンが付いたのは初めてで、少し照れくさい。 「別にいいけど、来ても面白くないと思うけどなあ。」 「運転手くらいはするぞ?」 「え、いいのー?じゃあよろしくお願いしますー。」 ファンではなく助手なら、使えるだけ使わなければ。 約一時間半後、二人は依頼人の家に着いた。 「遠いのにごめんなさい。こっちよ。」 依頼人は、自分達とそう年の変わらない少女だった。 少女が二人を通したのは、窓のない小さな部屋。室内にあるのはベッド一つだけ。そのベッドには、少女と同じ年くらいの少年が横たわっていた。顔の造りからして、恐らく兄弟。双子かもしれない。 「弟よ。呼吸器を病んでいて、外の空気は吸えないの。」 だからこの部屋には窓がないのだと、少女は説明した。 「この部屋に、夕日を描いて欲しいの。」 「夕日・・・ですか・・・・・・」 「ええ。地平線に半分沈んだ太陽を。弟は、赤く染まった西空と、夕闇が迫ってくる東の空が好きなの。勿論、実物を見たことはないけど・・・。」 太陽は、百年以上前にその姿を雲の後ろに隠した。人類が知っているのは、バベルの空に映し出された、偽りの太陽だけだ。 (太陽か・・・・・・) 「ああ、それからもう一つ。」 少女が付け加えた。 「弟はこの部屋でしか生きられないわ。その・・・・・・塗装の間、移動させるというわけにはいかないのだけど・・・・・・」 「え・・・・・・」 病人が寝ている部屋で空を描く。初めての経験にファイは途惑ったが、 「お願い。もう何件も断られて、難しい注文だってことは分かってるけど・・・でも、どうしても、描いてあげて欲しいの。」 「・・・少し・・・考えさせていただけますかー?」 「・・・北都ちゃん・・・?」 ファイたちが帰って数分後、少年が目を覚ました。北都と呼ばれた少女は、少年のベッドの端に腰掛ける。 「ここにいるわ。」 「スカイペインターさんは・・・?」 「貴方が寝てる間に来たわ。依頼は伝えておいた。」 「そう・・・ごめんね。最近、眠ってばっかりで・・・」 「いいのよ・・・少しでも長生きしてくれれば、それでいいの。」 北都は、そういって少年の髪を撫でる。しかし、次の少年の問いに、その手はぴたりと止まる。 「・・・描いて、くれるって・・・?」 「・・・・・・少し、考えたいって。」 「そう・・・」 少年は寂しそうに微笑んで、静かに目を閉じる。 「やっぱり・・・無理なのかな・・・」 「そんな事ないわ!とても、優しそうな人だったもの。何とかしたいって、思ってくれてた・・・あの人ならきっと!」 「北都ちゃん、」 少年は、病人とは思えないほど、穏やかな声で少女の名を呼ぶ。 「・・・・ありがとう。」 「・・・やめてよ。もうすぐ居なくなるみたい。」 「そうだね・・・ごめんね・・・。」 苦笑して、一度長く息を吐くと、少年は、もう一度謝った。 「ごめん・・・もう少し眠っていいかな・・・夢を見て・・・少し疲れちゃった・・・」 「どんな夢?」 少年は、その光景を思い浮かべて、とても幸せそうに笑む。 「赤い太陽が沈む、いつかの海辺にいたんだ・・・」 「何か、大変そうだな、今回の仕事。」 帰り道、車で地上から150メートル辺りを飛びながら黒鋼が投げた言葉に、ファイは珍しく眉間に皺を寄せた。 「うーん・・・・・・」 「?そこまで悩むことか?シートか何か上に張れば・・・・・・」 「あ・・・そっちじゃなくてー」 ふと横を見ると、丁度太陽が沈んでいくところだった。勿論、映像の。綺麗だけれど、どこか嘘臭い、赤い球体。 「オレ、太陽描けないんだよー。」 「・・・・・・・・・・・・はっ!?」 「うん、ホントに。」 黒鋼は、兄の経営する幼稚園の園庭の天井を思い浮かべた。そこには、一ヶ月前にファイが描いた青空がある。青空はある・・・・・・が、 「そういえば、なかったか・・・・・・太陽。」 「気付かれてなかったなら、言わなきゃ良かったなー。」 「・・・・・・どうして描かねえんだ?」 「描けないから。」 そういって、ファイは黒鋼に向けて指を二本立てる。 「スカイペインターには、描けないと言われてるものが二つあるんだ。一つは、空からの落下物。」 「雨とか雪とかか?」 「そう。そしてもう一つが、太陽。理由は、光が強すぎるから。」 強い光を放って空に浮かぶ球体。見つめることさえ叶わないそれを、絵に描くことは出来ない。たとえスカイペインターでも。いや、スカイぺインターだからこそ。 「スカイペインターが太陽を描くのは、空への冒涜だって言う人もいるんだ。オレ達は、本物に見える空を描くのが仕事だから。太陽がない空も本物には見えないのかもしれないけど、本当の空を見た人なんていないから、空の絵に太陽がなくても、気にする人なんていないしね。」 これまで彼女の依頼を多くのスカイペインターが断ってきたのは、きっとあの少年の事よりも、太陽という依頼のせいだろう。 「じゃあ、断るのか?」 「それはこれから考えるよー。出来れば何とか、描いてあげたいなあ・・・」 そんな話をしているうちに、二人の眼下にファイの家が見えた。そして同時に、二人は奇妙なものを見つける。 「・・・・・・・・・人?」 「お前の知り合いか?」 「まさかー。」 見知らぬ青年が、ファイの家のドアにもたれて座っていた。俯いているので顔は見えないが、眠っているのか気絶しているのか、意識はないようだ。上下する胸で、生きているのは分かる。短い黒髪に、アジア系特有の肌。服の上からでははっきりとは分からないが、体格は黒鋼に負けないくらい、がっしりしていると思う。 「黒むーの知り合いじゃないのー?」 「こんな所で行き倒れる知り合いはいねえよ。」 とりあえず二人は車を降りて、青年に近付いてみる。 「どうしたんですかー?」 声をかけて揺すってみる。と、青年が小さく呻いた。 「う・・・・・・」 「目が覚めたー?大丈夫ですかー?」 青年は目を開けたが、まだ焦点が合わないらしい。ファイは更に声をかけた。 「何でこんな所で寝てるのー?」 「ああ・・・・・・」 返されたのは質問に対する答えではなく、 「・・・・・・今夜泊めてもらえませんか。」 の一言だった。 くぐもった音声が聞こえる。少年は目を開けた。 蛍光グリーンのライトが頼りなく照らす室内が溶液の向こうに揺らいだ。見つめる先には、自分が入っているものと同じ、溶液に満たされたカプセル。そして、自分と同じく、その中に収められた、ヒト。 不意に、カプセルから水が抜かれて、浮遊感が消える。 開いたカプセルから一歩踏み出し、少年はゆるく頭を振った。毛先から水滴が滴る。 抑揚のない声が、今度ははっきりと聞こえた。 『気分はどうだ?No.009。』 変わらない問いかけと、変わらない返事。 「異常、ありません。」 繰り返される異常な日常の中で、少年はただ祈り続ける。 (おれは・・・) 祈りは届かない。 今宵、少年は望んでいた。 報われる保証などなくても、手を伸ばす覚悟を。 back next |