バベルT





全地は同じ発音、同じ言葉であった。

時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。

彼らは互いに言った、

「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。

こうして彼らは石の代わりに、れんがを得、しっくいの代わりに、アスファルトを得た。

彼らはまた言った、

「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。

 そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。



時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔を見て、言われた、

「民は一つで、みな同じ言葉である。
 
 彼らはすでにこの事をしはじめた。

 彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。

 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。



こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。

これによってその町の名はバベルと呼ばれた。

主がそこで全地の言葉を乱されたからである。

主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。



<旧約聖書『創世記』第十一章>






人類に罪があるのだとしたら

  他の生物の命を奪い

地球を危機に追いやっても

それでもなお

 生きたいと望んでいる事



神様

   僕達を罰しますか?






西暦2574年、人類は決断を迫られた。
『生命の星』と呼ばれ続けてきた地球上に残っている生物が、人間と、人間が科学の力で造り出した極僅かな動植物だけになった。
異常気象などはすでに当たり前で、上空を覆う有毒ガスの層で、空はその姿を隠した。
数年間、雨が降らない年が続き、乾いて荒れた土地を、人類は捨てざるを得なくなった。

数世紀前から進められていた宇宙進出計画。しかしそれは上手く進まず、宇宙は旅行先程度にはなったものの、移住先にはならなかった。
そこで人類が行ったのは、地下都市移住計画。
人類は、地下に大都市を造った。その地下都市は『バベル』と名づけられた。

バベルはA〜Eまで世界に5つ。人類はそこに別れて住んだ。
地下都市の中の建物は全て同じ大きさ。用途によっては多少大きなものもあったが、居住用建造物は、住人の資財に関わらず同じ大きさだった。
人種による差別もなかった。バベルには様々な人種が同じように生活していた。
宗教による闘争も起こらなかった。人々は皆、それぞれの神に祈りを捧げながらも、神が自分達を助けることはないのだと、心のどこかで悟っていた。
バベルでの生活は、平和で幸福なものに見えた。
大規模な空気清浄機のおかげで、人々は地上で暮らしていたときよりも、ずっと清浄な空気を吸うことが出来た。
科学の力で作り出された食料は、決して不足することはなかった。
温度も常に調整されていたため、寒さに震えることも、暑さに苦しむこともなかった。

しかし、地下都市移住計画が発表された時、恵まれたように見えるその環境に、人々は不満を持った。政府は、人々が地上に出ることを禁止したのだ。
地下という密閉された空間に閉じ込められる事に反発し、人々は解放感を求めた。
そして、バベルの天井に空を映し出した。
その空は、ヴァーチャル・スカイ(偽りの空)と呼ばれた。
コンピューター・グラフィックスで映し出された空は、すでに地上では失われた青空だった。白い雲が流れ、時には雨も降った。それはスプリンクラーによるものだったが、それで人々は満足した。

道を歩けば、両端には街路樹が植えてある。時には散歩している犬を見かける。頭上を見上げると青空が広がっている。
たとえその木が、科学者が原子をいじって出来た種から育ったものでも、その犬と同じ遺伝子を持つ犬が世界中に何百匹いても、その青空が天井に映された偽物でも、人々は気にしなかった。
バベルの中での生活は、平和で幸福なものだった。

こうして、人類が地上にある現実から目を背け、幸せな地下生活を始めた2974年から、14年の月日が流れた。時は2588年――――






青年は一つの建物を探していた。
(Dブロック5−11・・・・・・)
手に持っている紙片には、どこかの住所だと思われるアルファベットと数字。そして、『Kindergarten』の文字。
(Dブロック5−11・・・・・・あれかー)
青年の前方、同じ形の建物ばかりが並ぶ中に、一つだけ、他より大きな建物があった。一目で居住用ではないことが判る。青年は、その建物に向かって足を速めた。


彼の名はファイ。Eバベルに住む19歳だ。姓は無い。その代わりの住民ナンバーは1597347。バベルにおいて、名前は知り合い同士で呼び合うときに使うためだけのもので、社会的には何の意味も無い。


(Dブロック5−11。Kindergarten。間違いないねー。)
ファイはもう一度住所を確認すると、Kindergartenの表札の掛かった建物のインターホンを押した。

『Kindergarten』。つまり、幼稚園。
バベルでは、英語が公用語として使われている。他の言語は今では殆ど話されていない。
ファイも、バベル移住の前はフランスと呼ばれていた国に住んでいたが、母国の言葉を使う機会は全くと言っていいほど無い。住んでいる地域に同郷の者が居ないと言うのも原因の一つだが、仕事で時々会うフランス人も、フランス語を話せない人が多い。バベル移住の数世紀前から、世界では言語の統一化が進んでいた。今では各国の言語は、人々の名に、その痕跡を残すだけ。ファイも、母親が話せたので少し知っている程度だ。シングルマザーだったその母親は、バベル移住の少し前に亡くなった。


『はい、』
インターホンから男性の声が聞こえた。
「スカイペインターです。」
『ああ、はい。』

スカイペインター(Sky Painter)。それがファイの仕事。スカイワーカー(Sky Worker)とも呼ばれるそれは、人々がバベルに移住してから出来た職業だ。
仕事内容は、室内の天井、時には壁にまで空の絵を描くと言うもの。
バベルの天井に空が映されているように、人々は室内に青空を求めた。本物の青空を見たことがある人間など、ほんの一握りしか居ないのに。

「どうぞ。」
扉を開けたのは、ファイとほぼ同い年だと思われる黒髪の青年だった。
(黄色人種だ。)
顔の造りから見て、日本人だろうか。
(久しぶりに見たなあ・・・。)
最近は混血児の方が多いので見た目での人種判断は難しいが。

そんなことを考えながら、ファイは青年に付いて幼稚園の中を進んだ。通されたのは、一番奥の広い部屋。床に芝生が敷き詰めてある。
「ここだ。園庭なんだ。」
幼稚園や学校では、園庭や校庭を室内に作ることが多い。あまり外の空気を吸わせたくないという親が多いからだ。
「塗るのは、天井と壁ですよね?」
ファイは荷物を降ろしながら依頼内容を確認した。しかし、青年から帰ってきたのは少し曖昧な返答。
「ああ、そう聞いてる。」
「責任者は他の方ですか?」
「兄貴だ。今日はどうしても断れない用事が出来たとかで・・・・・・」
考えてみれば、彼の年で幼稚園の責任者は無理だろう。
「・・・・・・いつお帰りになるか分かりますか?」
「さあ、遅くなるとか言ってたが、やっぱり居ないと困るか?」
「最初は、色とか構図とか、細かい所の注文を受けることから始めるので。」
そういってファイが荷物の中から取り出したのは、空の色見本。青系が多いが、赤やオレンジも混じっている。夕焼けの色なのだろう。
「へえ、色々あるんだな。」
「人によって色の好みがありますから。とりあえず今日は準備だけしておきますねー。」
ファイは色見本を少年に渡して立ち上がった。塗り始めなくても、床にシートを敷いたり、電気や窓枠にカバーをかけたり、出来ることはある。

「・・・・・・思ってたより若いんだな。いくつだ?」
同年代のファイに敬語で話されることに堅苦しさを感じたのか、手際よくシートを広げていくファイに、不意に青年が声をかけた。ファイは一旦手を止めて答える。
「19です。」
「同い年じゃねえか。」
「あ、そうなんですかー?」
「じゃあその敬語やめろよ。兄貴が二人になったみたいで気持ち悪い。」
お兄さんは弟さんに敬語を使うのだろうか。
「じゃあ・・・あ、えっと・・・オレ、ファイって言うんだー。」
「俺は、黒鋼だ。」
こうして二人は少し遅い自己紹介を交わす。
「黒鋼・・・・・・」
アジアと呼ばれた地域の言語の響きを持つ名前を、ファイは一度口の中で繰り返した。名前は、とても大切だから。音の一つ一つ、イントネーションまで、彼が発音したとおりに再現できるように。
「よろしくねー、黒鋼。」


二人は、未来も、地球も、このバベルのことも、これから自分達がたどる運命さえ、まだ何も知らない。








カチャカチャカチャ・・・・・・

暗い部屋の中、キーボ−ドを叩く音が響いている。
どこかの研究室だろうか。机の上や周りには、コンピューターのほかに、様々な機械や試験管。その他、ラベルの字が消えてしまっている薬品瓶。
広い室内にも関わらず、中に居るのはキーボードを叩いている青年が一人だけ。年は十代後半から二十代前半に見える。黒い髪に、アジア系特有の肌の色。

突然、机の上の機械の一つが、ピーと音を立てた。青年は手を止めて機械に歩み寄る。
いくつかボタンを押すと、細長い紙が出てきた。数字とアルファベットが並ぶそれを見て、青年は顔をしかめる。そしてぽつりと、呟いた。
「そうだな・・・・・・もうちょっとしたら、出掛けるか・・・・・・。」







ゴポッ・・・・・・

広い部屋。研究室のようにも工場のようにも倉庫のようにも見える。蛍光グリーンの光で照らされた薄暗い室内には、無数の大きなカプセル。カプセルの中は水で満たされ、その中に浮かんでいるのは、人間だ。

今、一つのカプセルから水が抜かれた。スピーカーから声が流れてくる。
『気分はどうだ?No.009。』
No.009と呼ばれたのは10代前半の少年。首筋に、009という数字が彫られている。
少年は、水が滴る頭を軽く振ると、感情のこもらない声で、こう答えた。
「異常、ありません。」








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