たとえ過去をやり直せたとしても 辿り着く結末が変わるはずはないのに どうしてだろう 思い浮かぶ言葉は 君に伝えたいものばかりなんだ――― セレス国は宙に浮かぶような巨大な岩の上に作られた国。外部とは数本のつり橋で繋がっている。地形的には篭城に向くかもしれないが、敵側に魔術師がいるのなら、橋を落とすことは全く意味がない。彼等は宙も舞えば空間も跳躍する。それに、攻めること無しに勝利を得ることはできない。 敵軍が迫っていた。セレス国軍はいくつかの隊に別れ主要都市に散る。 ファイも普段は戦場に立つが、今回は王が引き止めた。 「ファイは城に残れ。」 「え、でも・・・」 「敵はあの数だ。おそらくすぐに刃はこの城に届く。最後の砦となれ。」 もっともらしい理由。けれど、王の本当の目的は、きっと祖国の人間を直接攻撃するのを避けさせる事だと思った。 少しでも側にいたい、そんな我侭で王の優しさに甘えた。 魔術による戦闘は決着が早い。戦闘開始から4日後、ウィンダムの民を中心とする魔術師部隊相手に、セレス国の応戦部隊はほぼ全滅。 「これほどまでとは・・・」 血統の力に王は苦いため息をつく。 「兵たちのほうは。」 「苦戦しています。既にいくつかの都市は・・・」 「・・・・・・。」 武力でも敵わない。数で不利なことは分かってはいたが、それでももう少し何とかなるかと思ったのに。 王は報告の兵を持ち場に帰すと、隣に立つ魔術師を見た。疲労と緊張で、少し青ざめて見える。 「・・・・・・話し掛けてもいいか。」 馬鹿馬鹿しい質問に、少し見開かれた蒼い瞳が王を映す。 「どうしたんですか。そんなのわざわざ断らなくても・・・むしろ話してほしいくらいです。落ち着かなくて。」 「・・・後ろ向きな話だ。」 「珍しいですねー。いいですよ、聞きましょう?」 室内にはファイ以外の人間もいる。彼等に聞こえないように王は声を落とした。 「本当はお前はレイアースに・・・もしくは、どこか別の国にでも、行かせた方が良いのではないかと思った。お前がいなければ魔術では歯が立たない事は分かっていたが、祖国に刃を向けさせるのはやはり心苦しい。その上、どうも負け戦になりそうだ。」 「・・・・・・オレは、セレス国の人間ですよ。」 そう言ってファイは優しく笑う。命を懸けても守りたいと思うのはこの国だけだと。 「しかし、変えられない過去がある。」 ファイがウィンダムの人間だという事実は変わらない。心が何処にあろうと、あそこはファイの祖国。 「でも、今も変わりません。」 過去を悔やんでもしょうがない。そんなことで現状が変えられるはずがない。 「オレは今ここにいます。それが全てです。」 黒鋼は、連れ出してくれる人なら誰でもと言ったが、あの時他の誰かなどいなかった。 過去のどの時点に戻ったとしても、きっと自分は今と同じ未来にたどり着く。 逃げ道を探しても仕方がない。もう立ち向かうしかないのだ。そう、自分に言い聞かせないと、今立っている場所すら信じられなくなりそうで。 「オレはセレス国の人間です。」 そう繰り返すファイを、王は何か思いつめた眼差しで見つめる。 「・・・ファイ、もし橋が破られたら・・・」 橋が破られたら。それは、敵軍の城内への侵入を許すことと同義。敗北が決まる瞬間になるだろう。場内に残る者だけでは、とても勝利するほどの力はない。 「アシュラ王?」 「・・・・・・いや、その時になってから言おう。それまでは・・・」 「・・・はい。」 その日は、予想していたよりもかなり早く訪れた。早くなるだろう、ということだけは予想通りだったが。日々悪化する戦況に続いた緊張状態、狂った時間感覚では具体的にそれが何日かは分からなかったが、少なくとも両手の指には足りるのではないかと思う。 橋の向こうに敵軍の姿が見えた。その手前にはセレス国の軍。こうしてみると数の差が歴然とする。 「橋が落ちるのも時間の問題かと思われます。」 そんなことは報告されなくても分かる。それにこの戦争は、最初から時間の問題だったではないか。 「潮時か・・・」 静かに呟いて王が立ち上がる。その感情さえ読み取れない静けさに、ファイは不安を感じて王を見上げた。 「アシュラ王・・・?」 「・・・降伏しようと思う。」 「!それはっ・・!」 言葉の意味が分かっているのだろうか。この戦の目的は、セレス国の王位をウィンダムのものにすること。普通の戦争なら、降伏すれば従属国として生き延びることも出来るだろうが、今回は確実に、王だけは、殺される。 「まだ・・・まだ戦えます!」 「しかし更なる血が流れる。私ひとりの命で、何人が助かることか。」 「オレが出ます!!」 「・・・・・・・ファイ、」 王は身をかがめ声を潜める。 「突然外から来た王が、民を治めるのは難しい。しかしお前は民の信頼を得ている。私が死ねば、ウィンダムはお前を通して間接的にこの国を支配しようとするだろう。どんな理不尽な命を下されても、お前なら、民の事を想った政治ができるだろう?」 「しかし、最後の砦になれと・・・!」 「ああ、遺される者たちを、守ってやって欲しい。」 「そんなっ・・・」 突然、城に衝撃があった。遠くで爆音のような音がして、足元の床が小さく振動する。 「何だ。」 短く問うた王の言葉に、部屋にいた魔術師の一人が答えた。 「敵軍の魔術師が城に直接攻撃を。」 衝撃は一度きり。城内の魔術師達が結界を張ったのだろう。時間稼ぎ程度にしかならないだろうが。 「言い合っている暇はないようだ。」 「・・・・・・貴方が死ぬならオレも死にます。」 脅迫ではない。王がこの世界から消えるなら、自分は生きていく意味を失うから。 「そう言うのではないかと思った・・・」 口元に苦い笑いを浮かべて、王はファイの髪を撫でる。どこか嬉しそうな表情とは裏腹に、口にしたのは厳しい言葉。 「臣下の命は王のものだ。私の許可なしに死ぬことは許さない。」 「そ、んな・・・」 普段の王からは想像もできないような横暴な言葉に、しかしファイはすぐに冷静に食い下がる。 「貴方が死ねば俺が王です。」 「王の命は民のものだ。民を守るためなくして死ぬことなど許されない。」 「・・・・・・・・・・」 つまりどうあっても死ぬことは許さないと。 「こんな方法でしか、お前を守ることができない。許してくれ。」 最初からそのつもりだったのだ。突然外から来たものが民を治めるのは難しい。ウィンダムは、政治はファイに任せるだろう。レクサスの言うとおり、戦闘に参加しなければ、敵はファイに手を出すことはない。民を守るといいながら、ファイ一人だけを救うために、王は命を投げ捨てる。 「アシュラ王っ・・・」 小さく呼んだ名は悲鳴にも似ていた。顔を王の方に乗せる、目の周りが熱い。けれど、此処で泣いてはいけない。臣下の前で涙など見せてはいけない。こらえてゆっくり息を吐けば、それは小刻みに震えていた。 そのときだった。兵が一人足早に部屋に入ってきた。軍部の上層部だったと記憶している。どこかの隊の隊長クラスだろうか。 「失礼します、陛下!」 「どうした。」 悪いことは重なるものだ。此処へ来て、状況はさらに悪化する。それはあくまでも、ファイにとっては、だったが。 「結界を張っている魔術師達が騒いでおります。敵の魔術師の中に、ウィンダムの民がいると。」 「っ!!」 室内がどよめく。誰かが言った、それは誠か、と。 「はい、断言は出来ないが、術式がウィンダム特有のもの。数は一人や二人ではなく、本当に術者がウィンダムのものなら、恐らく国を挙げて参戦していると。」 いくつもの視線がファイに向けられた。足が震える。王の腕に縋らなければ、立っていることさえできない。こうなることもあるだろうと、覚悟はしていたはずなのに。 しかし、王は冷静だった。 「だからどうした。」 「は・・・?」 「レクサスの力を恐れ、あちらについた国は多い。その中の一つにウィンダムが入っていたとしても、騒ぎ立てるほどのことはない。」 ほんの少しの嘘をつく。全てはただ一人を守るために。 「しかしっ・・・」 意気込んだ兵は、王の前だと思い直したのだろう、一呼吸おいてから、落ち着いた声音を装う。 「無礼を承知で申し上げます。兵の中に、ファイ様への不信を唱えるものが。」 「ウィンダムの事はファイの与り知らぬ所だ。」 「いえ、レクサスの事です。情報漏洩の疑いが・・・」 「え・・・?」 予想外の疑いをかけられ、ファイは目を見開く。さすがの王も、一瞬言葉を失った。 「・・・・・・どういうことだ。」 「・・・軍の情報が敵に漏れた可能性があるのです。弱い部分を的確に突かれ、成す術もなく破れた隊がいくつも。陣を組みなおしてもすぐに対応され、内部の誰かが敵に通じているとしか・・・」 「何故それをファイだと思う。ファイは開戦後ずっと私の側にいた。」 「魔術師同士の会話は、空間を隔てても行われると聞きます。ファイ様の魔力を持ってすれば、ここにいながら外の情報を得ることも容易いでしょう。それに・・・ファイ様は、講和のための使者という名目でレクサスに行かれた筈。そのときに、何か密約を交わしたのではないかと。」 「密約?」 「たとえば・・・レクサスに協力する代わりに、レクサスが占領後のわが国を、ウィンダムに統治させる・・・。」 「・・・・・・。」 一番大切なところは間違っているが、大筋は当たっている。隠し事は露見するものだ。 「ファイは・・・違う・・・・・・。」 しかし、証明の仕様もない。互いを繋ぐものは、信頼しかないのに。 「ファイはこの国を裏切りはしない。時期国王はファイに。」 「お待ち下さい、陛下。」 別の男が口を挟む。 「ファイ様はウィンダムが人質としてこの国に差し出したお方です。ウォンダムが裏切った以上、それ相応の対応をするべきでは。」 相応の対応。殺せということだ。もともとファイは、そういう身としてセレス国に連れてこられたのだから。 王位だけの問題ではなく、きっと誰かがこう言い出すだろうと、これはファイも予想していたこと。そうなったら、それもいいと思っていた。しかし、 「ファイを殺しても状況は変わらない。いや、敗北後の事を考えれば、むしろ悪化するだろう。」 王はファイを守る言葉を用意していた。 「実際にウィンダムがこの国を支配することになったとしても、ファイが王位につけば、少なくとも独裁政治のようなことにはならない。民の事を考えた政治ができる。」 「しかし、裏切った国の民から出た王に、国民はついていきません!」 「生まれはウィンダムのだったとしても、この国で過ごした年月の方が遥に長い。それでもまだ、ファイをこの国の人間だと認めることはできないか。」 「体に流れる血はウィンダムのものです。いつ、いや、現在既に裏切りの疑いがかかっているお方に、それでも王位を譲るおつもりですか!」 この言い合いを、ファイは遠い場所に居るかのような気持ちで聞いていた。まるで舞台でも見ているような、現実味を帯びない会話。話の中心が自分だとは、とても思えない。 考えてみれば、この国は最初から遠かったではないか。側に居たのはアシュラ王だけで、彼が消えれば此処に自分の居場所はなくなってしまうほどに。 国を愛したのではなく、王を愛しただけ。 国を守りたかったのではなく、ただ自分の居場所を守りたかっただけ。 本当は、分かっていた。壊れる未来、なくなる居場所、何処にもいけずに立ち尽くす自分。 気付かない振りをしていた。卑怯で愚かしい願いのために。 「ファイは無実だ。その疑いも、何の証拠も」 「アシュラ王」 不意に口を開いたファイに、ざわついていた室内がしんと静まり返る。 王に縋っていたはずのファイの手はいつの間にか離れ、ファイは、自分の足で立っていた。 「ファイ・・・?」 「・・・もういいです。」 「何・・・?」 「貴方の言った通り。変えられない過去がある。オレはウィンダムの人間です。こんな疑いもかけられた後では、オレが王位を継いでも民が完全な信頼を寄せることはないでしょう。」 「しかし、お前は何もっ・・・!」 言い募ろうとした王の唇に、ファイの指が触れた。ひやりと冷たい、いつものファイの指だ。それなのに、いつもより脆く儚く、声を出せば砕けてしまうような気がして、王は口を閉ざした。 ファイは静かな蒼を湛えた瞳でかすかに笑う。 「最初から、オレがいなければ良かったんです。」 「な・・・に・・・」 「オレがいなければ、ウィンダムがこの国にここまで執着することもなかった。この戦争も、起こらなかったかもしれない。貴方は貴方の血を継ぐものに、誰にも反対されることなく王位を譲れたはず。オレさえいなければ、こんなことにはならなかった・・・。」 ファイは、兵のほうに顔を向けた。最初にファイへの不信を訴えたその男は思わず身を固くしたが、与えられたのは予想を裏切る儚い笑顔だった。 「兵を、退かせてもらえるかなー?」 「兵を・・・ですか・・・・・・?」 「うん、巻き込んじゃうと悪いからー。」 男はどうしたものかと王の顔を見るが、王もファイの意図を理解できないでいる。 「何をする気だ?」 「・・全部、消してきます。とりあえず、外に居る分だけ。オレを信じられないならそれでもいいけど、ここまで来たらもう、時間の問題でしょー?」 最後の台詞だけは兵に向けて。その言葉を受けた兵は、しばし躊躇したが意を決して部屋を出た。止めるものは居ない。皆、どうしていいか分からない。 「全て・・・消す・・・?」 「はい。敵を全て消して、全てが終わればオレも消えます。」 「っ・・・」 王はとっさにファイの腕をつかむ。行かせまい、とするように。 「・・・ファイ、お前は・・」 「死ぬわけじゃありません。この身に流れる血が何処のものでも、心は貴方の下に。だから、貴方が死ぬなと言うなら、死にません。」 「では・・・」 「遠くへ。もう、貴方の側には居られない。」 「何故・・・!あの日誓ったではないか。世界の全てを敵に回そうとも、私はお前を・・・」 「オレには、そんな価値はありません。」 そんな価値はない。王が、命を懸けるほどの価値は。 「ただ側に居たかった・・・。そんな卑怯な願いで・・・オレは貴方の全てを奪ってしまう・・・。」 国も、命も、未来も。 そして、王が自分に遺そうとする物を、貴方ではないから愛せないと言うのだ。 なんて我侭で、卑怯で、愚かで。 それでもまだ心のどこかでこの居場所の存続を願っている。どこまでも救いようがない。 「何処へ行くつもりだ・・・レイアースか・・・?」 「もっと遠く・・・どんなに望んでも、二度と貴方に会えないような場所へ。」 会えばまた縋ってしまう。きっと同じことの繰り返しになるのは、目に見えてるのに。 誰に何とけなされようと、この人は初めて、手を差し伸べてくれた人。 もしそれが別の誰かなら、自分はその誰かに縋ったかもしれないのに。 結局何もかも、”彼”の言ったとおりだ。 「行かせない・・・。どこへも行かせない!側にいたいと願ったのは、お前だけではない!」 「アシュラ王、」 その言葉は矛盾している。ファイを守るために、自分は死ぬといった人間が。 「・・・貴方に封印を。オレが、この国から消えるまで。」 「それなら追いかけるまでだ。何処へ行こうとも、必ず・・・」 「では、オレが、貴方が追いつけないほど、遠くへ逃げるまで。」 魔法具の宝石が光る。 「先に全て終わらせてきます。今は少しだけ、眠ってください・・・」 「ファ・・・・・・イ・・・・・・」 呼んだ名は最後は吐息に紛れた。 ファイの腕を掴んでいた手から力が抜け、王の体がファイに倒れ掛かる。 受け止めた体を支えきれず、ファイは床に膝を突いた。 そのまま、王の体を強く強く抱きしめる。 まるで、眠りの底に堕ちた彼に、いつもの抱擁を求めるように。 BACK NEXT |