ねえ、『黒鋼』
新しく出逢った君を彼と同じ名前で呼ぶと
罪悪感に似た想いに捕らわれるんだ

結局オレはまた
差し出される手を捜してるだけなんじゃないかってさ―――




「貴方の対価はそのイレズミ」
魔女は、抑揚のない声でそう言った。

予想は、していたのだ。




王を眠らせた後、ファイは城の外へ向かった。今はまだ眠らせただけ。全てが終わった後、封印を施すつもりだ。長く永く、彼が眠り続けるように。彼が再び目覚めたとき、追いかけることを諦められるくらい、自分が遠くへ逃げられるように。
「チィ、」
呼ぶと、何処からともなく少女がふわりと寄ってくる。
「ファイ、どうしたの?」
「イレズミをはずすから、持っててくれないかなあ。」

魔力を、解放する。

「いいの?」
「ちょっとの間だけだから。」
ウィンダム王家の紋章にも描かれる鳥の姿の神の紋様は、ファイが王の側に居られる唯一の証だった。それ故、はずすことに多少の抵抗はあるのだが、抑えたままの魔力では、さすがに全ての敵を消すことなどできないだろう。
(それにもう・・・そんな証はいらないし・・・)
開放された魔力がどれほどのものなのかは知らない。けれどそれは、ウィンダムの民が恐れるほどの力だ。
「危ないから、城の中に居てねー。」
チィにそう言いおいて、ファイは一人、城の外へ出た。
セレス国の兵はすでに退いていた。あの男は、最後の最後で自分を信じてくれたようだ。
(それとも、ただ諦めただけかなー?)
自嘲的な笑みは、敵軍の咆哮に掻き消された。セレス国軍が撤退するのを見て、数万の人間が一気に城へ攻め入ろうとする。彼等に向かって、ファイは魔力を放出した。

放出、と呼ぶべきだろう。呪文も魔法陣も要らない。制御などできない。放出と呼ばないのなら、いっそ暴走と呼ぶべきか。
一度解放すれば、止める事もできなかった。必要もなかったが。
ただ目の前で、無数の兵士が、目に見えぬ力に触れて塵と化すのを眺めていた。
(オレって凄かったんだー)
改めてイレズミの存在に感謝する。これがなければ、王の側で魔法を使うことはできなかっただろう。
けれど、唐突に疲労感に襲われた。当たり前だ。これ程の魔力を消耗しているのだから。気がつけばもう、目の前に敵の姿などなく、惨状と呼ぶにはあまりに虚しい、何もない地面だけが広がる。本当に、『消す』という表現がピタリと嵌まった。そこで無数の命が散ったなど、信じられないほどに。
(最初からこうしてればよかったかな・・・)
少しでも側に居たいなどと、愚かな我侭を言わずに。
いや、けれどきっと、いつかは訪れていた未来だ。

威力が弱まった魔力を何とか止めて、そしてふと不安に駆られる。残して来た魔法が解けてはいないだろうか。激しく魔力を消耗すれば、別の場所で使った呪文も解けてしまう。
封印を、後回しにして良かった。
「ファイ、終わった?」
チィが寄ってくる。受け取ったイレズミを背に戻して、ファイは城を見上げた。
「城の時間を・・・止めようか・・・・・」
「時間を?どうして?」
「・・・誰も、王の眠りを妨げないように。」
杖を掲げる。宝石が光る。
城の時間が止まる。誰も、これから施す封印を解いたりしないように。
城を包むように、翼を象ったような結界ができる。誰も城に入ることのないように。
少しでも永く、彼の眠りが続くように。





魔女は言う。
「対価は最も価値のあるものを」
「・・・・・・」
予想はしていたのだ。時空を渡るにはかなりの力を必要とする。魔法具はそれなりに価値のあるものではあるが、自分にとってはもう必要のないものだ。
しかしこのイレズミがなければ、もし少しでも魔力を使おうとすれば、きっとまた暴走する。激しく魔力を消耗すれば、残して来た魔法も解けてしまう。城にかけた魔法も、彼に施した封印も。
魔力が使えなくなる。






王の体を納めた棺に、自分の背にある紋様と同じものを描いた。
「封印術としては、一番強いものなんですよー。」
ファイの魔力を抑えているのと、同じ術だ。そう簡単には破れまい。ただ、先程の放出でかなり消耗しているから、強度に関してはいつもほどの自信はもてないが。
封印を施した後、棺を不凍の泉に沈めた。この泉には魔力がある。きっと王の眠りを守ってくれることだろう。

泉から上がったファイの顔を、チィが覗き込む。
「ファイ、泣いてるの?」
「え・・・?」
驚いた。聞かれたことにではなく、泣いていない自分に驚いた。
「泣いてないよ・・・泣いてない・・・。」
確かめるように答える。泣いていない。頬を伝のは、泉の水だけだ。
(ああ、そうか・・・)
いつかチィに教えたことがあった。『涙は苦しいときに流れるもの』。『苦しいは、嬉しいとか悲しいとか、色んな感情で胸がいっぱいになること』。
(オレ・・・今、空っぽだ・・・)
胸に穴が開いたような、というのはこういう感覚だろうか。胸の中にあるのは虚無感だけだ。そんなものかもしれない。全てだと言った人を失うのだから。

こんなときは、どうすればいいのだろう。
胸がいっぱいのときは泣くのだから、空っぽな今は笑えばいいのだろうか。
想いは全て、彼とともに泉のそこへ沈めてきた。
心は永遠に彼の側に。
(なーんて・・・)
馬鹿馬鹿しい考えに笑みがこぼれた。そう、こうしていればいい。泣いていない人間に、辛い過去を話させる人間なんていないから。

「これからどうするの?ファイ」
「もう、この国にはいられないなあ。」
他人事のように口にするのは、紛れもない自分の現状。
「や、この世界には、か。」
何処にもいけない。レクサスやウィンダムは勿論の事、
(レイアース・・・)
一瞬頭をよぎった遠い国にも。
行けるはずがない。彼の国なんて。あんな別れ方をしておきながら、今更彼を頼るなんて。
結局王のいない世界に、自分の居場所などないのだ。それなら特定の場所なんて探さずに、何処までも、逃げ続けよう。
「世界?」
「この次元にはって事。」
行く場所は決まっていた。王が教えてくれたあの人の下へ。対価を差し出せば願いを叶えてくれるという、次元の魔女。願いは、あの時想ったものとは変わってしまったけれど。

「チィに頼みたいことがあるんだー。」
「なあに?」
予感があった。このイレズミは、今の自分にとって最も価値のあるもの。次元を渡るには。きっとそれくらいの対価は必要だろう。イレズミがない状況で魔力を使えば、激しい消耗により王の封印が解けてしまうかもしれない。逆に言えば、封印が解けてしまえば魔力を封じる必要はない。そうなったら、むしろ暴走する魔力を使ってでも逃げなければ。制御もできない力が、どれほどの役に立つかは知れないが。
だから、
「もしも王が目覚めたら教えて欲しいんだ。」
そしてもう一つの念のため。
「ちょっと姿を変えてもらっていいかなあ?」
チィの快い承諾の後、再び杖の宝石が光る。そして、チィの姿は、泉の水面を覆い隠すかのように変化した。
「不凍の泉だからね・・・」
この泉に月が映る夜、水面の月に願いを言うと、それは本当になると言うから。
王が目覚めるまでに何度、月の出る夜があるかは分からないが、もし王が夢の中で願ったことが、叶ってしまうと困るから。

(夢の中、か・・・)
悪夢でも見ているのだと、思ってしまえばいっそ楽になれるだろうか。彼も自分も、悪い夢の中に居るのだと。
自分に会わなければ、こんな事にはならなかった。これはきっと、自分が消えれば全て終わる、悪い夢だ。
(終わる・・・のに・・・)
きっと彼は目覚めた後も、悪夢の続きを望むのだろう。こんな幸せな悪夢があるものか、なんて、いつものように少し優しく、どこか切ない台詞を吐きながら。
だからどうか、
「せめて・・・眠りの中では良い夢を」

願いのために世界を渡る。
けれど約束した。心は永遠に彼の下に。
だから、死ぬなという命令は有効で、名乗るべき国は一つだ。
「セレス国の魔術師、ファイ・D・フローライトです。」

対価は予想通り背のイレズミを。
魔女は言う。
「対価は最も価値のあるものを。」
「・・・・・・」
ファイは、フードを取って俯いた。セレス国とは違い、雪になれない雨が、顔に当たる。
(ああ、いけない・・)
こんな、涙を誤魔化すようなこと。笑わなければ。今の自分は空っぽなのだから。
そう思って顔を上げようとして、ふと、隣の人物と目が合った。

『黒鋼』

彼と同じ魂を持つものの、彼と同じ紅い瞳。
(こんな形でまた・・・君に出会うなんて・・・・・・)
そういえばあの時も、運命の出会いだと思ったのだったか。
また、見透かされた気がした。気付かない振りをした自分の弱さ。
『元いた所にだけは帰りたくありません』
どうしてそんなことを願ったのだろう。自分が願うべきは、帰らないことではなくあの人に二度と会わないこと。
悪夢の続きを望んだのは自分も同じだ。なんて、愚かなんだろうという自嘲さえ、もう何度目になるのか。
「仕方ないですねぇ・・・」
諦めたのは自分の愚かさと、どうあっても逃れられないらしい、全てを見透かす紅い瞳。


「行きなさい。
異界への扉が開く。酩酊感にも似た激しい眩暈にファイは思わず目を閉じた。



とても、疲れた気がする。




今は自分も少しだけ眠ろう。




―――悪夢の続きを夢見ながら。



Fin.





長くてスイマセン・・・。せいぜい6話だろうと思ったのにな。
しかも救いようがないぞ!いや、救いは原作に求めましょう、アシュラ王出してCLAMPさーん!!
いやしかしもう、私としましてはアシュラ王と黒の修羅場がか書けただけで大満足。
感動のあまりキーボード叩きながら涙が出ましたよ。ううっ・・。ああ幸せ。
今回は黒の負けで良いじゃないですか。原作で鉢合わせしたら王が負けるんだし(哀しい・・)
平和の時代に生まれた雪流さんは戦争なんてどうやるのか知りませんが、大切なのは戦争したんですよって事だけであって。色んな所は目を瞑っていただけると。
アシュラ王の棺とファイさんの背中の紋様がおそろいだったから、きっと封印魔法かなんかなんだと推理。
その他もろもろ、色んな気になる動きに自分なりに理由をつけてみたつもりです。
そして捏造だから筋を通そうと努力はしたんですよ。
ところでタイトルについて。この話を書き出したのが何か当て字にはまってた時期でしてね、『紺夜雪泣く藍の華』には特に意味はなく、『今夜切なく愛の端』と読み替えて初めて意味が出てきます。
端(はな):物事のし始め。最初。
タイトルロゴがこっそりロールオーバーになってたんですけど気付いた方いらっしゃいますかね。矢印を当てると字が変わるというやつ。変な所だけ手が込んでますよ。思えばアシュファイのタイトルは当て字が多いような。
もうアシュファイが生き甲斐になりつつありますが、三角関係が一番楽しいよねとか。
何はともあれお付き合いいただきありがとうございました。
どうかアシュラ王をよろしくお願いします(何)





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