本当はちゃんと分かってた 君の言葉はいつだって正しかったんだって事 でも きっと だからこそ オレは君が怖かった――― 「陛下、ファイ様がお戻りになりました!」 城門警備の兵の報告を受けて、アシュラ王は慌てて城の入り口へ向かった。帰還が予定より一週間も早い。何があったのか。 「ファイッ!」 「アシュラ王、ただいま戻りまし・・」 ファイが全て言い終える前に王は細い体を強く抱き寄せる。 「どうしたのだ、冷え切って。上着はどうした?」 「それは・・・話すと長いのでここでは・・・。それより、人前ですから・・・」 この抱擁はどうかと思う。 やっとファイから離れて、王は初めて黒鋼に気付く。 「そっちは?」 「オレの客人です。色々お世話になりましてー。名は黒鋼、レイアースの出身だそうです。」 「レイアース・・・それはまた遠方から。ファイの客なら歓迎しよう。部屋と食事の用意を。」 周りの者にそう命じて王はファイと黒鋼を交互に見る。 「疲れているだろうが、ファイは先に報告を。黒鋼といったか、悪いが今宵は宴も催せぬ。食事は部屋に運ばせよう。せめてゆっくり休んでくれ。」 「あ、ああ・・・。」 堅苦しい貴族の宴など催していただかない方が有難い。しかし黒鋼が呆けたような返事を返したのは、王のファイへの態度に驚いたからで。そういえば、まだファイの事は何も聞いていなかったことを思い出す。ファイを見ると同じ事を考えていたらしい、申し訳なさそうに手を合わされた。 「ゴメンね、黒鋼ー。また明日ねー。」 また明日。けれど平和な明日があるのかどうか。 事態は、深刻だ。 「そういう事だったか・・・」 ファイの報告を聞き終えて、王は背もたれに体を沈める。 「・・・すいません・・・・・・」 「お前が謝ることはない。お前に責はない。」 「でも・・・・・・」 ウィンダムはファイの祖国。その国が、セレス国を裏切り、敵国であるレクサスと手を組んだのだから。 「とにかく、無事でよかった・・・。それで、どうする。」 どうする。 それだけで、質問の意図は十分に理解できた。 「オレは、セレス国のために戦います。」 「・・・祖国に刃を向けれるか?」 「オレの国は此処です。オレには・・・・・・貴方が、全てです。」 「ファイ・・・・・・」 俯いたファイを抱き寄せて、王はやっと温まりだした背をそっと撫でる。 「ウィンダムの事は、皆には秘めておこう。無用な混乱を起こす必要はない。」 王も分かっている。このことが知れれば、この国でのファイの立場が危うくなるかもしれない事。特に、王位継承の件は、反対する者が出てくるだろう。 それでも、 「王位なんていりません・・・側に・・・・・」 「・・・・・ああ。」 コンコン 控えめなノックの後、返事も待たずに扉が開く音に黒鋼が振り向くと、開いた扉の隙間から、象牙色の髪の少女が顔を出していた。 「こんにちは!貴方黒鋼?」 「あ?ああ。」 少女は確認するとふよふよと部屋に入ってきた。 (浮いてる・・・) しかもよく見ると獣の耳が生えていないか。 「何だお前。」 「チィはチィ!ファイが作ったの!」 「作った!?」 (それは産んだって意味か?でもあいつ・・・いや、魔術師なんだから性別くらい何とかなるか?) 「どうしたの?」 「いや、なんでもねえ。それで、何か用か。」 「うん!ファイがね、黒鋼が一人で寂しがってるといけないから、話し相手にでもなってあげなさいって!」 それはそれは。どうせならファイ本人が来てくれた方が有難いのだが。 (こんなガキ相手に何話せってんだ・・・) とりあえずファイの事でも聞いてみようか。 「あいつは、どんな身分の奴なんだ?」 「ファイ?ファイはこの国の次の王様になるの!」 (ってことは王子様か?) 息子だというならあの反応も頷けるが。しかしセレス国の王は未だ独り身だったはずだ。 (いや、そういえば何年か前に・・・) 噂を耳にした覚えがある。どこぞの小民族の王子が、大国の養子になったとか。それが彼なのだろうか。たいそうな美童で王がご執心だという信じがたい噂だったので、まさか本当だとは思わなかったのだが。 (本当だったのか・・・) 翌日、ファイに噂の真相を確かめると 「えー、なんでそんな話知ってるのー?」 質問の形であっさり肯定された。 「噂だ。・・・というより、お前等の様子見てれば誰でも分かる。」 そう答えると、参ったなーと小さく呟く。あれで、隠しているつもりだったのだろうか。 今朝の朝食は3人でとった。チィも部屋にはいたが、彼女に食事は必要ないらしい。魔法生物だということで、黒鋼の妙な誤解も解けている。 黒鋼はしばらくの間セレス国への滞在を許可されたが、近々戦争が始まるゆえ、戦渦に巻き込まれぬうちに帰国せよ、との忠告つきだ。本当は今この国に、客人をもてなしている余裕などないのだろう。 「・・・別に、無理にオレに構うこたねえぞ?」 「ん?んー、気を使ってくれるのは有り難いんだけどねー。」 そう言ってファイは苦笑を浮かべる。 「こっちにはこっちの事情って言うかー、黒鋼、一応スパイでしょー。うちの内情探られると困るんだよねー。」 「・・・なるほど。」 滞在は許可されたが信用はされていないということか。それなら昨夜のチィも、同じ目的だったのかもしれない。まあ、当然といえば当然の対応だ。 「さて、じゃあどうしようかー。昨日は君の話しを聞いたから、今日はオレの話でもするー?」 「あー、そうだな。」 大国の王と小国の王子の馴れ初め話には少し興味があった。 ファイは、国の内情には触れぬように自分の生い立ちを話し出す。といっても、後半はうんざりするほど王の話ばかりだったが。そして過去に戻った時間が現代まで戻る頃には、黒鋼もファイが置かれている状況を理解した。 「・・・やばいじゃねえか。」 「うん、やばいねえ。」 へらっと笑う所を見ると、あまり悲観してはいないのか。それともただの作り笑いか。 何とかしてやりたいと、少し考えた黒鋼は、一つの案を思いつく。 「お前・・・レイアースに来ないか?」 「へ?」 「俺が帰るとき、一緒に行かないか。」 突然の誘いにファイはきょとんとした顔をして、そして冗談だと思ったのだろう、それをすぐに笑い飛ばした。 「無理だよー。オレこう見えても立派な戦力だし。それに・・・アシュラ王と離れてまで・・・」 「・・・・・・。」 ファイは、何処までも一途だ。出逢って二日、それだけが痛いほどに伝わってくる。 レクサスの地下牢で出会ってからの張り詰めた雰囲気が、王の顔を見た途端一気にほぐれたのを、一番近くで感じてからずっと。 人は、これほどまでに強く誰かを想うものか。 これほどまでにひたすらに、誰かに依存するものか。 ファイの選択に彼の名が全ての理由になる。 抱いていたのは、羨望に似た感情だったかもしれない。 「ファイ、」 突き動かされるまま、初めて名を呼んだ。そして――― 「・・・・・・ファイ?」 「あ・・・すいません」 コーヒーにミルクを入れようとしたまま手が止まっていたことに気付き、ファイは慌てて白い液体をカップに垂らす。一度沈んだ白が斑に浮かび上がり、やがて表面を覆っていく。今の自分もこんな感じだ。頭の中が真っ白になって、何も――― 「ファイ、」 「っ・・・すいません、ぼっとしちゃって・・・」 「お前らしくないな。まだ疲れが取れていないのではないか?」 「いえ・・・大丈夫・・・です・・・・・・」 確かに昨日は帰ってから、報告やら緊急会議やらであまり休めなかったが、原因はそれだけではなくて。 『俺じゃ駄目か。』 驚きと戸惑いと。とっさに適当な理由をつけて逃げてきてしまった。彼の相手はまたチィに任せて。 (なんで・・・あんな事・・・・・・) 駄目に決まっている。なんと言われようと、レイアースになど行ける訳がない。自分の祖国に刃を向けてもこの場所を守ろうとしている自分が、自らこの人のもとを離れるなんて。これから起こる戦争を放棄して、一人安全な場所に逃れるなんて。 「アシュラ王・・・」 せっかく入れたコーヒーはそのままに、ファイは王の胸に寄りかかる。いつもどおり与えられる抱擁に、いつものように酔えないのは彼のせいか。 惑っているのだろうか。違う、決意は固まっているはずだ。昨日今日出逢ったばかりの人間に何を言われようと、この想いが揺らぐはずはないのに。 「怖いんです・・・」 何がなんて分からないような、ただ漠然とした恐怖。こういうのを、嫌な予感と呼ぶのだろうか。 この夜、交える熱でも拭えない不安があるのだということを、初めて知ることになった。 開戦が近付いて城内は次第に慌しくなる。ウィンダムがレクサスと組んだと聞いたのだろう、レクサス側についた国も多い。圧倒的にセレス国に不利なまま、戦争は後数日で始まるだろう。 それでもまだ、セレス国内にウィンダムの情報は入ってこない。敵国の情報操作力に、ファイは少し安堵していた。 「急かすわけじゃないけど、そろそろ帰ったほうが良いと思うよー。」 その日も監視も含めて黒鋼の相手をしに来たファイが、呟くようにそう告げる。そんなファイに、黒鋼は幾度となく口にした言葉を繰り返す。 「俺と一緒に来い。」 「だからそれは無理だって・・・。あんまりしつこいとチィに任せて帰っちゃうよー?」 「最後までばれねえとでも思ってんのか。戦えば、敵の中にウィンダムがいることに気付く奴もいるだろ。」 「・・・王位なんていらないんだよ。此処に居られればそれでいい。」 「王位だけですめば良いがな。このままだと、ここにお前の居場所はなくなるぞ。 「・・レイアースにも、オレの居場所なんてないでしょう。」 「・・・・・・」 これから作れば良いと、陳腐な台詞が浮かんだが口には出さなかった。王の側にしか居場所はないと言い張るファイに、そんなことを言っても無駄だ。けれど、惑っているのは確かなのだ。そんなことはないなどと、それは一種の自己暗示。 本当は気付かない振りをしている。 「誰でも良かったんじゃねえのか。」 「え・・・?」 「あの王じゃなくても・・・暗くて寒い牢獄みてえな場所から連れ出してくれる奴なら、誰でも良かったんじゃねえのか。たまたまそれが、あの王だったってだけの話じゃねえか。」 突然の冷たい言葉に、ファイは思わず声を荒げる。 「違う、そんなことない!」 「違わねえ!このままここにいたら、今度は此処がお前の牢獄になるぞ!」 「ならないよ!ここにはあの人がいるのに!」 「じゃああいつ自身がお前を縛る鎖だ!連れ出した振りをして、ただ新しい場所に繋ぎ変えただけじゃねえか!」 「違うっ!!!」 漠然とした不安が、黒鋼の言葉によって次第にはっきりとした対象を得る。壊れる未来、なくなる居場所、そして何処にもいけずに立ち尽くす自分。 本当は気付いていた。王位だけの問題ではないのだ。ウィンダムの事が知られればきっと――― それでも、王が自分に手を差し伸べたあの日、今以外の未来などあったはずがないのに。 あの人が自分の全てなのに、どうして彼はこんなにも心をかき乱すのか。 「もういい帰って!オレは何があっても此処に残るから、早く自分の国に帰って!!」 「珍しいな。お前が感情的に怒鳴るなんて。」 「っ・・・・・・!」 不意に背後から聞こえた声にはっと振り向くと、いつ扉を開けたのか王が室内にいた。 「アシュラ王・・・」 表情に困惑を浮かべるファイの横に立つと、王は黒鋼に用件だけを伝える。 「敵軍が迫っている。馬と食料を用意した。今日中にここを去れ。」 「・・・・・・ファイを連れて行きたい。」 黒鋼の言葉にファイの肩がびくりと揺れる。王には、その話は一言もしなかった。けれど知っていたのだろうか、王は眉一つ動かさず、ただファイを安心させるように細い肩に手を乗せる。 「今ふられただろう。」 「テメエが命じたら従うだろうが。」 「私がそんな命を下すと思うのか?」 あっさり返された答えに、黒鋼は眉間のしわを増やす。 この男は鎖だと言った。ほんの勢いだったのだが、あながち間違いでもないのかもしれない。 「そいつが縛られてるんじゃなくて、テメエが縛ってやがんのか。」 「・・・どちらが、ではない。互いにだ。」 「離れた方がそいつのためだとは思わねえのか。少なくとも今は、この国に居るべきじゃねえだろ。」 「だから自分によこせというのは、少々自分勝手な言い分ではないか?」 「・・・・・・。」 なるほど、それも知っているわけか。 黙りこんだ黒鋼から視線をはずし、王は僅かに目を伏せる。 「・・・おそらく、いてもいなくても、結果は変わらない。しかし側にいれば、守ることもできよう。」 「・・・アシュラ王・・・・・・?」 肩を抱く手に力がこもって、ファイは王を見上げた。伏せられた瞳にはどんな未来が見えているのだろうか。読み取れるのはただ、確かな意志の光。 「この程度で壊れるほど我等は脆くない。レイアースへは一人で帰れ。」 それが、結論だ。もう動かしようもない。 「・・・・・・馬は何処だ。」 「城の入り口に待たせてある。防寒具も積ませたが、我が国のものだ。敵国の側を通ることがあるなら気をつけろ。」 「・・・・・世話になった。」 そういい残すと黒鋼は二人の横をすり抜けて部屋を出て行った。ファイは一度も黒鋼を見なかった。 「見送りは良いのか。」 問われて小さく首を振る。確かに惑っている自分が怖かった。 しばらく二人きりの沈黙を守った後、王がポツリとファイに尋ねる。 「お前は・・・世界を渡る魔法は使えるか?」 「世界・・・?」 やっと顔を上げたファイの目にまだ涙はない。王はほっと息をつくと、その瞼に口づける。 「此処とは違う世界に、次元の魔女と呼ばれる女がいる。」 「次元の魔女・・・。」 「ああ。対価さえ払えば、どんな願いでも叶えてくれる。もしどうしようもない事が起こって、私が力になれないときは、彼女の元を訪ねるといい。」 「どんな、願いでも・・・?」 「そう。相応の対価さえあれば、どんな願いでも。」 「・・・・・・分かりました。」 けれど、どんな事態に陥ったとしても、願いは一つに決まっている。 例えどんな対価を求められたとしても、きっと自分はこう願う。 『ずっと貴方のそばに―――』 BACK NEXT |