ねえ、黒鋼
きっと君の言ったことは全部正しかったんだよ

それを認める勇気が、オレになかっただけでさ―――






「眠れないー。」
自分に与えられて部屋で、ファイは今夜数度目の寝返りを打ちながら呟いた。
アシュラ王の部屋を訪れるのはもうやめた。王が自分に気兼ねなく結婚できるように、一人でも大丈夫だということを証明しなければ。
それなのに、一人では眠れないなんて。
一人で眠るベッドは広すぎて、祖国での孤独を思い出させる。
一人で堕ちる眠りの中では、必ず祖国の夢を見る。
そこではファイはいつも一人で、皆は憎しみさえこもった目でファイを見るのだ。

二度と帰りたくない場所。ずっと、出て行きたいと望んでいた場所。
人質としてセレス国に行くのだと言われたとき、正直、胸が躍った。
王を殺せといわれると、さすがにそんな気分は消えうせたが。

ずっとここにいればいい。
そう言われた瞬間、この人のためなら祖国さえ裏切れると、そう思った。
たとえ、祖国の人間からどんな謗りを受けようと。

(ただ一人に愛される人間になりたいって、こういうことかなー。)
そんなことを考えて、馬鹿馬鹿しいと頭を振った。
愛されたいなどと、そんなことを望むなんて。

けれど、ぬくもりが欲しい。
ファイは起き上がって、本棚から一冊の魔術書を取り出した。
アシュラ王は、ファイを対等に扱ってくれた。
けれど王と対等であるがゆえに、他のものにぬくもりを求めることは出来ない。
「対等な・・・存在を・・・・・・」



「・・・ファイ、」
「あ、おはようございます、アシュラ王。」
庭にファイの姿を見つけて王が声をかけると、ファイはぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。その後ろを、ふよふよとついて来る姿がある。
「・・・・・・それは?」
王が指したのは、象牙色の髪の少女。年頃は、ファイと同じくらい、いや、少しファイのほうが上だろうか。
人の気配がしないのは、髪の間から覗く獣の耳の所為か、それとも彼女の体が宙に浮いているからか。

「魔法生物・・・?」
「はい、チィって言います。」
「どうしたんだ。」
「創りました。」
「創った・・・?」
あっさりと返ってきた答えに目を丸くする王に構わず、ファイはチィにはじめましてのご挨拶などさせている。

生命体の創造。彼は自分の使った魔法がどれほど高等なものか分かっているのだろうか。命を創り出すなど、しかも小動物ならともかく、ほぼ人間の形をした生物。
殆ど神の領域だ。
(魔力を封印したままで、ここまで・・・)
ファイは、これまで人前で魔力を使うことはあまりなかった。祖国にいたときの記憶のためだろう。だから、どれほどの魔力が使えるのか、あまり認識していなかったが。
なるほど、封印が施されるわけだ。

まじまじと見詰めていた王は、ふと、ファイの目元が赤いことに気付く。
「ファイ、昨夜は眠れなかったのか?」
「いえ、ちょっと、チィを創りだしたら夢中になっちゃって・・・。あんまり寝てませんけど、眠れないわけじゃありませんからー。」
笑顔に焦りが滲んでいた。図星だったのだろう。
「一人では眠れないと言っていたが、もう大丈夫なのか?」
「はい、いつまでも子供じゃありません。それに、今夜からはチィがいます。」
(やはり・・・か。)

つまり、チィを創ったから寝ていないのではなく、眠れないからチィを創ったのだと。
(この子は私の代わりか。)
やはり誰でもよかったのだろうか。ファイにとっては。ぬくもりを与えてくれる存在なら、誰でも。
それともただ心配をかけさせまいとしているだけなのだろうか。
(どちらにせよ・・・)
ファイが拒む以上、王の方からファイを呼ぶことは出来ない。
果たさねばならぬ義務がある。
それに、ファイにとっては自分が代わりのきく存在であったのなら、こんな感情を、押し付けるわけには行かない。
眠れぬ夜を過ごすのは、自分ひとりで十分だ。



嘘をついたつもりはなかった。
「眠れる予定だったんだけどねー。」
苦笑して、ファイはベッドの上に体を起こした。額に汗が滲んでいる。
隣にはチィがいるのに、悪夢に目が覚めた。王の隣で眠るときは、不思議と幸せな夢しか見なかったのに。
一度目が覚めてしまうと、もう眠れない。
「アシュラ王じゃなきゃ、駄目なんだなあ。」
分かっていたはずだ。もうずっと前から。
離れたくないと願ったのは、今までで彼ただ一人。出逢った瞬間から、特別な存在だった。
けれどこんな想いを、一国の王であるあの人に伝えるわけには行かないのに。

「どうしよう・・・」
「ファイ・・・どうしたの・・・?」
「チィ、なんでもないよ。ごめん、起こしちゃったねー。」
笑って誤魔化したが、チィは起き上がってファイの顔を見詰めた。そこには、隠し切れない哀しみの証拠がある。
「ファイ、目から水が出てる。」
「これは・・・涙って言うんだ。」
「涙?」
「そう、苦しいときに流れるんだよ。」
「苦しい・・・?それ何?」
「うーん、色々あるけど・・・色んな感情で、胸がいっぱいになることかな。『悲しい』とか、『嬉しい』とか。」

今は、胸が引き裂かれそうなほどの哀しみで苦しい。

「よく分からない・・・。」
「チィも、経験したら分かるよ。」
そういってファイは袖で涙を拭った。
チィを創ってよかった。涙がどんなものか知らないチィの前では、いくらでも涙を流せるから。

「ねえ、あれは何?」
ふとチィが指差した先、窓ガラスの向こうに、今夜は珍しく月が出ていた。
年中雪雲が空を覆うこの国で、月が見れる夜など滅多にない。
「・・・・・・・・。」
ファイは突然、何かを思い出したかのようにベッドを降りた。
「ファイ、何処行くの?」
「ゴメン、チィは寝てて。」
そういい残して部屋を飛び出す。廊下に大きく響く足音も、全く気にならなかった。
ただひたすら、ある場所を目指して。



『ファイ、まじないを教えてやろう。』
『おまじない・・・ですか・・・?』
あれは、この国に来て間もないころ。城の中心に位置する部屋を、王に案内してもらったときの事。その部屋には、泉があった。
『これは、不凍の泉。決してこの水が凍ることはない。この泉に月が映る夜、水面の月に向かって願いを口にする。』
『月なんて、殆ど出ないじゃないですか。』
『だから、叶う気がしないか?』



今夜はきっと月が映っている。
(でも、何を願うの・・・?)
王が結婚しなければ良いとでも?そんなこと、願ってはいけないのに。
眠れる夜が欲しいと?そんなものはいらない。眠りたいわけではない。
ぬくもりが欲しいわけでもない。ただ、あの人の側にいたいだけ。
そんな時間が、いつまでも続くわけがないのに。

『誰にも・・・嫌われない人間になりたい・・・』
『私なら・・・ただ一人に愛される人間になりたい。』
「オ・・・レは・・・・・・」
たどり着いた泉の縁に手をかけて、そこに揺れる月に願う。
「オレは・・・愛してもらえるなら・・・あの人が良い・・・・・・」
やっと口にした、それでもどこか控えめな願いは、水面の上に響いて消えた。

何事もなかったかのように、静寂が戻ってくる。
何事も起こらずに、虚無感が襲ってくる。
本当に、何かが起こるとでも思ったのだろうか。

「あ・・はは・・・・・バカみたい・・・」
自嘲の笑いをこぼして、ファイは軽く水面を叩いた。願いを叶えない月など、そこに映っている意味がない。早く雲に隠れてしまえばいいと。月明かりに照らされると、ただ惨めになるだけだから。
「叶うわけないのに・・・。」
それでも叶えば良いと思うなんて。
行き場のない哀しみを、もう一度、今度はありったけの力で、水面にぶつけた。

「そんなことをしては、月が怒ってしまうぞ?」
不意に、静寂を破った声。
振り返る前からファイは瞠目する。
聞き違えるはずなどない。まさか本当に、月の導きだろうか。
「アシュラ王・・・」
「願いは、確実に月へ届けないと。『あの人』では月には伝わらない。」
そう言いながら、王はファイの隣に立って、水面の月を見下ろす。
そして口にする願いは、

「どうか今宵、ファイが涙に凍えていないように」

「・・・・・王・・・」
「それとも、もう手遅れか?」
王がファイの頬に手を伸ばす。そこには、確かに涙が伝った跡があった。
「人前で感情を表すことは、決して悪いことではない。独りで泣くくらいなら私の元へおいで。」
「独りじゃ・・・ありません・・・・チィが・・」
「では何故お前はここにいる?」
「・・・・・・」
答えられなかった。けれど、分かってはいた。
結局は何も変わらなかったからだ。涙を知らないチィの前で泣くことは、独りで泣いているのと同じだったから。

「愛して欲しい者がいるのだな。」
王はファイの前に膝をつき、そっとファイを抱き寄せた。
「私は、愛したい者がいる。しかし、それは王としては許されない。後々、相手を苦しめることにもなる。分かっているのに、独りで泣いているのではないかと、気になって仕方がない。・・・それなのに、私にはただ、泣いていないようにと、祈ることしか出来ない。」
「アシュラ王・・・」
「ファイ、私はどうすれば良い?」

見詰め返す瞳は、まるで鏡でも見ているかのような気分だった。
同じことで苦しんでいたのに、どうして互いに気付けなかったのだろう。
きっと、答えも、互いの中で決まっている。
それは鏡に映したように。

「どうしたいんですか・・・?」
「・・・私から求めることは出来ない。けれど、苦しむと分かっていて、それでも求めてくれるなら、私は世界さえ敵に回そう。」
答えは決まっている。

求めて欲しい彼と。
求めたい自分と。

それは鏡に映したように。
逆に見えて、本当はたった一つの。

「・・・オレを・・・愛してください・・・・・・。」

その一言が、禁を破る呪文のように、柔らかい月明かりの中、二人の影が重なった。



数日後、王はファイにセレス国内での魔術師としての地位を与えた。それは、ファイをこの国の人間として認めるということ。
しかし背中の刺青のために、王と対等というそれまでの地位も変わらず、少し強引ではあるが、これが事実上の養子縁組となる。
予想に反して、反対意見は殆ど出なかった。異国の王子としてその存在を懸念していた者はいたが、個人としてのファイを嫌う者はいなかったようだ。
地位の証として与えられた魔法具よりも、ファイにとっては、王の側にいられるということのほうが、遥かに喜ばしいことだった。






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