ねえ黒鋼
あんな形で終わったオレ達だけど
始まりさえしなかったオレ達だけど

出会わなければよかったとは、今も思えないんだ――――
 
 
 
 
 
「薬湯?お前が煎じたのか?」
「はい、お口に合うかは分かりませんけど・・・」
「はは、薬湯が口に合うものか。」
そう言って笑いながら、王はファイが差し出したカップを受け取った。

王とて人間。お風邪を召されることもある。
昨日から熱が引かず、本人もまいっていたところだ。
薬湯にありがちな怪しい色の液体を、王は躊躇することなく飲み干す。そして、少し目を丸くした。
「飲みやすいな。甘味がある。」
「苦い薬って嫌ですからー。」
「全くだ。」
二人で笑うと、部屋にいた医師がわざとらしく咳払いした。
「ほら、いつまでも居座らないで。陛下の御体に響きます。」
「あ、すいません。」
ファイは素直に謝って、
「アシュラ王、早く良くなってくださいね。」
そう言い置いて部屋を出て行った。

「可愛いですねえ。」
部屋の隅に控えていた侍女がほうと息を漏らす。
ファイがこの国に来てもう3年になる。最初のうちは緊張していたファイだったが、次第に周囲とも打ち解け、この国での生活にも馴染んだようだ。
アシュラ王の下で魔術の修行も積み、最近では薬草の研究も始めたらしい。

「薬湯を煎じてくれたのは初めてだな。」
「しかし大丈夫なのですか。彼は医学に関しては素人でしょう。」
「お前のくすりよりは飲みやすかったぞ?」
「砂糖でも入れたのでしょう、非常識な。」
医者は少し不機嫌だ。侍女たちがそれを見てくすくす笑う。
「ファイ様も、先生の腕を信用しないわけではありませんわ。陛下に、少しでも早く良くなって頂きたいだけで。」
「そうそう、昨夜は久しぶりの一人寝で、随分寂しい思いをなさったようですから。」
「ああ、それは気の毒なことをした。」

ファイは、毎夜、王の部屋を訪れる。一緒に寝ても良いですか、と。
一人でいると、祖国の部屋を思い出すのだという。
それは決して懐古ではなく、暗く寒い、独りきりの空間への恐怖だ。
さすがに、シーツ一枚で通ってくることはなくなったが。

「初めてお会いしたときは、随分大人びて見えましたが、まだ子供ですね。」
「ああ。可愛いものだ。今夜は来ても良いと伝えておいてくれぬか?」
にっこりと侍女にそう頼む王に、医者が思わず目をむいた。
「陛下!まだお体が!」
「いや、随分と楽になった。ファイの薬が効いたようだ。」
「そんな馬鹿な・・・!」
「あら、でも確かにお顔の色が。」

王は空になったカップを弄んで小さく笑う。
「さすが、ウィンダムの民の中でも一目置かれていただけの事はある。物凄い才能だな。」
「・・・・・・しかし、所詮は他国の人間です。あまりお側に置くのもどうかと。」
医師が、少し雰囲気を重々しくして進言する。
ファイはセレス国の人間ではなく、かつての敵国の王子。
今は其の国と協定を結んではいるが、それもどうなることやら。信用の置けない国だ。
ファイ自身はセレス国のほうに愛着を抱いているようだが、だからといってファイがずっとこの国にいるとは限らない。もし何かの拍子に帰国した際、この国の情報があちらに漏れたら。そう危惧する者もいる。

「それは大丈夫だ。ファイに政治のことは話していない。ファイの身に危険が及ぶことも考えられるからな。」
「それだけではございません。」
「他に何が?」
「大臣が嘆いておりましたぞ。早く后をめとって、お世継ぎをお作りになって欲しいと。」
「・・・・・・・・・・・・世継ぎか・・・・・・」


いつまでも、今のままではいられない。
国王として、果たさねばならない義務がある。
ファイはあくまでも人質としてこの国にいる身。側に置く事を反対するものもいる。
望まなくてもいつかきっと、互いの姿が消えていく。




「・・・王?」
「ん?」
「あの・・・まだご気分が?」
ファイが、王を見上げて心配そうな表情を見せる。
「いや、少し考え事だ。」
そう誤魔化して、王はベッドに腰をかけた。手にしたグラスの中で、赤いワインが揺れる。就寝前に体を温める、少しきつめの酒だ。こんなものがなくても、二人で眠るベッドの中を、寒いと感じることはないのだが。

「ファイ、願いがあるか?」
「願い・・・ですか・・・?」
「ああ。どんなものでも良い。欲しいものでも、将来の夢でも。」
「・・・えっと・・・・・・」
少し悩んで、ファイはこう答えた。
「・・・誰にも、嫌われない人間になりたい・・・。」
「嫌われない・・・か。」

言葉というのは、不思議なものだ。
”誰にでも好かれる人間になりたい。”
”誰にも嫌われない人間になりたい。”
似ているようで、大違い。

ファイの心には、故国で負った傷が、まだ深く残っている。
(独りに・・・したくないんだがな・・・・・・)
それでも、いつまでもこのままではいられない。
側に置いておきたいと想うのは、きっとファイのためではなく自分のためだ。
もう彼のいない日々など考えられないほど、心の中で、ファイの位置が変わっていく。
独りにしたくないと。
その理由を聞けば、ファイはどんな顔をするのだろうか。
こんな願い、叶うはずがないのに。

「寂しいことを言うのだな。嫌われないなら、誰の目にも留まらなくてもよいのか?」
「・・・・・・嫌われるよりは。」
「私にも?」
「・・・・・それは・・・」
困ったように目を伏せるファイを、王はそっと抱き寄せた。
「私なら・・・皆に嫌われても良いから、ただ一人に愛される人間になりたい。」
「一人・・・だけでいいんですか・・・・・・?」
「ああ。」

この腕の中の一人のためなら、たとえ世界中を敵に回しても。
誰に憎まれても。誰に謗られても。

口では、なんとでもいえるのに。

「アシュラ王・・・今日は何か変です・・・」
「そうか・・・?」
「・・・何かあったんですか?」
「・・・・・・・・・そろそろ、后を迎えろと言われてな。」
「后・・・」

予想外の言葉だったのか、ファイの目が大きく見開かれて、濃い影を帯びる。
その言葉が意味することが分かるのだろう。
そして、そんな顔をしてはいけないと思ったのだろうか。少しいびつな作り笑いを浮かべてみせた。
「そうですね・・・。オレもいつまでも子供じゃないんだし、そろそろ一人で寝れるようにならないと。」
「・・・まだ決まったわけではない。」
「でも、良い機会です。明日からは・・・・・・」

台詞は最後まで紡がれずに、ファイが俯くと前髪がその表情まで隠した。
顔を上げろと、言うことなどできない。
もしあの美しい青い瞳が涙に濡れていたら、自分の方が揺らいでしまいそうだ。
ファイは懸命に、弱さを見せまいとしているのに。

何を求めている。
ぬくもりを失うことへの恐怖の涙を、無理矢理別の意味に置き換えて。
そしてそれが真実であればいいと。



その夜は一緒に眠りに就いた。
翌朝王が目覚めると、もうファイの姿は部屋にはなく、次の晩からは、ファイが王の部屋を訪れることはなくなった。






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