「元いた所へ今すぐ返せ」
自分の声に重なった、けれど正反対の台詞に振り向けば
捕らえた瞳はあの時と同じ紅い輝き

―――黒・・・鋼・・・・・・?

ああ、こんな形でまた、君に出会うなんて―――


 
 
 
 


此処は雪に閉ざされた世界。
この世界では強さとはすなわち、生命力。生き延びる可能性を指す。
弱きものは生きる術を失い、強者に縋ることを拒めば雪の中に葬られる。
強きものだけが、ぬくもりと食料を手に入れ、生き残っていくのだ。
氷に閉ざされた世界での、それが唯一の掟。
 
セレス国。
アシュラという名の王が治めるその国は、この世界一の大国。それ故に、争いを挑まれることも多かった。
そして、その戦力は、単なる一部族が戦いを挑むには、あまりにも強力すぎた。

「陛下、」
「・・・・・・どうした。」
目を閉じ、何事かを考えている風だった男は、声を掛けられてゆっくりと瞼を上げた。その瞳に写ったのは、この国の兵と、彼が連れた一人の少年。細い両手首に枷をはめられ、その枷から伸びる鎖は、兵がしっかりと握っている。
「・・・・・・それは?」
「敵が人質として差し出しました。講和を求めています。」
「負けを認めたか・・・。」

セレス国が現在戦争しているのは、ウィンダムの民と呼ばれる部族。鳥の姿をした神をあがめる者達が集まって作った部族で、一応王がいるが、国家と呼ぶには少し規模が小さい。
しかし、魔術だけはこの世界でトップレベルを誇っている。その力は大国も恐れをなすほど。身の程知らずにもセレス国に戦いを挑んだのは、その力を過信したためか。国全体の戦力では、彼らはセレス国の足元にも及ばなかった。

(しかしまあ、よく戦った方だろう。)

人質を差し出すということは、負けを認めセレス国に従うということ。もし再び歯向かうようなことがあれば、人質は殺してもかまわないと。つまり人質は、あちらにとってそれなりに価値のある人物である必要があるのだが、それにしてはこの少年は幼く見える。
王は、静かに立ち上がり、少年に歩み寄った。
長引いた戦のためだろう、少しやせて薄汚れてはいたが、美しい顔をした少年だった。雪国に住む者特有の肌の白さ。それに、この国では滅多に見ることのない、青空を映したような瞳。金の髪も少しくすんではいるが、汚れを落としてやればさぞ美しく輝くだろう。

見下ろすと、少年は真っ直ぐに王を見返した。
こんな状況で臆することもなく、いや、少し青ざめてはいるが、どんなときも、背筋を伸ばして立つことを知っている。
「かなりの身分のものと見える。名は?」
「・・ファイ・D・フローライトです。」
少年特有の少し高い声音は、耳に心地よく響いた。
「フローライト・・・。では、王の血族か?」
「はい。」
「これは・・・大した人質だな。」

ほう、と溜息を漏らすと、ファイを連れてきた兵が詳しい事情を報告する。
「この子はウィンダム王家の末に当たり、王位継承権は殆どありません。そして・・・強力な魔力の持ち主らしく、国内でも、あまり良い扱いは受けていなかったようで。」
要するに、体の良い厄介払いというわけだ。
魔術に長けた部族が、魔力が強いという理由でこんな少年を忌み嫌うとは。
細い体からは、確かに強い魔力を感じるが、
「それほど強い力とは思えない。」
「今は、封印が施されているようです。」
「封印・・・?」
「は。」

兵は、ファイに後ろを向くように命じ、その服をめくりあげた。
すると、その狭い背中一面に、大きな鳥の刺青。
「ウィンダムか・・・」
それは、彼らが崇める、鳥の姿をした神だった。
彼らの王家の紋章にも描かれている姿だ。

「どうなさいますか。このような事情があるのなら、人質としては、不十分かと思われますが。」
「・・・・・・。」
問われて、王は再び少年を見据える。
忌み嫌われていたという話を間近で聞いても、動揺する様子さえ見せない。
もう、慣れてしまったのだろうか。
静けさを湛えた瞳は、けれど、深い哀しみに沈んでいるように見えた。

「・・・・・・枷を・・・」
「は?」
「枷を外して差し上げろ。人質とは言え一国の王子。相応の待遇を。決して無礼のないように。」
「・・・・・・・は・・・はっ!」
命令の意味が分からず一瞬方呆けていた兵は、慌ててファイの手を枷から解放した。
しかし兵以上に驚いたのはファイの方らしく、大きな眼を更に大きくして王を見詰めている。ひどい扱いを受けると予想していたのだろう。
王は、柔和な笑みを浮かべてファイの前に膝をつき、目線をファイより低くした。

「ファイ。私の名はアシュラ。」
「・・・アシュ・・ラ・・・王・・・・・・」
途惑いながらそう呟いたファイの肩に、王は優しく手を置く。
「お前は今日からこの国で生活することになるが、何か不自由があればすぐに言うがいい。私とお前は対等だ。気兼ねする必要はない。」
「・・・・・・はい。」
人のぬくもりに触れ、ほっとしたのだろう。ファイは一度顔を輝かせて。
そしてその直後、心なしか、瞳に秘められた悲しみが、濃度を増したように見えた。




その夜、ドアを叩く音に王は顔を上げた。こんな夜中に、侍女ではあるまい。
「誰だ?」
声を掛けても返事はない。不審に思い、自らドアに手をかける。
攻撃されればいつでも反撃できるよう心の準備をして。けれどそこにいたのは、肩からシーツを羽織ったファイだった。
風呂に入れてもらったのだろう、金の髪は昼間より光を増している。思ったとおり、美しい。

「どうした?」
「あ、あの・・・」
「眠れないか?」
「いえ・・・あ・・・・・・の・・・・・・」
ファイが俯くと、少し癖のある髪が零れ落ちて、ファイの表情を隠した。

しかし、シーツに覆われた肩が小刻みに震えている。
「・・・・・中へ。廊下では寒いだろう。」
部屋に招きいれようとしたが、ファイの足は竦んだように動かない。
「ファイ、」
「っ・・・・・・!」
肩にそっと手を置くと、びくんと、過剰なほどの反応が返ってきた。
「あ・・・・・・あのっ・・・・・・・」
今にも泣き出しそうな瞳に、恐怖の色が見て取れる。
何かにひどく怯えている。

さっきの拍子に肩からシーツがずり落ち、白い肌が見えた。
下には何も着ていない。
つまり、そういう目的で来たという事。
そういう目的で、彼の国は彼をよこしたのだと言う事。
なんとなく、分かってはいたが。

「・・・・・・そんな薄着では風邪を引いてしまう。おいで。」
「え、あっ・・・」
王は、強引にファイを抱き上げ、体でドアを閉めた。
ファイは、それなりの覚悟は決めてきたのだろう、抵抗こそしなかったが、腕に抱いた体は硬く緊張し、シーツを握り締める指は、かわいそうなほど白くなっている。
まだ幼い子供だ。彼の国は、なんと酷なことを命じるのだろうか。

王は、そっとファイをベッドに降ろすと、そのまま体に毛布を掛けた。
「あ、の・・・・・・?」
「今夜は此処で眠るといい。私はもう少し起きているが。」
「待っ・・・、お、お願いします!オレ・・・・・・、オレを・・・・・・っ」
背を向けると、ファイは慌ててベッドの上に体を起こした。
縋るような目で見詰められる。けれどそれはむしろ、助けを求めているように見えた。

「・・・・・・刃物を持っているか?」
「っ・・・」
「出しなさい。」
そういう目的で、彼の国は彼をよこしたのだ。

油断させて、隙を見て殺せと。
どんな大国でも、トップが死ねば統制が乱れる。そこを狙って、という魂胆なのだろう。
講和はただのおとりだ。まだ諦めてはいない。
しかしその役目を、こんな子供に命じるとは。

ファイが恐る恐る差し出した短刀を受け取ると、王はそれをベッド脇のサイドテーブルの上に置いた。
「アシュラ王・・・?」
ファイが、途惑った声を上げる。
そこは、ベッドの中からでもすぐに手が届く位置。取り上げる意味がない。
しかし、王はただ優しい笑みを返した。
「こんなものを持って寝ては危険だろう。私を殺すなら明日以降でも出来る。私は逃げも隠れもしないから、今日はゆっくり休みなさい。」
「で・・・も・・・・・・」
何か言いかけて、ファイの目から涙がこぼれた。

「何を泣く?」
「・・・・・わ、分か、りません・・・」
自分でも驚いた風に、ファイは慌てて目を擦った。
王族は人に弱みを見せてはいけない。だから人前で泣くなど言語道断。そういう教育は受けてきたのだろう。
けれど、涙は止まらない。王は、そっとファイを抱き寄せた。
「私を殺さねば、罰を受けるのか。」
胸の中で、ファイが頷くのが分かった。

まだ出逢って半日ほどしか経っていないが、故国でのファイの生活は容易に想像がついた。時々、触れられることに怯えることがある。そして、優しさに途惑った顔をする。王族に生まれながら、随分、乱暴な扱いを受けてきたのだろう。
「でも・・・」
「何だ?」
「・・・・・貴方を・・・・・・殺したくないんです・・・・・・」
それは、この国に来て初めて、ファイが口にした彼の意志。
暗殺者に仕立て上げるつもりなら、愛国心を教え込むべきだ。そのためには、まず愛してやるべきだ。自分を愛さない国の為に、誰が人を殺せよう。
そしてファイは、優しさを知ってしまった。祖国ではない、この国で。

「では殺さなければ良い。」
その腕で、その言葉で、王はファイを受け入れる。
「ずっとここにいればいい。人質として差し出した以上、向こうはお前を返せとは言えない。そしてこの背の刺青は、ウィンダム王家の紋章。王家の証を身に刻んだお前は、この国で私と対等でいられる。お前を罰するものはここにはいない。」
「ずっと・・・ここに・・・?」
「ああ。眠れぬ夜は此処に来ると良い。温もりくらいは分けてやれよう。」」
ファイは、確かめるように王を見上げた。そしてその瞳に、真実の色を見たのだろう。
ほっと息をついて、再び王の胸に顔を埋める。
「アシュラ王・・・」
「ん?」
「ありがとう・・・ございます・・・」
「ああ。」
そっと髪を撫でてやると、ファイは安心したように目を閉じた。



翌日、ウィンダムとセレスは講和条約を結び、戦争は終結した。
しかし、ファイを刺客として差し向けた国が、ファイが失敗した程度で簡単に諦めるはずもない。きっと、この条約はいつか破られるだろう。ファイは、人質としては役不足だ。
それでも数年間、それは薄氷の上の平和ごっこだったかもしれないが、穏やかな日々は続いた。









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