2DAYS











『僕を殺してください。』
そう言って、夢の中の青年は目を伏せた。
『・・・名前は?』
青年の後ろにそびえる桜を見上げながら尋ねた。ここは3年前、彼の姉を殺した場所。
『貴方は誰ですか。』
『・・・・・・牙暁』
青年は短く答えて、もう一度、同じ願いを繰り返す。
『僕を殺してください・・・』
『・・・・・・・』
形式は随分変わっているが、これはどうやら桜塚護への依頼らしい。
『・・・お断りします。』
『っ・・・・・』
はっと顔を上げた牙暁の縋るような眼差しを笑顔で撥ね退ける。
『北都ちゃんの関係者でしょう?貴方を殺せばまた北都ちゃんに叱られそうです。』
冗談めかしてそういった後、今度は目を細めて、
『それに、貴方を殺すのは僕じゃないような気がします。それは貴方が、一番良く知っているのでは?』
彼は、夢の中に未来を垣間見る者。
『話に聞いたことはありましたが、本物の夢見に会うのは初めてですよ。』
『・・・・・・僕を殺してください』
それでもなお、彼の言葉は、一つだけ。
『・・・・・貴方は未来を知っているはずです。僕は貴方を殺すんですか?』
『・・・・・・・・』
牙暁は其の答えを口にする代わりに、静かに項垂れた。
ザァと、あの日のように風が吹いて、桜の花弁が散る。銀糸のような牙暁の髪と、星史郎のコートも翻った。
牙暁の前に膝を付いた。初めて、同じ高さに目線が合う。
『夢見の夢は外れない。それなら、教えて欲しいことがあります。貴方を殺しはしませんが、其の答えに見合うことなら叶えます。』
『・・・・・・・・・・・・・何を、知りたいんですか。』
『僕が、死ぬ日を教えてください。』
 
 
 
7日間の賭け。最初の3日間は、昴流の仕事の合間を縫うように食事や買い物に行った。昔と同じように振舞いながら、しかし昔二人で行った場所は避けた。
昴流も星史郎に合わせたのか、昔のように何も知らないように振舞った。あくまでも『続き』なのだからそんな必要はないのに、無理をしているのではないかと心配していたら、案の定3日目に限界が来た。
「・・・・・・やっぱり無理です。」
「・・・賭けが、ですか。」
7日間、持たないかもしれないと不安を抱いてはいたが、それでも自分は変わったという彼の言葉を信じていたのに。
(たった3日・・・)
「何が駄目なんです?」
「・・・・・・北都ちゃんがいない・・・」
「・・・・・・」
昔通りを装っても決して昔言った場所に行かないのは、ほんの些細な変化にも昔とのギャップを感じることを恐れたからなのに。二人で過ごした場所より彼の帰る場所に、何よりも大きな変化があった。3年前に殺した彼女が、今になってもまだ。
「僕の負けで構いません。賭けは終わりにしてください。」
殺してくれと、暗にそういわれて、星史郎は思わず眉を顰める。
だから続きだといったのに。殺意が萎えてしまっては、賭けの本旨から外れるではないか。
さて、どうしたものか。
 
「昴流君、明日、明後日のご予定は?」
下手に昔行った場所を避けるより、確実に殺意を深める場所へ。
「・・・明日は、午前中に仕事が一件。明後日は何も・・・」
「じゃあ明日の午後からはお暇ですね?」
「・・・はい・・一応。」
「では、北都ちゃんのお墓参りに行きませんか。京都ですよね?」
「・・・はい。」
唐突な提案に昴流は目を見張ってから、思い出したように肯定の返事。
「明日の昼の東京を出て・・・平日ですから新幹線もホテルも空きがあるでしょう。向こうで一泊して明後日帰ってくるというのは・・・あ、夜は本家に泊まる方が良いですか?せっかく行くならおばあさまにも顔を見せたほうが」
「でも・・・星史郎さんは?」
「実は、あっちで『仕事』が・・・」
急ぐものでもないのでこの賭けが終わってからでいいかと思っていたが、ついでに終わらせてしまえばいいかと。しかし、『仕事』という言葉が不興を買ったか、昴流は少し答えかねているようで、
「じゃあ・・・お墓参りは明日のうちに。」
短い間の後に返された言葉は意外にも『仕事』に対して肯定的で、星史郎の方が驚いた。
 
 
 
翌日、京都に着いたその足で北都の墓に向かって、墓参りが済むと昴流は実家に向かった。
星史郎は一人、夜闇が迫る町へ向かう。
 
『僕が死ぬ日をしえてください。』
『・・・・・・・・・・1999年――』
意外に遠い命日を告げられた後、牙暁の願いを訊いた。
『・・・北都の墓に花を・・・』
『それだけでいいんですか?』
『僕はいけないから・・・。北都の所へも・・・約束の場所へも・・・』
 
墓場に似合う花より北都に似合う明るい花で作ってもらった花束を持って、墓に戻った頃には日はすっかり落ちていた。暗くなった墓場に星史郎以外の人影はない。
「ボーイフレンドからです。あ、彼氏ですか?詳しいことは聞かなかったんですが。でも彼相手では団地妻の夢は叶いそうにありませんから、やっぱりお友達でしょうか。」
線香にライターで火をつけながら、冗談めかして話す。どうしたってもうその夢は叶わないこと、それが自分の所為だということは重々承知の上。
さっき昴流が供えた線香はもう燃え尽きていて、新しい線香をさした後、星史郎は少しだけ手を合わせた。自分が殺した人間の墓参りなんて、変な気分だ。向こうもきっとそうだろうが。
これが『仕事』。昴流は暗殺の方だと思ったようだが、まあわざわざ訂正する必要もあるまい。暗殺集団桜塚護。殺すべき対象。彼の中の自分は、それでいい。

「・・・何をしているんだと思っていますか」
同じライターで今度は自分の煙草に火をつけた。夜闇の中に、白い煙が二本。
「何を、しているんでしょうねえ。」
星史郎はそう呟きながら、煙と共に自嘲の笑みを吐き出した。
「本当の事なんて何もなかったと、そんな事を言うんですよ。まあ確かにそうなんですが。」
目を閉じると、初めて昴流に会った日の情景が浮かび上がる。まだ幼い、澄んだ瞳の少年。殺そうと思えばその場で殺せたのに、なぜかそんな気になれなかった。それどころか、いつかもう一度出会いたいと。きっとその澄んだ瞳のまま、成長するであろう彼に。

「嘘だという前提で口にした言葉は、真実を表していたとしても嘘になるんでしょうか。」
好き。やはり、理解できない感情だ。
けれど、自分を殺す相手は、初めて出逢ったあの日から、昴流以外に考えられなくて。
1年かけて試したのは、自分が人を好きになれるかではなく、彼が自分を殺せるかどうか。
「一年間好意を示し続けた相手に突然裏切られれば、殺意とまでは行かなくても恨みや憎しみを抱いてもいいものでしょう。それなのに彼はただ絶望して泣くだけでした。」
これが、好きという感情だというなら、好きな人に殺されるはずの自分が好きになったのは、人を殺せない彼。
「だから、貴方を殺せばと思ったんですが・・・・」
昴流は確かに、殺意を抱いた。しかし、
「僕が死ぬのは1999年らしいです。あんまり遠いので、本当に彼なのかと思って。確かめるつもりで近付きました。殺すと仰って下さいましたよ。声は震えていましたが。」
だから一週間ほど側にいれば、憎しみは凝固して、より確かな殺意に変わるかと思ったのに。
「たった3日で、殺してくれといわれました。それで貴方のお墓を見せれば、殺意も蘇るかと思ったんですが・・・どうでしょうねえ・・・。」
意外にあっさり星史郎の墓参りを許可したから、あまり効果は期待できないかもしれない。

「出来れば彼の意思で殺して欲しいんですが、どうしても駄目なら、貴方が遺した術を使っていいですか。」
北都を殺した時と同じ術で昴流を殺そうとすれば、その術はそのまま自分に返ってくる。1999年まで待つ必要もない。この賭けが終わる7日目にでも、昴流の意思を無視して、昴流に殺されることができる。けれど、それでは昴流は――
「きっと・・・また泣くんでしょうね・・・彼は優しいから・・・・・・。」
たとえ姉の敵を討つのだとしても、其のことで深く傷ついて。

北都が答えを返すことはなくて、けれど無愛想な墓石がそのまま彼女の心情だろうと。苦笑して星史郎は煙草を落とした。殆ど吸わなかったそれを足でもみ消すと、モラルに則って吸殻は拾い上げる。
「まあ、なるようになるでしょう。遅くても1999年にはそちらに行きますから、文句があれば其の時に。」
それでは、と別れを告げて、星史郎は北都の墓に背を向けた。夜風がコートの裾を翻す。ふと、先日昴流が、『永遠』を暗示するような夢を見たと言っていたことを思い出した。『永遠』―――殺して欲しいのだろうか。けれど己の望みを貫くなら、星史郎が其の願いをかなえてやることは出来ない。
「人を好きになっちゃいけない人なんていなくても・・・僕は彼を、好きになってはいけなかったんですよ・・・きっと・・・。」
呟きは、木々のざわめきと共に夜闇に消えた。
 
 
 
翌日、駅で待ち合わせた昴流は、相変わらず冴えない顔をしていた。里帰りも墓参りも効果なしかと半ば諦めつつ、それでもせめて7日間くらいはもってくれるだろうかと微かに期待を抱いていたが、東京に帰りついた後、昴流をマンションまで送ったついでにお茶を勧められて、また昨日と同じ台詞を告げられる。
「僕の負けで構いません・・・賭けは終わりにしてください・・・。」
「・・・・・・」
少しはこちらの苦労も分かってくれないだろうか。星史郎はカチャリとカップを置いた。そして、慎重に言葉を選ぶ。けれど慎重になればなるほど、陳腐な台詞しか出てこない。
「・・・後2日ですよ。たった2日。」
残りの日数など今問題ではない。其の二日が終わった後ですら殺す気はないのに、何を言っているのか。
自分で納得していない説得に相手が応じるはずもなく、昴流は首を横にふる。
「でも、もう・・・無理なんです・・・やっぱり・・・人は変われません・・・変われないんです・・・」
変われると、自分で言っておきながら、昴流は自分で否定する。自分の決意だけでなく、星史郎の願いまで否定したことに気づかずに。
「殺してください・・・」
「・・・・・・・・」
星史郎は、ゆっくりとカップに口をつけた。何か、口にしたい感情があるのに、それが上手く表現できない。これまで感情を表に出すことなど滅多になかったから。そんな事を考えた後に、自分に感情なんてあったのかと、もっと根本的なところに驚いた。
そんな内心は見せずに、どこか虚ろな説得を続けて見る。
「君は・・・自分が勝つとは思わないんですか。自分が勝って、2日後に僕を殺せると。それが、君の願いでしょう。」
「僕には貴方を殺せません・・・・・・殺してください・・・」
「賭けの期限は2日後です。それまでは、僕は君を殺しません。」
「でももうっ・・・・・・貴方の側には居られません・・・」
「後2日でいいんです。側に居てください。」
なんだろうこれは。口にした台詞をもう一度頭の中で反芻してやっと意味を理解しているようなおかしな感覚に襲われる。そして遅れて気づくのは、其の台詞が既に説得の形を成していないこと。側に居てくださいなどと――これはもはや、懇願だ。
そういえば京都に行こうと提案した時も、7日間の賭けを完遂する方法を、必死で考えてはいなかったか。せめて7日間と、賭けという体の良い理由をつけて、共に過ごす時間を楽しんではいなかったか。好きだと、実感を伴わずとも恐らく抱いている想いを、口に出来ることに喜びを感じてはいなかったか。振り返る過去の自分は、それが自分だとは思えないほどに滑稽ではなかったか。

「・・・・・・・・・それなら・・・」
昴流の声が震える。まっすぐに見据えると、俯いた顔を隠す前髪が、僅かに震えていた。
「忘れさせてください・・・3年前と同じように、3年前の事も全部・・・!」
「・・・・・・・忘れたいんですか・・・?」
それは、最も絶望的な願いだ。殺すことも殺されることも叶わず、何もなかったことにされるなど。
無言は、肯定ととるべきだろうか。昴流はただ震えるだけ。
「昴流君、」
「っ・・・」
横に立って声をかけると昴流ははっと顔を上げた。瞳が、涙で潤んでいた。
構わず、昴流の体を抱き上げる。高校生の頃より成長したとは言え、どちらかといえば華奢な体は、やすやすと持ち上がった。
「せぃ・・・」
「忘れたいんでしょう?」
忘れさせる手段など持ってはいない。能力ではなく意志の問題で。
だから刻み付けてやろうと思った。一生、忘れられないように。
寝室に昴流を運ぶとベッドの上に降ろして、其の体をまたぐ。昴流の目が、困惑で揺らいだ。
「星史郎さん・・・」
「嫌なら、拒んでくださって構いませんよ。『大好きな昴流君』を傷つけるくらいならやめますから。」
嫌だと言うならやめるつもりだった。一旦彼の元を去ってでも、彼の変化を待つ。むしろ拒んで欲しかった。
だから、あえて嘘として繰り返してきた言葉を、嘘の様に口にした。けれど、
「・・・・・・・・」
昴流は、何も返さない。
「・・・・・・拒まないんですか?」
「・・・・・・拒む理由が・・・ありません・・・」
忘れさせてくれるなら。そういうことなのだろうか。
昴流が目を閉じると、目尻から涙がこぼれた。それを指で救って、其処に唇で触れる。

そして、昴流の胸を狙って手をかざした。

続きを望まないなら今ここで終わらせよう。殺意を抱いてくれない彼に用はない。北都の術を使って今ここで昴流に殺されれば、願いは叶い、きっと昴流の胸に、永遠にこのことが刻みつけられる。
もう片方の手でそっと昴流の方に触れる。きっと彼は泣くだろうが、其の涙はもう、拭ってやる事は出来ない。
(すいません―――)
しかし不意に、北都の最期の言葉が脳裏をよぎった。
 
『人を・・・好きになっちゃいけない人なんていないんだよ・・・』

「・・・・・・・・・・・」
意思に反して、昴流の頬から手が離れた。
「・・・・・・星、史郎さん?」
昴流が戸惑った目で見上げてくる。けれどそれ以上に戸惑っているのはきっと自分のほう。
どうして今あの言葉が。思い浮かんだと言うことは、縋りたいのだろうか、其の言葉に。
(信じて、良いんですか・・・?)
人は変われると。昴流が、1999年、自分の意志で殺しに来てくれると。
「せぃ・・・」
「やっぱり、やめておきます。」
「え・・・?」
信じてみたくなった。望みは薄くても、いざとなれば、北都の術を借りればいい。昴流の手の甲にはまだ獲物の証がある。こちらから見つけ出そうと思えば、いつだって出来るのだから。1999年まで待ってみても、良いではないか。
「せいし・・・」
「お休みなさい。」
だから賭けは、ここで一旦ストップだ。星史郎は昴流の顔の上に手をかざした。
「待っ・・・・」
「さようなら、皇昴流君。」
何か言いかける昴流に術をかけて、容赦なく眠りに落とす。油断していた昴流はあっさりと其の術に堕ちた。

賭けの期日まで後二日。1999年に再会出来るなら、最後の一日を彼に殺される日に。


部屋を出ながらポケットの煙草を出して、残りが一本しかないことに気づく。少し考えて、箱ごとテーブルの上に置いた。
「1999年に、返してください。」
聞こえていないことは承知で呟く。聞こえていなくても、昴流はきっとこれを捨てたりはしない。
だから、これを残していけば、昴流はきっと忘れない。
身勝手な願いだが許して欲しい。人は変われないから。
 
それでも1999年、震えのない声で殺すと言ってくれることを願っている。




難産・・・。
星史郎さんの心情って難しい・・・。
それはともかく、ずっと思っていたんです。どうして牙暁さんは星史郎さんが北都ちゃんを殺したことを知ってるのに、この二人の絡みってないんだろうと。と言うわけで一番描きたかったのって実はそこなんですが。予定以上に難しい話になって挫折の二文字が何度も頭をよぎりました・・・。
次回ラスト。今度はすらすら書けると良いな。




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