2DAYS










夢を見た。

暗闇の中に立っていた。
少し離れた前方に、一本の大きな桜が在った。
(あれは・・・)
見覚えのある枝ぶりだった。
ゆっくりと、歩み寄ってみる。
桜の根元に、一人の青年が座っていた。
彼は、何処か虚ろな眼差しでこちらを見上げると
静かに口を開いてただ一言。
「僕を・・・殺してください・・・・・・」



目が覚めると朝だった。



そんな夢を見たからだろう、無性に彼に会いたくなった。
3年前、戯れに傷つけた、澄んだ瞳の少年。
彼は今でもこちらを捜しているらしい。姉の敵を討つつもりだろう。
殺せるだろうか。彼の、あの穢れなき手で。
「・・・・・・チャンスをあげましょうか。」
両手の甲に獲物の証を刻んだ彼を見つけ出すのは簡単だった。


ガランガラン・・
扉をあけると、レトロな鐘が音を立てた。ウェイトレスが飛んでくるが、彼はこちらに気づかずに腕の時計に目を落としている。
「お一人様ですか?お煙草は・・・」
「ああ、待ち合わせです。」
人当たりの良い笑顔でお決まりの台詞を読み上げるウェイトレスにこちらも笑顔で返しておいて、星史郎はホットコーヒーを注文して彼のテーブルに歩み寄る。
日本の陰陽師を統べる皇一門の13代目当主皇昴流。星史郎とは違い表の世界で活躍する彼は、肩書きの割には随分と幼くて、初めて知ったときは驚いたものだったが。
あれから3年。顔から少し幼さは抜けたようだ。整った顔立ちはそのままだが、女の子と間違われるような雰囲気は、髪を切って払拭されたように思える。

「向かい、宜しいですか?」
「っ・・・!」
見下ろした方がびくりと震えて、昴流が緊張したのが分かる。そして彼はねじ巻きドールのようなぎこちない動きでゆっくりと顔を上げた。声だけで分かるのかと、少し嬉しく思う。
「星・・・史郎・・・さん・・・・・・」
「失礼しますね。」
許可を待たずに椅子を引くと、逆に昴流は弾かれたように立ち上がった。

ガタンッ

倒れはしなかったものの椅子は大きく音を立てて、テーブルの上で空のカップが転がった。
随分警戒されたものだ。
何事かと、周囲の好奇の眼差しが二人に集まる。あまり、心地いい状況ではない。
「・・・そんなに警戒しないで下さい。こんな所で何かするつもりはありません。君も、注目を集めるのは苦手でしょう?」
出来るだけ柔らかくそう言って、転がったカップを椅子に戻し椅子に腰を下ろす。
そしてまだ立ち上がった姿勢のまま、警戒を解かない昴流に椅子を勧めた。

「座ってください。少し、話をしましょう。」
「貴方と話すことなんてっ・・・」
「僕にはあります。君に、話したいことが。―――昴流君」
名を呼ぶ声に、少し力を込めた。昴流の肩がびくりと揺れて、そしてしばしの逡巡の後、彼はゆっくりと椅子に戻る。その時目に付いたむき出しの手は小刻みに震えていた。脅すつもりはなかったのだが、怯えさせてしまったようだ。
「手袋はなさっていないんですね。お婆様に叱られませんか?」
何とか緊張をほぐしてやろうと、俯いたままの昴流に笑顔で他愛ない話題を口にして、しかし口にしてからそれほど他愛ない話題でもないかと気がついた。手袋をはめる原因を作ったのは自分だ。案の定、昴流から返事はない。

お婆様はお元気ですか、の方が良かっただろうか。それとも此処は一旦お婆様から離れて・・・などと考えていると、昴流がやっと顔を上げて、怯えの残る瞳で、けれどまっすぐに星史郎を見据えた。
「貴方を・・・捜していました・・・。」
やっと貰えた一言が嬉しくて、口元が綻ぶ。不謹慎だろうか、その言葉の理由まで推測できるのに。失礼だろうか、敢えて聞いてみるのは。
「何故?」
「この手で・・・殺すために・・・・・・」

ふと、母の言葉を思い出した。自分は好きになった者に殺されると。
(好きな人、ねえ・・・)
理解できない感情だ。
けれど、自分を殺すといってきた者は、目の前の彼が初めてではなかったか。いや、確か彼の姉にも言われたことがあった気がするが、彼女は結局、逆の道を選んだから。
殺したいと言うなら殺されてやっても良いかもしれない。
きっと、殺してくれと言う者を、殺すことより簡単だ。
けれど彼の真っ直ぐに射る瞳はあの頃のまま、殺す、と言い切るその声も震えるのに。

「髪を、切ったんですね。でも、瞳はあの頃のままだ。」
「僕は、変わりましたよ。貴方が変えたんです。」
昴流の言葉に星史郎は少し驚いた顔をしてみせる。
「君をですか。」
一年の賭けを通して何も変わらなかった自分が
「・・・・・・・全てを、です。」
自分以外の何もかもを変えてしまったという。
彼もまた変わらないと思っていたのに。こうして向き合っていても、変わったとは思えないのに。
どうやら取り残されたのは自分だけらしい。
「そうですか。」
すこし、笑みに自嘲が混ざった。

自分は愛するものに殺されるという。
人は変われるのだろうか。
誰かを愛しいと想えるほどに。
誰かを殺したいと願えるほどに。

頼んでおいたコーヒーが運ばれてきた。それには手を付けず、テーブルの上で指を組む。
「本題に入りましょうか。」
殺したいと言うなら殺されてやっても良いかもしれない。
しかし、殺すと宣言するその声が震えるうちはまだ。
彼が本当に変わったのだと、人は変われるのだと確認するまでは。
「実は3年前、僕は君に一つ嘘をつきました。」
「う・・・そ・・・・・・?」
少し眉を顰めた後、昴流は彼にしては少々厳しい言葉を口にする。
「貴方の嘘なんて、一つや二つじゃないでしょう。」
「ええ、それはそうなんですが・・・」
むしろ本当の事の方が少なかったかもしれないと、思わず苦い笑いが零れる。

「一つだけ、どうしても謝りたくて。・・・賭けの期日の事です。」
「賭け・・・」
「覚えていますよね。一年間一緒に過ごして、僕が君を好きになれたら君の勝ち。なれなかったら君の負け。君が負けたら殺しますと。」
「ええ・・・」
賭けという単語にまた取り乱すかと思ったが、意外にも昴流は落ち着いていて、静かな声音で先を促す。
「僕を殺しに来たんですか。」
「・・・・・・いいえ。実は、あと一週間残っていました。」
「・・・・・・賭けが・・・ですか・・・・・」
「はい。」
唐突な話に昴流はやはり目を見開く。当然だろう、自分でも唐突だと思う。あの賭けは潮時だと勝手に決めて終わらせてしまったような記憶がある。期限を、延ばしたのか縮めたのかも曖昧で、『残り7日』が真実か戯言か、本当は自分にも分からない。
けれど丁度いい長さだと思う。彼が、自分を殺す決意を、本当に固めるのには。


「昴流君、賭けの続きをしませんか。」


「続き・・・ですか・・・・・・」
戸惑いを隠せない声で昴流が繰り返す。
賭けを、やり直すことは出来ない。彼ももう全て知ってしまった。それに、今更何も知らない彼には何の用もない。
「だから『続き』です。君はすべて知っている。僕が3年前と同じ嘘を囁いても、何も期待することはないでしょう?たった一週間でいいんです。一週間後、やはり僕が君を好きになれなかったら僕の勝ち。」
「僕を殺すんですか。」
「ええ。今度こそ。」
「僕が勝ったら・・・・・・?」
「君の勝ちだから殺しません。僕を、殺してくださっても構いませんよ。」

気がつけば、昴流の震えは止まっていた。勝つ自信があるのだろうか。それとも、何もかもが一週間先延ばしになったことに、安堵しているだけだろうか。昴流の事だから、一週間の間に寝首を、などとは考えていないと思うが、まあ、それも悪くない。
「受けます・・・・・・。」
声に震えはなかった。7日後もう一度、この声で殺すと言って欲しいものだ。

「では、今日から一週間。」
さあ、演技の始まりだ。3年前と同じ笑顔で3年前と同じ嘘を。
演技力が落ちていなければ良いが。
「そういえば、時計を気にしていましたね。これからお仕事ですか?」
「あ・・・はい、この後待ち合わせで・・・」
「お引止めしてしまいましたね。宜しければ車でお送りしますよ。」
「・・・・・・。」
昴流が目を見張っていると言うことは、上手く切り替えられたのだろう。
「昴流君?」
「あ、はい・・・お願いします・・・。」
はっと我に返って立ち上がる昴流を横目に、領収書を手にとって先に席を離れる。
帰りにイタリアンレストランにでも、と誘いながら、そういえば車を3年前と同じものにしなかったことが悔やまれた。




お勘定は星史郎さん持ちですよ、常識!
そして頼んだコーヒー飲んでません、ブルジョワめ・・!
『チラナイサクラ』星史郎さんサイドです。
流れは同じですが、2話目以降全く違う話に仕立て上げてみたい所です。
次回は例の京都のお仕事の話。




               BACK           NEXT