チラナイサクラ 東京に着いた時はまだ明るくて、これから何処かへ行きますか?という星史郎の誘いに、昴流は帰ると答えた。 「すいません・・・少し、疲れました・・・。」 肉体的な面だけではなく、きっと、生きていることに。 だから、お茶を勧めて星史郎を部屋へ上げた。 そして2日前と同じ言葉を口にする。 「僕の負けで構いません・・・賭けは終わりにしてください・・・。」 星史郎はカチャリとカップを置いた。意外そうな顔をしている。京都に連れて行けば、昴流が思い直すと思っていたのだろうか。 「・・・後2日ですよ。たった2日。」 「でも、もう・・・無理なんです・・・」 4日前、星史郎と再会した時とは別の感情で、膝の上で握り締めた拳が震えた。あの時、自分は星史郎に、『変わった』と言った。しかし、 「やっぱり・・・人は変われません・・・」 3年前のあの日から、自分の気持ちは変わらない。 好きなのだ。 姉を殺し自分を壊した、憎しみの対象にしかなり得ないはずの彼を、それでも好きだと思ってしまう。 そして望むのは、それが姉への裏切りだと思っていても、7日後の先の永遠を。 過去の事実を忘れなくても、それでも側に居たいと。 それが、本当の願い。 「変われないんです・・・」 願うことすら愚かしいこの願いを、とめることが出来ない。だから 「殺してください・・・」 「・・・・・・・・」 星史郎は何か考え込むようにゆっくりとカップに口をつける。光すら捉えないはずの右目が、僅かに揺らいだ気がしたのは湯気のせいだろうか。何を考えているのか読み取ることは出来ない。 「君は・・・自分が勝つとは思わないんですか。自分が勝って、2日後に僕を殺せると。それが、君の願いでしょう。」 違う。昴流は小さく首をふる。 「僕には貴方を殺せません・・・・・・」 もし勝っても彼を殺すことなど出来ない。それでもずっと共になどと、口に出来るはずもなくて。 「殺してください・・・」 閉ざされた未来を前にどうしていいか分からずに、ただそう繰り返す。 しかし星史郎はどこまでも残酷に。 「賭けの期限は2日後です。それまでは、僕は君を殺しません。」 「でももうっ・・・・・・貴方の側には居られません・・・」 「後2日でいいんです。側に居てください。」 「・・・・・・・・・それなら・・・」 これも、裏切りだろうか。 「忘れさせてください・・・3年前と同じように、3年前の事も全部・・・!」 彼を好きだと思うために生じるこの罪悪感も。 「忘れたいんですか・・・?」 違う、そうではない。でも、そうでもしないと。 俯いた視界の中で拳が滲んだ。 もう自分がどうしたいのかも分からない。彼はいつも、胸の中をかき回す。 側に居ると苦しくて、それでも側に居たくて、けれどそう望むことすら、自分で許せない。 「昴流君、」 「っ・・・」 呼ばれて顔を上げると、いつの間にか隣に立っていた星史郎に、突然抱き上げられた。 「せぃ・・・」 「忘れたいんでしょう?」 高校生の頃ならともかくもう二十歳も近い昴流の体を軽々と運んで、星史郎は寝室に足を踏み入れる。 ベッドの上に下ろされた昴流は、すぐに二人目の体重でベッドが軋むのを聞いた。 見上げると、自分と点天井の間に彼が居る。 何を―――と、訊かなければ分からないほど幼くはないが、それでも流石に動揺を隠し切れない。 「星史郎さん・・・」 「嫌なら、拒んでくださって構いませんよ。『大好きな昴流君』を傷つけるくらいならやめますから。」 「・・・・・・・・」 大好きな昴流君。彼が繰り返す嘘に、変に心が冷めていく。 「・・・・・・拒まないんですか?」 「・・・・・・拒む理由が・・・ありません・・・」 理由がない。自分は今も彼が好きで、そして彼も、2日後までは、自分の事が好きなのだから。 目を閉じると、頬を涙が伝うのが分かった。それを拭ったのは星史郎の指の感触。続いて目尻に触れたのは、彼の唇のぬくもり。 大きな掌が昴流の頬を撫でて―――そして静かに離れる。 「・・・・・・星、史郎さん?」 昴流が目を開くと、星史郎は感情の読み取れない深い瞳で自分を見つめていた。 「せぃ・・・」 「やっぱり、やめておきます。」 「え・・・?」 目の前に手をかざされる。 「せいし・・・」 「お休みなさい。」 「待っ・・・・」 突然かけられた何らかの術を防ぐ術もなく、急激に重くなる瞼をもうこじ開ける事が出来ない。 体の上から存在が消えるのが分かったが、指の一本すら動かすことが出来ずに。 「さようなら、皇昴流君。」 3年前と同じ台詞を残して星史郎が立ち去るのを感じながら、昴流は深い眠りに落ちた。 (せいし・・・ろうさ・・・) 散らない桜の夢を見た。 本当に忘れてしまえばよかったのかもしれない。 3年前の事も、彼の事も。 彼を心の中で殺してしまえば、もう苦しまなくていいのかもしれない。 それでも、夢の中で呼んだのは彼の名前だった。 翌日、星史郎は昴流の前に現れなかった。賭けの期日だった2日後も、その次の日もずっと。 一方的な中断、そしてその理由すら告げる事無く、星史郎はまた姿を消した。 どうして、と、与えられることのない答えを求めて、一つの結論にたどり着く。 (僕には・・・殺す価値すら・・・なかったんだ・・・) 7日間、共に過ごす価値すら、きっと彼は見出してくれなかったのだ。そういえば3年前、彼は別れ際、ただのものを見る目で自分を見た。今回は去り際の顔は見れなかったけれど、きっと同様に。 何年一緒に過ごしても、どんなに強く想っても、彼にとって自分は、道端の石以上の存在にはなれない。 (・・・・・・・・それなら・・・) 胸中に新たな願いを見つける。側に居ることが叶わないなら、せめて殺してもいいと思える存在になれるように。目障りだと思われる事で、彼の左目に自分が映るように。 殺すためではなく、新しい願いを叶えるために彼を探し続けて、二度目の再会は1999年。 「変わりましたよ、僕は・・・」 あの日は、再会にただ怯えた。けれど今は――。 二度目の宣言に、彼はまた、感情の読み取れない笑みを見せた。 その笑顔に確信した。きっと、今日願いが叶えられるのだと。 しかし、昴流の願いをかなえる事無く彼は逝った。 もう追いかけることも願うことも叶わない。それでも夢の中の桜は散らなかった。 「“永遠”じゃ・・・なかったのかな・・・。」 随分前に突き止めた星史郎の生家を訪れ、縁側に腰を下ろして昴流は煙草に火をつけた。 星史郎が姿を消したあの日、テーブルの上に彼の煙草が残っていた。箱の中にはまだ1本。けれどその1本を、彼が取りに来ることはないだろうと。 初めて知った煙草の味はただ苦いだけで、けれど力が上がるのを感じた。この味は好きになれそうにはなかったが、彼に殺されるために二箱目を買った。 今吸っているのが最後の一本。もう、次を買う必要もない。 願いは、永遠に叶わない。 (だから、“永遠”・・・?) こんな救いのない結末を暗示するために何年も見続けた夢だったのだろうか。それとも、たかが夢に意味を見出そうとすること自体、、間違いだったのだろうか。 最後の煙草の火を消して、昴流は庭の真ん中に立った。見渡せば、季節外れの桜と椿が咲いている。この庭の桜は、季節を過ぎても散らないらしい。 彼は、桜塚護を継ぐ時に先代を殺したという。それなら、今度は彼を殺した自分が。 散らない桜。 あの夢が暗示したのはこんな結末だったか。 『昴流君・・・僕は・・・君を・・・・・・』 最後の最後まで、彼は人の心を乱さずには居られないらしい。 最後に残された一言は彼が繰り返した嘘に似て、まるで終わらなかった賭けの続きをただ演じているようで。けれど最後の一言くらいは、真実だと信じたい。しかしその一言は優しすぎて、抱いて生きていくには重過ぎる。最後の最後まで彼は、優しい振りをして残酷。 「星史郎さん・・・」 嘘か本当か、確かめに行くこと、許してくれるだろうか。 不意に背後に気配を感じる。振り向かなくても、覚えのある気配だった。自分の右目を潰した男。地の龍の神威。 「僕にもう用なんてないでしょう」 そう言って振り向いた昴流に、彼は星史郎の左目を差し出した。 「桜塚護の望みだ。」 その目で、地の龍の神威が潰した右目を消せと。 (星史郎さん・・・) きっと、これが“永遠”の答え。 ずっと共にと、今はもう変わってしまった願いが、こんな形で叶えられるなんて。 いや、きっと本当は、自分でも、地の龍の神威ですら気づかない何処か深くで、まだ“永遠”を、望んでいた気がする。きっとそれ故に、願いが変わった後も、夢の中の桜は散らなかった。 「どうする。受け取るか、それとも捨てるか。」 昴流は、おずおずと手を伸ばした。 「いいのか?」 問われて、一度躊躇う。 けれど、その目が、彼の最後の言葉が真実だという、証のような気がしたのだ。 受け取った目を抱きしめる。 散らない桜のその向こうに、彼の姿が見えた気がした――― 彼はいつも予想したとおりの言葉はくれないんです。 よってエロなしっ!(えー) 昴流君が予想したとおりの言葉はくれなくても 読者が期待した通りの言葉をくれるのが星史郎さんだと思うんですけどね。 そんな星史郎さん視点でもう一度同じ時間軸を辿ります。 宜しければもう少しお付き合いくださいませ。 BACK 『2DAYS』へ |