チラナイサクラ 一日目は仕事の帰りに星史郎のお勧めだというレストランで食事をして、翌日の約束をして別れた。 星史郎が昔と同じように振舞うから、昴流も何も知らない振りをした。昔に戻るのは思った以上に簡単だった。 二日目は昴流の仕事が午前中だけだったので、昼食後にドライブをという約束で、まだ見慣れていない星史郎の新車は、少し早めに仕事を終えた昴流が待ち合わせ場所に付いた時には、既に其処で待っていた。そんなところも昔のまま。 「昴流君をお待たせするわけには行きませんから。」 そういって笑う彼の笑顔を、偽りだとは思わなかった。いつのまにかそんな事を考えることすら忘れてしまっていた。 昼食は最近出来たばかりだというしゃれた喫茶店で。そういえば、昨夜のレストランも、随分新しい感じがした。 「いくつか行ってみたい店はあったんですが、一人ではなかなか入り辛くて。昴流君は、そういう店はありませんか?宜しければこの機会に。」 「僕は・・・別に・・・。」 この3年間、他のものに興味を持つことなどなかったのだ。しかし、こんな答え方では会話が続かない。今更気づいてももう遅いが。 「じゃあ、この後はどこへ行きますか?」 それでも会話を途切れさせることなく、星史郎は上手く次の話題を提供する。昴流の会話下手は承知しているのか、気を悪くした様子もない。 ほっとする一方で、昴流はまた返答に困る。どこへ、と言われても、思い浮かぶ場所がない。 「あの・・・星史郎さんに、お任せします・・・。」 「いいんですか?何か・・・見たい映画なんかは?」 「今、どんな映画があるのかも分からないので・・・。」 「そうですか、お仕事が忙しいですから、仕方ないですね。」 必ずしも仕事のためとは言えないが、そういうことにしておいた。今は何も知らない振りを。過去の事など、なかった振りをしなくては。 昼時のせいか、頼んだ料理はまだ来ない。 「・・・明日のご予定は?」 「明日は・・・朝から仕事で、帰りは遅くなるかと。」 「そうですか。ではデートは無理ですね。ディナーをご一緒にいかがですか?昨日はイタリアンでしたから、明日は和食でも。」 まだ二日目だが、星史郎は毎日何かと会う約束を取り付けようとする。七日と言う短い期間のためなのだろう。食事に、仕事の送り迎え。会う頻度は三年前より高いくらいだ。 「でも、星史郎さん・・お仕事は・・・」 昔と同じノリで訊いてしまってから、しまったと思った。星史郎が今でもまだ獣医を続けているとは思えない。彼の仕事と言えば―――“人殺し”。 「僕の方は、昴流君ほど繁盛していないんですよ。ですからお気になさらず。」 「あ・・・」 星史郎は少し苦笑したが、昔のようにはぐらかすわけでもなく、直接的な言葉は使わないまでも、きちんと真実を踏まえた答えをくれる。今更隠してもしょうがないと思っているのか、演じ切れない昔の時間。 (ああ・・・続き、だったっけ・・・) 星史郎が演じるのは『昴流を好きなフリ』であって、『昔の時間』ではないのだ。 過去に起きたことはそのままに、今の現実も隠す事無く、ありのままの星史郎のままで、唯一つ、『好きだ』と嘘をつく。 それなら自分も、無理に演じなくても―― いや、演じていたのではない。きっと、忘れようとしていた。 七日間だけでいい、全てを忘れていたかった。 「星史郎さん、」 「はい?」 昔行った場所はNGだ。だから星史郎は、新しい場所ばかりを選ぶのだろうから。 「海が・・・海が見たいです。」 つい先日、東京本土とお台場を結ぶ橋が完成したと、たまたまつけたテレビで言っていた。実際に行ったことはないので断言は出来ないが、あれならきっと景色も良いだろうし、ドライブにはもってこいだと思う。お台場まで渡れば、それなりに見て回るような所もあるだろう。 「レインボーブリッジですか。いいですね。」 昴流の提案に星史郎が笑みを浮かべた時、やっと注文していた料理が運ばれてきた。 夢を見た。 それが始まった瞬間に夢だと判るような、どこか不思議な夢を見た。 (此処は・・・?) 桜並木を歩いていた。 天を仰ぐと月も太陽もなく、何処までも闇が広がっている。 それでも周りが明るく見えるのは、桜が淡い光を放つからだ。 風もないのに花が散る。 薄紅色の吹雪の中を、桜に沿ってただ歩く。 どこかを目指しているようで、何かから逃げているようでもあった。 不意に前方に、桜並木を遮るように、一本の一際大きな桜が立ちはだかる。 足を止めて見上げると、妙な違和感を覚えた。 (何だろう・・・何か違う・・・) それは、現実には有り得ないほどの見事な枝振りが放つ威圧感の所為だけではない。 きっともっと他に何か―― ふと、背後で舞った花びらが、頬を掠めて地に落ちた。 そしてやっと気付いく違和感の正体。 (この桜・・・花びらが散ってない・・・・・・) 「昴流君、昴流君っ!」 「っ・・・あ・・・・・?」 「良かった、目が覚めましたね。起きて下さらなかったらどうしようかと思いましたよ。」 そう言って星史郎は昴流にアイスを差し出す。眠っている間に買って来てくれたのだろう。 確かに少し表面が危機的状況だ。昴流は慌てて受け取って、溶けかけていた部分を舐めとった。そして車窓から辺りを見回す。 「ここ・・・」 「レインボーブリッジは渡りきってしまいましたよ。起こそうかとも思ったんですが、よく寝ていたので。景色なら帰りも見れますし、ね?」 どうやら昼食後に乗り込んだ車の中で眠ってしまったらしい。せっかくのドライブ、助手席の相手が居眠りではさぞかし張り合いがなかったことだろう。 「すいません・・・」 「いいえ、お疲れの所を無理に誘ったのはこちらですから。それに、寝顔を見つめるのも悪くはありません。」 「・・・・・・。」 これは一体どういう反応を望んでいるのか。理解が及ばない所にあえて突っ込むことはせず、しかし昴流はふと首をひねる。 (疲れてたっけ・・・) それも車に乗った途端に眠りこけるほどに。 ある程度まで行かないと自覚症状が出ないのが疲労ではあるが、それよりも今回はむしろ―― 「夢に・・・呼ばれた気がします。」 夢に呼ばれた。あの夢を見るために眠りに落ちた。そんな気がする。 「どんな夢を?」 「・・・桜」 昨日に続いてこれで二回目。昨日はこの夢を再会の予兆だと思ったのだったか。 「散らない桜の夢でした・・・。」 再会を果たしてなお見続けるこの夢は、一体何を暗示しているのか。 (散らない桜・・・・・・『永遠』、とか・・・?) たとえばこの時間が、七日目に終わりを迎える事無く、その後もずっと続いたら。 けれど、永遠に続く今など、散らない桜の花弁以上に遠い夢のまた夢だ。 永く遠く、未来を表す言葉に、終わらない今を望むなど。 それでも星史郎と過ごす一時はとても満ち足りたもので、まるで本当に昔に戻ったかのような錯覚に陥れた。陽が落ちて、黒い水面が橋の灯りでキラキラと光るさまを眺めながらレインボーブリッジを渡る頃には、それが錯覚であることすら忘れていた。 だから――だからこそ、其処が限界だった。 マンションの下で星史郎と別れ、一人で部屋に戻った昴流は、錯覚に陥ったまま昔と同じ気分で扉を開けた。 「ただい・・・ま・・・・・・」 返ってくる声を想定していた。 「・・・・・・やっぱり無理です。」 三日目の帰りの車の中、昴流が独り言のように呟いた一言を、星史郎が聞き逃すはずもなく。 「賭けが、ですか?」 そしてそれは返事を待たずともよそうできることなのだろう、間を空けず次の質問が重ねられる。 「何が駄目なんです?」 「・・・・・・北都ちゃんがいない・・・」 二人でいる間は、錯覚に酔いしれることが出来る。だからこそ、星史郎と分かれて部屋に戻ると、嫌でも現実に引き戻される。 今はもう、昔ではないのだ。昔どおりを装っても、失くしたものは戻らない。逆に星史郎にあわせて昔を装うことで、乗り越えたはずの喪失感が、体積を増して蘇る。 そしてどうしても思い出してしまうのだ。星史郎が北都の胸を貫いたあのシーン。いや、忘れることなど出来ない。そんなこと、許されるはずがないのに。たとえ七日間だけでも、忘れることを望むなんて。 これは、北都に対する裏切りではないか。 「僕の負けで構いません。賭けは終わりにしてください。」 「・・・・・・。」 殺してくれ。暗にそう言うと、星史郎は困ったような表情を見せて、 「昴流君、明日、明後日のご予定は?」 そう尋ねるということは、今日はまだ、昴流の未来を奪うつもりはないらしい。 「・・・明日は、午前中に仕事が一件。明後日は何も・・・」 「じゃあ明日の午後からはお暇ですね?」 「・・・はい・・一応。」 もう嫌だといっているのにそれでも先の話をする。 こういう人だ。 優しい振りをして残酷。 うまく騙されれば、この苦しみも少しは和らぐだろうか。 「では、北都ちゃんのお墓参りに行きませんか。京都ですよね?」 「・・・はい。」 「明日の昼の東京を出て・・・平日ですから新幹線もホテルも空きがあるでしょう。向こうで一泊して明後日帰ってくるというのは・・・あ、夜は本家に泊まる方が良いですか?せっかく行くならおばあさまにも顔を見せたほうが」 「でも・・・星史郎さんは?」 桜塚の名を持つものを、本家に宿泊させることは出来ない。偽名を使ったとしても祖母は見抜くだろう。昴流がそう言うと、 「実は、あっちで『仕事』が・・・」 星史郎はそう答えて苦笑した。 彼の仕事といえば、やはり人殺しだろう。血で汚れた手を、故人の前で合わせるつもりだろうか。 それは流石に不味いのではないかと、意外に冷静に考えている自分がいる。 「じゃあ・・・お墓参りは明日のうちに。」 そう提案すると、星史郎は少し驚いた顔をしていた。 翌日、京都に着いたのは夕方で、墓参りを終え、星史郎と別れて本家に帰る頃には、辺りは暗くなっていた。事前に連絡を入れていたため祖母が玄関で出迎えてくれる。 「今回はまたえらい急どしたなあ。何か変わったことでもあったんどすか?」 「いえ、そういうわけでは・・・」 星史郎のことは言えるはずもない。表向きは今も、殺すために彼を追いかけていることになっているから。 そういえば、賭けの決着まで残り三日。祖母の顔を見るのも、これが最後になるかもしれない。 だから星史郎は、京都へ行こうなどと言い出したのだろうか。 「・・・昴流さん、」 「あ、はい。」 「なんや・・・瞳に迷いが宿っとりますな。」 「え・・・」 唐突な言葉にたじろぐ昴流を、祖母はじっと見上げた。 昔は色々と厳しいことを言われたものだが、北都が死んだ頃から彼女は見守ることに専念したように思える。それは昴流を当主として一人前と認めたからなのか、それとも自分の言葉では昴流を止めることはできないとわかっているからなのか。 昴流の決意に決して口出しはしないが、時々ひどく、哀しそうな顔をする。 「何か、あったんどすな・・・?」 「・・・・・。」 詳細ではなく肯定のみを求める問いに、昴流は仕方なく頷いた。皇一門の女性は総じて、人の心を見抜く能力に長けるらしい。 「・・迷うことは悪いことやありまへん。人は何かしら皆、迷いを抱くものです。決めた道が、変わることもあるでしょう。」 それは、まるで彼女自身の願いのようで。 「迷った時はもう一度、自分の願いを見つめ直して見て下さい。それが昴流さんの本当の願いや言うなら、どんな道でも、誰も、止めはしまへん。」 「・・・本当の・・・願い・・・」 (願い・・・は・・・) 星史郎を殺すこと。ただそれだけだったはず。 けれど昨日確かに望んだのは、七日間だけで良いから、全てを忘れていたいと。 本当に、それだけだっただろうか。七日目が終われば、自分はまた、全てを思い出して星史郎を殺すことを望むのだろうか。そう、望みたいのだろうか。 (違う・・・本当の、願いは・・・・・・) その夜、また夢を見た。散らない桜の夢だった。 つまり、それが本当の願い。 7日間の忘却を裏切りだと思うのなら、それこそ許されるはずも、叶えられるはずもないのに。 翌日、昴流より先に待ち合わせ場所にいた星史郎は、昨夜は“仕事”だったはずなのに、血の臭いすら感じさせずに、笑顔で昴流に手を振った。 彼は自覚しているのだろうか。 その温もりが冷酷だ。 おばあさまの京都弁が書きづらくて書きづらくて・・・。 既に京都弁じゃありませんがそこは目をつぶってください。 京都弁と大阪弁の境目がわからない・・。 なので早く消えて欲しかったんですが(失礼)出てきたら喋りますね、この御仁。 彼女は全てお見通しだったと思うんですよ。あの北都ちゃんのおばあさまなんですもの。 昴流君の本当の願いも。恐らく昴流君自身が気づく前に。 星史郎さんのこの日の仕事の内容はまた別の機会に。 BACK NEXT |