チラナイサクラ どこか不思議な夢を見た。夢だと判る夢を見た。 (此処は・・・?) 桜並木を歩いていた。 天を仰ぐと月も太陽もなく、何処までも闇が広がっている。 それでも周りが明るく見えるのは、桜が淡い光を放つからだ。 風もないのに花が散る。 薄紅色の吹雪の中を、桜に沿ってただ歩く。 どこかを目指しているようで、何かから逃げているようでもあった。 不意に前方に、桜並木を遮るように、一本の一際大きな桜が立ちはだかる。 足を止めて見上げると、妙な違和感を覚えた。 (何だろう・・・何か違う・・・) それは、現実には有り得ないほどの見事な枝振りが放つ威圧感の所為だけではない。 きっともっと他に何か―― ふと、背後で舞った花びらが、頬を掠めて地に落ちた。 そしてやっと気付いく違和感の正体。 (この桜・・・花びらが散ってない・・・・・・) 目が覚めると朝だった。 (何だったんだろう、今朝の夢・・・) 依頼人との約束の時間までに空いた間を喫茶店で潰しながら、昴流は今朝見た夢を思い返していた。たかが夢と言ってしまえばそれまでなのだが、何か、気にかかる。 自分達のような能力者が見る夢は、何かの暗示になっている事がある。もしかすると、あの夢も。 (再会の・・・暗示とか・・・・・) 脳裏に一人の男の顔がよぎる。掻き消すために頭を振った。 桜塚護―――桜塚星史郎。昴流と同じく陰陽の術を操る彼は、昴流と違い裏の社会で暗躍する者。 暗殺集団と呼ばれながらその正体はただ一人という桜塚護に、姉の北都が殺されたのは、もう3年も前の事だ。 『あの人は僕が殺します』 祖母に誓った言葉どおり、昴流は今も東京で彼を探し続けているが、一向に行方はつかめない。耳にするのはいつも、本家から送られてくる、彼のものと思しき所業の情報のみ。 暗殺集団桜塚護。その残忍な所業とは裏腹に、昴流が思い出すのはいつも、3年前の彼の穏やかな笑顔なのだ。 「っ・・・」 それが悔しくて唇を噛むと、昴流は思い出したようにテーブルの上のコーヒーカップを手に取った。ホットで頼んだはずの液体からは、既に湯気は昇っていない。残ったコーヒーを全て飲み干すと、そろそろ時間かと腕の時計に目を落とす。 丁度そのとき、頭上から声が降ってきた。 「向かい、よろしいですか?」 「っ・・・!」 背筋が凍りつく。聞き違えるはずがない、この声は――― けれど、確かめなければどうしても信じられなくて、昴流は壊れかけのねじ巻きドールのような、いびつな動きで顔を上げた。瞳に映ったのは、サングラスをかけてはいたが、3年前のあの日、姉の胸を貫いた瞬間のままの、穏やかな優しい笑顔。 「星・・・史郎・・・さん・・・・・・」 「失礼しますね。」 拒否の言葉がないのを許可ととったか、星史郎は昴流の向かいの椅子を引いた。 カタン、と鳴ったそれ以上の音で、昴流が弾かれた様に立ち上がる。空になったコーヒーカップが机の上で転がり、周囲の視線が二人に集中する。 「・・・そんなに警戒しないで下さい。こんな所で何かするつもりはありません。君も、注目を集めるのは苦手でしょう?」 マイペースにそう言うと、星史郎は転がったカップをソーサーに戻し、引いた椅子に腰を下ろした。 「座ってください。少し、話をしましょう。」 「貴方と話すことなんてっ・・・」 「僕にはあります。君に、話したいことが。―――昴流君」 「っ・・・・・・」 まるで呪縛だ。何か術を使ったわけでもないのに、呼ばれただけの名が、抗いがたい力を持った言葉になる。そのまま立っていると足が震えだしそうで、仕方なく昴流は再び椅子に腰掛けた。うつむくと、膝の上で握り締めたこぶしが小刻みに震えていた。 なんて情けない。彼は自分が殺すと、この3年間心に誓っていたはずなのに・相対する覚悟すらも出来ていなかったのか。 両手の甲で逆五芒星が赤く光った。今も消えない桜塚護の獲物の証。 「手袋は、なさっていないんですね。」 動揺を隠し切れない昴流と違い、星史郎は感情など何処かに忘れてきたかのような顔で笑う。 「お婆様に叱られませんか?」 「・・・・・・・・・。」 違う。 手袋は姉が死んだあの時に、自分の意思ではずした。 こうして獲物の証を曝していれば、星史郎の方から自分に会いに来るのではないかと思って。 拳をさらに強く握り締めて、昴流はやっと口を開く。 「貴方を・・・捜していました・・・。」 「何故?」 「この手で・・・殺すために・・・・・・」 繰り返し続けた決意さえ、言葉にすると震えていた。 星史郎はただ笑みを深める。 「髪を、切ったんですね。でも、瞳はあの頃のままだ。」 「僕は、変わりましたよ。」 愛することを知り、裏切られることを知り、憎むことを覚えた。 「貴方が変えたんです。」 「君をですか。」 「・・・・・・全てを、です。」 昴流だけではない。3年間、どれだけのものが壊れ、どれだけの人が泣いたか。 それなのに、 「そうですか。」 そんなことはどうでもいいとでも言うように、星史郎は笑うだけ。きっと、彼は今も変わらないのだろう。 星史郎の前にコーヒーが運ばれてくる。席につく前に頼んでおいたらしい。しかしそれには手を付けず、星史郎はテーブルの上で指を組んだ。 「本題に入りましょうか。」 そう切り出された本題は、思わず呆れるようなものだった。 「実は3年前、僕は君に一つ嘘をつきました。」 「う・・・そ・・・・・・?」 眉を顰める。今更何を言っているのだ彼は。 「貴方の嘘なんて、一つや二つじゃないでしょう。」 きっと、本当の事など何もなかった。 「ええ、それはそうなんですが・・・一つだけ、どうしても謝りたくて。」 「・・・・・・・。」 彼の辞書に謝罪という言葉があるとは到底―――いや、謝罪の前に罪という言葉がないのではないか。人を殺すことを生業にし、裏切りを日常茶飯事の一言で片付ける人間に。 それでも、いやそれだからこそ、どんなことが罪に分類されるのか、ほんの少し気になって、先を促すために口を閉ざした。 「賭けの期日の事です。」 「賭け・・・・・・」 「覚えていますよね。一年間一緒に過ごして、僕が君を好きになれたら君の勝ち。なれなかったら君の負け。君が負けたら殺しますと。」 「ええ・・・」 忘れるはずもない。あの賭けは昴流の負けだった。あの時は祖母の邪魔が入ったために、星史郎は昴流に止めを刺さなかったのだ。 ああ、だから 「僕を殺しに来たんですか。」 「・・・・・・いいえ。」 返答は予想外の否定で、そういえば期日の話だったかと思い出す。 「実は、あと一週間残っていました。」 「・・・・・・賭けが・・・ですか・・・・・」 「はい。」 そんな。それでは何のために北都は。 いや、きっと一週間続けても結果は変わらなかった。だから星史郎は一週間早く、賭けを切り上げたのだろう。だから問題はそんなことではなく、 (何を・・・期待してる・・・・・・?) 胸の奥に沸いた期待は3年間の決意を裏切るもので、自分がそれを望んでいることすら信じられないようなもので。 第一、彼が今更そんなことを言い出すはずがない。そう、思うのに。 「昴流君、賭けの続きをしませんか。」 口にされたのは予想に反して期待に限りなく近い言葉。 「続き・・・ですか・・・・・・」 できるわけがない。 もうすべて知ってしまったのに。 やり直すには、あまりにも多くのものを無くしてしまったのに。 「だから『続き』です。君はすべて知っている。僕が3年前と同じ嘘を囁いても、何も期待することはないでしょう?たった一週間でいいんです。一週間後、やはり僕が君を好きになれなかったら僕の勝ち。」 「僕を殺すんですか。」 「ええ。今度こそ。」 力強い言葉に、いつの間にか体の震えは止まっていた。 おかしな話だ。殺すといわれているのに、逆に安堵するなんて。 「僕が勝ったら・・・・・・?」 「君の勝ちだから殺しません。僕を、殺してくださっても構いませんよ。」 胸がざわめいた。 彼を殺せる。3年間の想いを、やっと遂げられるかもしれない。 負けたとしても―――恐らく此方の方が可能性は高いだろうが―――終わらせることはできる。 誰かを憎しみ続けて生きるのは、予想以上に辛かった。 「受けます・・・・・・。」 どちらに転んでも、悪い話ではない。 求めたのは解放。 そんなことを言えば、姉に叱られるかもしれないが。 「では、今日から一週間。そういえば、時計を気にしていましたね。これからお仕事ですか?」 「あ・・・はい、この後待ち合わせで・・・」 「お引止めしてしまいましたね。宜しければ車でお送りしますよ。」 「・・・・・・。」 もう始まっている。放たれる雰囲気が先ほどまでと全く違う。人間はここまで劇的に、自分を偽れるものなのか。 「昴流君?」 「あ、はい・・・お願いします・・・。」 少し急げばまだ間に合う時間だったが、せっかくなので流されてみた。 帰りにイタリアンレストランにでも、と、以前と変わらぬ会話を交わす。 その笑顔もぬくもりも3年前のあの日のまま。 唯一つ、星史郎の車だけは変わってしまっていた。 星史郎さん頼んだコーヒー飲んでないよー。くそう、ブルジョワめ・・・。 えと・・・バビロンと]の間くらいの話です。最終的には]まで行きますけど。 ジャンルとしては一応原作沿い捏造見たいな感じで (といってしまうとどうしても結末が分かりますが・・・) どうか気長にお付き合い下さい。 BACK NEXT |