酔い語り






「にゃーんにゃーんにゃにゃーん♪」
客のいない店内に広がる甘い香りと陽気な歌声に、風呂から出てきた黒鋼は思わず顔をしかめた。
しかし口に出しては何も言わず、黙ってカウンター席に腰を下ろす。
歌声をやませるには効果覿面。

「あ、黒わん、お風呂上がったんだー。」
「ああ。」
「なんか飲むー?ホットチョコレートでも・・」
「水。」

ホットチョコレートの実体は分からないが、ファイの口調から、甘いものに違いないということは確信できた。それなら味のない水の方がまだマシだ。
しかし出てきたのは昨夜の酒。まだ一本残っていたらしい。

「早く飲まないと、風味が落ちちゃうといけないからねー。」
「お前は飲むなよ。」
「ひどーい。言われなくても、明日の準備が終わるまでは飲みませんー。」
(『までは』・・・?)
つまりそれまでに、この一本を空けてしまわねばならないということか。勝手にそう解釈して、黒鋼は早速グラスに酒を注いだ。

しかし、部屋中に立ち込める甘い香りが、酒の香りと混ざり合う。
少し吐き気さえ覚えた。

「どしたの、黒様ー?」
席を立つと、すかさずファイに声を掛けられる。
「部屋で飲む。」
「えー、オレを置いて行くんだー。」
「俺がいる必要はないだろーが。」
「寂しいでしょー?」
「ああ?」

どの口がそんなふざけた台詞を吐くんだと眉を吊り上げると、楽しそうにファイの表情が緩んだ。
遊ばれているだけかもしれないと思い当たり、相手にするのをやめて酒を手に取る。
その背中を、引き止めるでもなく見送るでもなく、唄うような声が追いかける。

「にゃんこは気まぐれな生き物だからさー、ちゃんと見てなきゃ、明日の朝にはいなくなってるかもしれないよー?他の誰かのところに行っちゃったりしてー。」
「・・・猫なんてのは、一匹で悠々と生きて行くもんだろ。」
反論すると、あっさりと言い返された。
「オレ、野生じゃないからー。」

筋が通っているのかいないのか分からないそれに、仕方なくまた席に戻る。
空気まで甘い味がするかのような部屋の中、それでも酒は酒の味だ。

「にゃんにゃんにゃにゃーん♪」
また陽気な歌が始まる。せめてこれだけでも、やめさせる方法はないだろうか。

「・・・なんで俺が犬なんだ。」
試しに訊いてみると、狙い通り、歌はぴたりと止まった。
しかし、ファイの表情まで、まるで凍りついたように強張って。
そしてそれは一瞬で、後はいつもどおりの間の抜けた笑顔。

訊かなければよかった。
こんな顔をするときは、きっと酒が不味くなるような話だ。
いや、こんな顔をするときは、いつもどおり、下手に誤魔化してくれるだろうか。

「あのねー、帰巣本能って知ってるー?」
「・・・知ってる。」
書いて字のごとく、巣に帰ろうとする本能の事。
「黒わんこ、帰巣本能、強そうだからー。」

誤魔化す方向で行くらしい。
それならもう少し、付き合ってみようか。あの歌がまた始まるくらいなら。

「小僧はどうなんだ。」
「小狼君もー。帰巣本能、強そうじゃないー?」
「・・・そうは思わねえがな。何処ででも生きていけそうだ。」
「そうだねー。」
「・・・猫は。」
「にゃんこはー、家がなくて困ってるのー。」
「・・・・・・あ?」

誤魔化す方向で行くのではなかったのか。
眉間に皺を寄せた黒鋼を見てファイがくすりと笑ったのは、そんな勝手な思い込みを、嘲笑われた気がした。
カウンターにひじを突いて、ファイは唄うように続ける。

「帰りたい場所。戻りたい過去。帰るべき場所を見詰めてる君達はわんこ。
手放した場所。奪われた過去。帰るべき場所さえ知らないオレ達はにゃんこ。」
「・・・・・・。」
「冗談だよー。」

顔を近づけてふふっと笑うと、僅かに酒の匂いがした。いや、この部屋の中で嗅ぎ取れるほどということは、相当のものではないのか。
「お前・・・酔ってるな・・・?」
「酔ってないよー。もう一本、ちょびっと残ってたのを飲んだだけだもんー。」
いや、このおかしなテンションは明らかに酔っている。昨日ほど酷いものではないにしても。

「もう寝ろ。」
「駄目ー、明日の準備ー。」
「明日のことは明日やれ!!」
「うわあ、駄目人間がいるよー。」

駄目人間はどっちだとこぼしながら、黒鋼はカウンターの中に突入した。そして僅かに抵抗を見せたファイをあっさりと捕獲する。
黒鋼に担がれてしばらく文句を言っていたファイは、階段を上がる頃には、寝ているのだろうか、静かになっていた。
昨夜と同じパターン。きっと朝には何も覚えてはいまい。だから今、こんなことを呟いても無駄なのだろうけれど。

「過去がどうであれ未来がどうであれ、今はお前の居場所はここだろうが。」

過去の事など知らない。未来の保障など出来ない。
それでも今ここに居ることだけは確かなのだから。



それならこの国を出たら、『わんこ』と『にゃんこ』はやめようかと。
ファイが小さく笑ったことなど、黒鋼にとっては、知る必要のないことだ。






        エンジェル☆(*天使*)様に相互リンク記念に捧げました。
         うわお。勇気ある行動ですね。
         仮タイトルが、『迷子のにゃんこの切ない気持ち(笑)』
         BGMは勿論『迷子の子猫ちゃん』で。
         ファイさんが歌ってるのも『迷子の子猫ちゃん』で。
         世間では犬X猫フィーバーだったと聞くのに、何でうちはこんな
         真面目な小説を書いたのか・・・。(真面目なつもりなんだって)
         一番不思議に思ってるのは雪流さんです。
         常にはみ出し人生です。 
         黒の理性が保たれたのは、これが捧げ物だったからです。(あら。)





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