三夜 下ばかり向いている彼を見ていたくないと 上を向いて歩いてみるなら 何かにぶつかるのは二人同時だ 前を向いて歩こう その日、羽根を取り戻し少女は目覚めた それで何かが変わったのだろうか たとえ変わったとしても 変化は前進とは限らない 少年は雨の中に立ちつくす 眠りから目覚めた少女は、己の言葉の残酷さえ知らず 魔術師は窓から外を見つめ 忍はその視線の先の、見えない何かを追い求める 雨水は隠れた星々の涙 雨音は隠れた月の啜泣 だから今夜は、人の涙も啜泣も、誰にも知られることはなく 黒鋼は、無言でファイの隣に立った。窓から、雨の中にたたずむ小狼が見える。握り締めたこぶしは、どんな想いを秘めているのだろう。 「泣くかと思った。あの時。」 ファイが静かに口を開く。後ろに居るサクラには、聞こえない程度の声で。聞こえても、きっと意味は分からないのだろうが。 泣いただろうか。あと少し、ファイが話しに入るのが遅ければ。 泣かなかったかも知れない。内に炎を秘める少年は、愛するものに、涙を見せることはしないだろう。 「今は・・・泣いてるのかな。」 「さあな。」 炎の獣が、小狼の足にすりより、心配そうに彼を見上げている。けれど、今の小狼には、その頭を撫でてやる余裕も、微笑んでやる余裕もない。 雨が頬を流れていく。その中に涙が混ざっているのかは、ここからでは分からない。 「けど、泣きたくなきゃ強くなるしかねえ。何があっても泣かずにすむようにな。」 青い龍が姿を現す。その翼で、小狼を護るように。 「うん、でも、泣きたい時に泣ける強さもあると思うよ。」 緑の鳥が姿を現す。その翼で、小狼を護るように。 黒鋼は視線をファイに移した。 ファイはまだ外を見ている。 その横顔は、昨夜、一瞬だけ見せた顔に似ていた。次元の魔女に対価を差し出した時と同じ、泣き出す寸前の、曇り空のような。 けれど彼は泣かない。 ただじっと、外を見ている。 しかし、泣かないことは必ずしも強さではないと。 それは、黒鋼が初めて知る、泣けない弱さ。 「おい。」 「んー?」 呼びかければ返事は返るが、視線は外を向いたまま。 「何を見てる?」 「・・・・・・・・・外。」 雨の音が増した気がした。 初めて会ったときから、何かが気に食わなかった。 ファイ・D・フローライト。口に馴染まない名前。 髪の金。瞳の青。異様なまでの肌の白。目に馴染まない色。 男にしては少し高音の、耳に馴染まない声。 けれどそれらはどれも、決して不快という訳ではなく。 それでは何が気に食わなかったのか。 分かったのは昨日。 「おい。」 「んー?」 呼びかければ返事は返るが、視線は外を向いたまま。 「じゃあ、ゆうべは、」 黒鋼は、ファイの襟に手をかけた。首筋まで覆う形のそれを、力任せにぐいと引けば、首の付け根辺りに赤く咲いた、唯一の昨夜の行為の証。 「誰を見てた?」 「・・・・・・・・・・・・。」 やっと、青い瞳が黒鋼を映す。けれど見てはいないのだ。初めて会った瞬間から、この瞳はどこか遠く、見えない何かを追っている。 「誰を見てた。」 「・・・・・・・・・・・・誰も。」 雨の音が、やんだ気がした。 青い瞳がたたえた感情が何なのか、黒鋼には読み取れない。 その青はあまりに深すぎて、どれほど深いのかさえ分からない。 不意にその瞳が揺れた。 泣くのかと思った。 けれど、ファイはいつもどおりの、どこか間の抜けた顔で。 「服、伸びちゃうから、離してー?」 「・・・・・・・・・。」 それも気付いていたはずだ。 泣けない弱さを持つ彼は、泣きたい時に笑うのだと。 それはきっと、泣きたい自分を騙すために。 それでもどうしようもなくなった時は、涙の意味をすり替える。 「くだらねえ。」 プライドが高いと言ったのは彼だった。 抱けと言ったのも彼だった。 「でも、この服、借り物だしー。」 「そうじゃねえよ。」 話を逸らすのは、本当に言いたいことが分かっているからだ。 はぐらかそうとするのは、触れてほしくはないからだ。 けれど、黒鋼には、触れる権利があるはず。 「あんな方法でしか守れないプライドなら、さっさと捨てちまえ。」 「・・・そうも・・・いかないんだよねー。」 ファイは、やっと諦めたのか、少し笑顔を歪めた。 「これがないと、立ってられなくなるんだー。黒むーには、分からないかもしれないけど。」 ファイは、本音を語るとき、相手の顔を見ないらしい。 少し目線を下に向けて、淡々と、話し続ける。 目を逸らしたいのは、相手の瞳か、それともそこに映る自分の姿か。 黒鋼は、やっとファイの襟から手を離した。 安堵の表情を浮かべるファイの目が、同時に僅かに揺れる。 彼は、飄々と、掴みどころのないフリをしながら、心のどこかで何かに縛られることを望んでいる。 そんな気がした。 そういえば、彼に憑いたのは、風の巧断だった。 「どこを見てるんだ。」 「・・・・・・下かな・」 「何を見てる。」 「・・・・・・・・・・・・。」 前を向いていないことぐらい、自分で分かっているらしい。 意図的に逸らされた視線。 その先には、黒鋼の知らない何か。それが、おそらく今のファイの全て。 「昨日は、ホントに誰も見てなかったよー?」 「俺のことも、だろ。」 「うん。だから、『ゴメンね』って。」 二度の謝罪は、抱けと言っておきながら、黒鋼を求めたわけではないことへ。 「誰も見たくなかったんだ。」 これが、本音だ。 ファイの視線はまた外に向いた。 もうこれ以上、入ってくるなとでも言うかのように。 瞳は一度も、黒鋼を見ないまま。 (気に入らねえ。) 入るなというなら、入る気はない。人の傷をえぐる趣味があるわけではないのだ。 けれど、前を見ない人間は嫌いだ。 前にいるのに、自分を見ない瞳は気に入らない。 今ここにある全てから目を逸らして、この世の終わりでも見ているつもりか。 どうすれば、自分を見るだろう。 考えるより先に、体が動いた。 右手が、ファイのあごを掴む。 左腕が、細い腰を引き寄せる。 声が上がる前に塞いだ。 不意に、耳に音が戻った。 そういえば、雨が降っていたのだと。 そういえば、サクラとモコナもいたのだと。 だからそれは、一瞬だけのキス。 ぶつけるような、強引な。 そういえば、これが初めてだ。 体を繋げたのに、キスはしていないというのも不思議な気がしたが、昨夜のあの状況では、仕方なかったのだろう。 なんにせよ、目的は果たされた。 大きく目を見開くファイ。瞬きさえ忘れてしまったようなその瞳は、今は確実に黒鋼だけを見つめる。 たったそれだけのことで、言いようのない満足感。 もうそれだけで十分だ。 これ以上、何をしても、下を向いている人間が、そう簡単に前を向くわけでもない。何かにぶつかるのはそいつの責任だ。 黒鋼は、ファイを解放して、一人、部屋に戻ろうと踵を返した。 しかし、服の裾を掴んで、ファイがそれを止める。 振り返ると、予想外に、気丈な瞳にぶつかった。 「黒むーの姿勢は好きだけど、前だけ見てると穴に落ちるよ。」 ではどうしろと言うのか。前しか見ない黒鋼と、下しか見ないファイと。 二人で歩けば丁度いいのかもしれない。 「俺にお前の手を引けってか?」 「そんなのは、まっぴらだよ。」 馴れ合いを求めるわけではない。 ただ、前を向くことが正しいと誰が決めたのかと。 目を向けた先に見るべきものがないなら、何処を見ても同じではないか。 後ろを向いては歩けないから、下を向いているだけの話。 「心配してくれなくても、オレは一人で歩けるからー。」 そう言い残して、ファイは先に部屋を出て行った。 取り残された黒鋼は、扉の向こうに消える背中を見送って、不敵な笑みを浮かべる。 上等だ。前を見ない人間は嫌いだが、たとえ捻じ曲がっていても、信念を持つ人間は嫌いではない。 前に何もないと言うなら、常に3歩先を歩いてやる。そうすればあの目は、嫌でも自分を映すだろう。 外を見ると、いつの間にか雨がやんでいた。戻ってくる少年に、嵐が玄関でタオルを渡しているのが見えた。 何かが変わっていく。例え前進でなくても。 明日は次の世界へ。 黒鋼フォーリンラヴ編。(ネーミングセンス皆無) 阪神共和国にいたのは3日間ですが、三夜一緒の部屋で寝ると、 日本国では結婚が成立します。 (本文よりでかい字で何を主張してるの・・。) (妄想ではなく、真面目に古文の世界の話です。) ちなみにファイさんがフォーリンラヴするのは、ジェイド国3日目。 と勝手に設定。今はまだアシュラ王一筋。 BACK |