一夜


第一印象は、なんと自分と正反対なのだろうと。

第二印象は、なんと自分に似ているのだろうと。



異国の空に月が昇った。



「眠れないのー?」

不意に暗闇に響いた問いかけが、自分以外の者に対するものであるはずがなく、黒鋼は眼球だけ動かして、声の主を見下ろす。

1つの部屋に、並べて敷かれた二枚の布団。そのうちの一枚、黒鋼に遠い方から彼を見上げてくるのは、異世界を渡る旅で出会った異世界の男。


ファイ・D・フローライト。口に馴染まない名前。
髪の金。瞳の青。異様なまでの肌の白。目に馴染まない色。
そして男にしては少し高音の、耳に馴染まない声。

けれど、それらはどれも、決して不快なものではなく。
そして逆にそれが、妙に気に障って。


何も言わず、ただ見下ろすだけの黒鋼を、ファイも無言でしばらく見つめると、何の前触れもなく、突然ふにゃっと表情を崩す。

神秘的な微笑でも浮かべていれば、きっとさぞかし美しく、まるで一枚の絵のような。それほどの容姿を持っていながら、何故これ程、間の抜けた顔で笑うのか。

黒鋼の警戒を解こうとしているのなら、この笑みは逆効果でしかない。

「寝ないのー?」

壁に背を預け、畳の上に胡坐をかいたまま、横になる気配さえ見せない黒鋼に、ファイは再び問いかける。

けれど、黒鋼は思う。この男に、それを訊く資格は無いと。


狭い部屋に二人きり。
あるべきはずの、二つの気配。

自分のものが無いのは、忍びとして当然のこととして。
もうひとつ。これ程近くにいて、どうして感じ取れない。

部屋に広がるのは静寂。呼吸音さえ聞こえない、完全な静寂。


気配を消して、息も殺して、眠っているのかと思えばフリだけの。
そんな得体の知れぬ男と、同じ部屋にいながら眠りこけるなど、忍びでなくとも、一体誰がするというのか。


「そんなに睨まないでよー。心配しなくても、何もしないよー?」

柔和な笑み。それなのに。


スキが無い。


初めて見たときからそうだった。へにゃへにゃ笑いながら、動作の一つ一つ、ちょっとした仕草、優雅に見える礼の合間でさえ、見事なまでにスキが無い。

相当な訓練を受けたか。それとも、常に危険の中に身をおいていたか。
どちらにせよ、ここまでになるのは、そう簡単ではない。

そして、彼の周りには、争いがあったはず。きっと相当な規模の。
そんな匂いを感じる。黒鋼にとって、どこか落ち着くこれは、


「血の匂い・・・。」


ファイは、この夜初めての黒鋼の言葉に、一瞬きょとんとした顔をして、そしてすぐにこう返した。

「お風呂入ったんだけどなー。まだ落ちてない?」


今度は、黒鋼が目を見開く番だった。

何だこの返事は。身にまとう血の匂いを、それはおそらく複数の人間のものなのに、それが当たり前であるように。
初めて会ったあの時、彼の服は少しも汚れていなかったのに。まるで、たった今、人を殺したかのように。


血の匂いがする。
不思議な匂いだ。

黒鋼にとっては、嗅ぎ慣れたものであるはずなのに、ファイが身にまとうそれはどこか異様。

自身の血ではない。
返り血でもない。

まるで、血と屍の中に、ただ立っていただけのような。
直接的ではなく、どこか遠い匂い。


立っていたのだろうか。
染み一つ無い白いコートを着て、武器にしては異様な形のあの杖を携えて、この間抜けな笑みを浮かべたまま、赤く染まった地の上に。

あるいはそれが、魔術師だという彼特有の戦い方によるものだとしても。


背筋にぞくりと震えが走った。

ただそれは、必ずしも恐怖によるものではなく。
むしろ武者震いにも似た、悦びを伴う興奮。


似ていると思った。見た目は正反対ではあるけれど。

流れる血の赤を知っている。彼は自分の同類だと。


「オレ達、結構似てるかもねー。」

間延びした声が、黒鋼の心を読んだかのような台詞を紡ぐ。
驚愕は微塵も無かった。
なんとなく、相手も同じことを考えているような気がしていた。

おそらく、同類だから。

「何処が似てるんだ。」

否定する気は無かった。彼が感じた共通点を、訊いてみたくなっただけ。

「んー、どこだろうねー。」

会話が成立したのが嬉しいのか、ファイは枕の上に頬杖を付いて、さっきよりいっそうしまりの無い笑いを浮かべている。
どこだろう、と言いながら、悩んでいるのかいないのか。
どうも真意が読み取り行くい。
この笑顔が、内に秘めるものをはぐらかす。

「例えばー、プライド高そうなとことかー?」

成る程、確かにこの魔術師は、自尊心が高そうだ。
壁と天井の境目辺りを見つめながら、そんなことを思った黒鋼の耳に、何やらごそごそと言う音が届く。今度は何だ、と視線をファイに戻すと、彼はいつの間にか、黒鋼に近い方の布団に移動していた。

「そこは俺の布団だろ。」

抗議すると、それさえも嬉しそうに、満面の笑みを返される。

「使ってないんだからいいでしょー。寝るならそっち使ってー。」

確かに、寝る気の無い者が、布団の所有権を主張するのは間違っているのかもしれないが。


(何で近づいて来るんだ・・・。)


布団一枚分、近くなった金髪が、嫌でもちらちらと目に入る。目に名馴染まない色が、こんなにも落ち着かないものだとは思わなかった。しかも、もう寝るつもりなのか、向こうを向いたファイからは、もう言葉は出てこない。
けれど、気配は消したまま、おそらくまだ寝てはいない。

(ちくしょう・・・。)

眠っているなら、部屋の反対側に移動しようと思ったのに。そうすればまた、布団一枚挟んだ、元の距離に戻るのに。
けれど起きているなら、移動したのがばれるのは、負けたようで嫌だった。コレが、さっきファイが言ったプライドかもしれない。成る程、自分も自尊心は高いようだ。ただの負けず嫌いとも言えなくはないが。

(ちくしょう・・・。)

心の中で毒づく。ファイ本人にも、縮まった距離にも、静寂に戻った空間も、何もかもが落ち着かない。
頭の後ろで手を組んで、壁に完全に背を預ける。スキだらけの体勢だが、ファイが攻撃を仕掛けて来ることは無いはずだ。仲間だなどとは思っていないし、信頼なんて微塵も感じていないが、それだけは確信できた。
だからと言って、それまでファイが寝ていた布団にもぐりこむ気にはなれなかったが。

そしてふと気づく。静寂に苛立ちを感じている自分に。
忍びという職業上、静寂こそが住処のようなものなのに。

いやきっと、それは同じ空間に、自分以外の人間がいるせいだろう。単独行動を好む黒鋼にとって、この雰囲気はあまり経験の無いものだ。

(こいつが黙ってるのが悪いのか。)

自分の精神面の未熟さを、黒鋼がファイのせいにしたところで、再びファイの口から声が漏れた。
本当に、読心術でも使っているのではないかと思う。


「ねえ、黒りん・・・。」

眠たいのか、さっきより幾分、トーンの下がった声。紡いだ言葉が、ファイなりの自分の呼び方だと黒鋼が思い出すまで、数秒を要した。

「俺は黒鋼だ。」
「うん、そうだねー。」

言い直す気はないらしい。このふざけたあだ名がお気に入りのようだ。
黒鋼は、思わず漏れそうになった溜息を、寸前で何とか噛み殺す。そんなことをしたら、負けを認めることになる気がして。
不機嫌は言葉に滲ませた。

「で、何だ。」
「んー、オレ、もう寝るからー。」
「だから何だ、とっとと寝ろ。」

どうでもいいことばかり言いやがって。そう続くはずだった。
しかし、ファイの言葉の方が、ほんの一瞬早かった。

「そこに居てね。」



その短い一言は、不思議な余韻を残して、闇の中に消えていく。

(どういう意味だ・・・?)

言葉の真意をつかめない。眉をひそめた黒鋼の耳に届いたのは、静かな吐息の音。

「・・・・・・・・・。」

おかしい。不自然だ。今まであれほど警戒していたのに。
さっきより近づいたこの距離で、どうしてそんな風に眠れるのか。
まるで他の何かを警戒していたかのように。
消していたはずの気配さえ、今は確かにすぐ側に。


不審に思いながらも、何故か妙に、規則的な寝息に心が落ち着く。

(何なんだよ・・・)

不思議な感覚だ。こんなにすぐ側で、誰かの寝息を聞いているのは。
けれどそれは、決して不快ではなく、むしろどこか心地良い。


こんな得体の知れない男でも。

いや、同類だからかもしれない。


そこに居てね、などと言われなくても、動く気はしなかった。
僅かな身動きが、このリズムを壊してしまう気がして。

おかしい、調子が狂う。けれど不思議と、腹は立たない。



二人だけの空間の中、いつしか黒鋼の呼吸はファイのイズムに重なり、その心地良さに、いつの間にか、黒鋼の意識は眠りの底に沈んでいた。



青い龍の夢を見た。






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