帰還





一つだけ決めていたことがある
いつか訪れる別れの瞬間
決して弱さは見せまいと


「じゃあね。」


いつもどおり笑ったファイに、黒鋼は言葉を返せなかった





『黒むー、朝だよー。』
心地よい声が聞こえる。
『ほら、もう起きないと、小狼君たちが起こしに来るよー?』
それは困るなと思いながら、もう少しだけ、浅い眠りの中に響くこの声に身を任せていたいと、そう思って寝返りを打ったとき

「さっさと起きなさい、このへたれ忍者。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
あるまじき言葉が聞こえた気がして、黒鋼はやっと目を開けた。
その目に映るのは、天井の木目と、その下でニコニコと笑う若き君主。

「・・・知代?」
「他に誰に見えますか?」

にっこりと微笑みかけられて、それもそうだと思いつつ、どうして彼女がここに居るのかと考えて、そしてやっと思い出す。
彼女がここに居るのではなく、自分がここに居るのだと。
長き旅を終えて、先日ついに、この日本国に戻ったのだと。

(じゃあ、あいつは・・・?)
隣を見下ろす。一人用の布団には、当然のように自分一人しか居なかった。

更によみがえった記憶が、それが当然なのだと告げる。


遠い背中。
いつもは並んでいた彼を、その日は後ろから見ていた。
モコナの口が開く。巻き起こる風。
いつもなら自分も、あの中心に居たのに。
風に踊る彼の髪。
せめてもう一度だけ振り向いてくれと。
いつも通りの間の抜けた顔で笑ってくれたら、きっと、二人の道はここで分かれるのだと、もう二度と、交わることはないのだと、気持ちの整理をつけることも出来ように。


「忍びが寝坊なんて聞いたこともありませんわね。長旅の間に、体内時計が狂ってしまったんでしょうか?早くもとに戻してくださいませね。」
それだけ言い残して、知代は部屋を出て行った。
結局何をしに来たのか、分からないまま黒鋼は布団から抜け出す。
そろそろ夕刻。世界がやみに包まれる頃。
忍びにとっては仕事の時間だ。

刀を腰に差して部屋を出る。銀龍ではないその刀は、たしか桜が舞う国で手に入れたもの。あの国では、ずっと彼の髪から甘い匂いがしていた。
(って、何思い出してんだ。)
廊下を歩きながら首を振る。
気持ちの整理はつけたのではなかったのか。
あの時彼は、まるで黒鋼の心の声が届いたかのように、その姿が消える寸前、黒鋼を振り向いて、

『じゃあね。』

今まで見た中で、一番出来損ないの笑顔だった。

(最後の最後にあんな顔しやがって。)
むしゃくしゃする。
初めて会ったときから、色々と気に喰わない相手だったが、これほどまでに苛ついたことはない。
何に苛ついているのかさえはっきりとは分からないが
きっと最後の笑顔に失敗した彼と、それに対する怒りをぶつける相手が居ないこと。
つまり彼がここに居ないことと、そんなことでここまで苛ついている自分自身に。

「戻りてえ・・・」
なんと馬鹿なことを。
戻るべき場所はこの国だったはず。
それでもこの国に着いたとき、帰ってきた喜びではなく、置いていかれるという恐怖が先立った。

一度口にした願いは胸の中で体積を増す。
自分はこれほど弱かっただろうか。
弱く見えた彼は、それでもたった一度さえ、願いを口にはしなかったのに。

「願いを口に出せるのも、ある種の強さですわ。」
振り向くと、また知代が居た。
「そして、たった一つの何かのために、それまでの自分を捨てることが出来るのもまた。」
「知代・・・?」
「戻りたいのでしょう?」
「・・・・・・。」

戻るべき場所で迎えてくれるはずの人が、別れるべき運命を指してそこに戻れと言う。
居るべき場所はすでに変わっているのかもしれない。
戻るべき場所は、もうここではない。

「出来るのか。」
「それはあの方しだいですわ。私はあそこまで送るだけ。」
「悪いな。」
「いいえ。今の貴方では、からかい甲斐がなくてつまらないですから。また戻ってくることがあれば、そのときはもう少しましな顔で。」

世界が揺らぐ。今はもう、なれた感覚。
一度、ゆっくりと瞬けば、そこは以前に一度訪れた見慣れぬ世界。
そして、妖艶な笑みを浮かべる魔女と、白饅頭の黒バージョン。
「あらあら、置いてけぼりでも食らったの?」







「ファイ、」
呼ばれて視線を落とすと、モコナが心配そうな顔で自分を見上げていた。
「何ー?」
笑顔を取り繕うと、それに反比例してモコナの顔が歪む。
きっと、また失敗しているのだろう。黒鋼と別れてから、どうも上手く笑えない。
小狼たちも最近あからさまに自分を気遣っている。こんな調子ではいけないと、分かっているのだが。

「ゴメンねー。ちょっとだけ寂しくてさー。」
モコナを手ですくって胸に抱く。そうすれば、こんな情けない顔を、見られずにすむ。
小さな体は、分かっているのか、腕の中でじっとしている。
「ちょっと・・・会いたいなー・・・なんてさ。」
本音を呟くと、抱いたからだがぴくりと反応した。

「ファイ!」
「んー?」
突然ファイから離れて、モコナが大きく口を開く。
それは、異世界から何かが送られてくるときの合図。


「どうあああ!!!」
「え、わっ!」

どさっ・・・


受け止めたのは知った重さ。
落ちた場所には馴染んだ細さ。

気の早いことで、モコナはすでに部屋には居ない。
不機嫌な黒鋼と、驚いた顔のファイの二人だけ。

「く・・・ろむー・・・?」
「黒鋼だっつってんだろ。」
名を呼ぶと、久しぶりに訂正が入った。
本当に黒鋼なのだと、実感と同時に、強く強く抱きしめる。
「くっ、ろみー・・・どうし・・・・・・」
「テメエがあんな顔するからだ!おかげでまた刀を取られた。」
「戻って・・・きたんだ・・・・・・」
「だからここに居るんだろうが。」
互いに、抱き合う腕に力がこもる。

「黒むー、黒むー・・・」
ファイは確かめるように何度も名を呼んで。黒鋼は応えるように唇を落とした。髪に、額に、頬に。
そして
『黒むー・・・』
「うるせえよ。もう黙れ。」
『く・・・』
その言葉ごと、唇も。

きっともう離さない。帰るべき場所はここにしかない。
『黒むー・・・』
「うるせえ。黙って抱かれてろ。」
『あ、うん・・・ゴメンねー・・・。でももういい加減に起きてくれないとー・・・』
「あ・・・?」



がばっ。

「おはよー。」
「・・・あ?」
見回すと、そこはまだ桜の園。
「・・・・・・夢。」
そういえば、まだ別れた記憶はない。この国で手に入れた刀も、まだベッドの脇に。
「・・・・・・・・俺、何か言ったか・・・。」
「え、ううん、別に?」
「本当だな!?」
「本当だよー。寝ぼけてキスしたとか抱きしめたとか、そんなのはオレ以外にやらなきゃ何にも問題ないことだしー。『黙って抱かれてろ』はちょっとびっくりしたけどー・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
今この場で切腹したい。

「・・・・・・いい夢?いやな夢?」
難しい顔をして頭を抱え込む黒鋼を、ファイが興味深げに覗きこむ。
寝ているときまで難しい顔をしていたのだろうか。
「いやな夢・・・でもねえが・・・・・・」
まあ、最後はめでたしめでたしな。

(ちょっと待て、めでたしじゃねえだろ)
そうだ、自分が帰るべき場所は、今はまだ、日本国。
今のところ変わる予定はないが、あんな夢を見るということは、変わりつつあるのだろうか。
それとも、単なる予知夢の様なものだとして、
(別れても、会える可能性はあるって事か。)
無様に後を追うなんて、今の自分では出来ないけれど。

「どうしたの、黒みー?」
「いや、何でもねえ。」
「?ご機嫌だねー?」
「そうか?」
とりあえず今はまだ、いつかは別れるつもりでいることにして。
けれどそう、不安がることもないようだ。
だからもし、彼が最後の笑顔に失敗したら、そのときは



(戻ってやるのも、悪くねえ)








とりあえず黒鋼は日本国に帰って欲しいんです。
で、黒鋼がいなくなってうじうじしてるファイさんを見たいんです。
そして黒鋼がモコナで転送されてくるといいなと。
落ちた場所にファイさんがいるのはお約束だと思う。
そしてもうちょっと一緒に旅を続けると。
めでたしめでたし。(羽は?)(彼ら羽なんて気にしてないでしょう?)
再会シーンに乙女トーンが飛んでればいいな。
CLAMPさん、どうか!!(訴えるな)




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