裸足
暗闇に舞い散る花びら
その間を縫うように流れる白い湯気
窓からあふれる光と、降り注ぐ月明かり
耳には木々のざわめき
足の裏には夜の風
たまにはいいかもしれない
少し寒いけれど
「黒りーん」
ファイが黒鋼の部屋をノックしたのは、鬼児狩りから戻った黒鋼が、布団にもぐりこもうとしていた時。
ノックの後は、返事も待たずに扉が開く。
「あのさ、黒・・・」
「靴を脱げ。」
何か言いながら部屋に入ってこようとするファイに、黒鋼はそう命じた。しかしファイはその言葉の意味が分からず、軽く首をかしげる。
「くつ・・・?」
「そのまま入って来るなって言ってんだ。この部屋は土足厳禁。」
「・・・・・・部屋に入るのに靴脱ぐのー?」
「そうだって言ってんだろ。」
「何でー?」
「なん・・・普通脱ぐだろ!」
「脱がないよー。ベッドに入る時だけでしょー?」
「それはテメエがおかしいんだ。」
「普通だってばー。黒るーの方がおかしいよー。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
部屋の中と外で言い合っていても仕方がない。本題はそんなことではないのだ。
ファイは諦めて靴を脱いだ。
素足に感じる板の感触。やっぱり変だと思う。文化の違いなのだろうけれど。
「で、何だよ?」
「んー。あのねー。」
不思議な感触に眉をひそめながら、ファイは黒鋼に、手に持っていたお盆を手渡した。
「差し入れでーす。」
「・・・・・・なんだよ、これは。」
お盆に載っていたのは、こげ茶色の、温かい液体の入ったティーカップ。
そしてすずりと筆と、短冊らしきもの数枚。
「俳句でも詠む気か?」
「俳句って何ー?」
質問に質問で返された。文化の溝は大きい。しかし用事はこんなことではないのだ。
俳句の説明を考え出す黒鋼を止めて、ファイは本題に入った。
「メニュー書いて欲しいんだー。」
「めにゅう?」
黒鋼の頭に浮かんだ文字は、『目入』とか『芽柔』とか。
「何だ、そりゃ?」
「んー、注文票?」
「ああ。それなら最初からそう言え。」
無茶な注文だ。
「じゃあ、これが見本。失敗してもいいように、紙は多めにあるからー。」
そう言って、ファイは部屋を後にしようとする。しかし、
「ちょと待て。」
「何ー?」
「これは何だ。文字か?」
そういって黒鋼がファイに突きつけたのは、たった今ファイに渡されたメニューの見本。ファイが書いたのだろう。黒鋼には見たことのない、不思議な形の記号が並んでいる。おそらくファイには読めるのだろうが。
「あ、そっかー。黒りん、読めないんだね。」
言葉は通じても、互いの国の字は読めない。
こんなところにも文化の溝。なかなか不便だ。
「じゃあ、オレが読むから書いてー。」
「しょーがねーな。」
無愛想に見えて、結構世話焼きな黒鋼は、しぶしぶといった表情で腰を下ろす。
そんな彼を小さく笑って、ファイもその前にしゃがみ込んだ。
「じゃあいくよー。」
「ちょっと待て。」
早速読み始めようとしたファイは、早速黒鋼に止められて。
「何ー?」
「ちゃんと腰下ろせ。目の前でそんな中途半端な座り方されたんじゃ、落ちつかねえ。」
「・・・・・・でも椅子がないよー?」
「床に座ればいいだろ。俺みたいに。」
「普通床には座らないよー。」
「テメエの国ではそうでも、俺の国ではこうなんだよ。」
「ふーん・・・。」
納得のいかない表情で、ファイは何やら考えて込んで。次にでたのはこんな質問。
「床に座りたいから、部屋に入るのに靴脱ぐの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・そうなのか?」
「オレは知らないよー。」
異文化に住むものの方が、切り込みは鋭かったりする。
文化や風習というより、黒鋼にとってはこれは習慣で、当たり前のことだ。
当然そうあるべきものが、当然そうあるべき理由を考えたことなど、一度もなかった。
(成る程。床に座るためなのか・・・。)
真実は定かではないが。
そしていよいよメニュー作りと、そのとき。
「ねー、黒るー。お尻痛くならない?」
なかなか始まらない。
「そんな座り方するからだろ。」
ファイは現在、三角座り。
「正しい座り方ってあるのー?」
「・・・ねえ・・・だろ・・・・・・多分。正座って言うもんがあるにはあるが、慣れねえと足が痺れるぞ。」
「じゃあ、痛くない座り方ー。」
「・・・・・・これでも敷いてろ。」
「クッションだー。」
「座布団だ!」
大差ない。
そしてなんとかメニュー作りに入り。
「コーヒー。」
「ん。」
「紅茶。」
「ん。」
「オレンジジュース。」
「ん。」
「おしまいー。」
一枚書くまでにに10分ほどかかった。即席喫茶にしては、結構なメニュー量だ。
黒鋼はできた注文票をファイに渡した。
「こんな感じでいいんだな?」
「うん、いいと思うよー。」
といっても、字が読めないので分からないが。
できた一枚を、乾かすために壁に立てかけて、黒鋼は次の一枚を手に取る。次からは今の一枚を見本に。
もうファイはここにいなくていいのだけれど。
(何か出て行くのも、そっけないなー。)
そんなことを考えながら、立てた膝の上に手を重ねて、そしてその上にあごを乗せて、じっと黒鋼を観察する。
自然だ、と思う。裸足で、床に座って、ファイにとっては見慣れない、毛を寄せ集めて縛ったような道具で、ファイの知らない字を書いていく。ファイの習慣からすれば、色々と不自然なことのはずなのに、黒鋼がそれをすると、それが自然に見えて。
すこし、彼を遠くに感じた。
「何だよ?」
「んー。別にー?」
「嘘付け。」
「ひどいなー。オレ、そんな変な顔してる?」
「お前の顔はいつも変だ。」
「・・・・・ひどいなあ。」
笑えている自身はあるのに、それを否定しないで欲しい。
思わず、部屋を出る理由を探してしまった。もう用はないのだから、理由などなくても、出て行けばいいのに。
そして、お盆の上に、手を付けられずに置かれているティーカップを見つける。もう、湯気は出ていない。
「あー、冷めちゃったね。暖めなおしてくるねー。」
カップに手を伸ばす。けれど、その手はカップに届く前につかまれて、体ごと引き寄せられる。
「うわ、危ないよ、黒みゅー。」
カップは持っていなかったから良かったものの、すずりでもひっくり返せば、ちょっとした悲劇が起こるところだ。
「危ないよ・・・。」
「黙ってろ。」
同じ言葉を繰り返すファイの後頭部をつかんで、黒鋼は強引に唇を奪う。
ファイはされるがまま、むしろ自分から口付けを深めた。
絡めた舌を味わって、少し唇を離して。
舌先だけで触れ合って、また唇を重ねて。
口腔を侵してきた舌に、また自分の舌を絡める。
指先まで蕩けそうになる、貪るような熱いキス。
きっと分かってくれているのだろう。何を考えていたのか。
だからこんなキスをくれる。それでも距離は変わらないのに。
だからこそ余計に、遠い存在に感じるのだ。
彼も、同じことを思っているだろうか?
「ぁ・・・黒むー・・・」
このまま始める気なのか、腰のラインをなぞる手に気づいて、ファイはその手を止めた。
「何だよ。」
「あの、んっ・・・・・・」
しかし発言は許されず、また唇をふさがれて、甘い快感に酔わされる。
腰に回された手が、シャツのすそを引き出すのが分かったが、もう手に力が入らなかった。
何かを引き摺るような音が聞こえて、そちらを見ると、黒鋼の手がすずりを遠ざけていた。
開いたスペースに押し倒される。
それでも下手に暴れれば、墨汁をかぶりかねない。
「黒むーの国では、床の上でするのー?」
「あ?んなもん、好きな場所でやりゃいいだろ。」
「床の上でしたいから靴脱ぐの?」
「・・・それは・・・・・違うだろ・・・。」
最初に靴を脱ぐと決めた人が、何を考えていたかは知らないが。
「布団がいいのか?」
「あの・・・それはどっちでもいいんだけど・・・」
困ったような顔。視線はちらちらと、何処を見ているのかと思えば、
コンコン・・・
視線の先で、音がした。
そしてその後には、室内の雰囲気をぶち壊す、底抜けに明るい声。
「ファイー!」
「・・・・・・・・・。」
「・・・モコナがねー、下の掃除が終わったら、手伝いに来てくれるって言ってたからー。」
「手伝い・・・?」
「うん、手伝いー。」
邪魔の間違いじゃないのかと、黒鋼の目が語っている。
確かに今の状況にとっては、お邪魔虫以外のなにものでもないが。
「ファイー!」
「今開けるよー。」
黒鋼の下から脱出したファイが扉を開けると、全く悪気のない笑顔で、白い生物が飛び込んできた。
そう、悪気はないはずだ。あるように見えるのは、きっと黒鋼の目がおかしいのだ。
ファイもファイで、何事もなかったかのように、モコナとじゃれあっている。少し乱れたシャツを直さないのは、そこまで気が回っていない証拠なのだろうけれど。
余裕をかました表情が気に食わなかった。さっきは突然、人を遠いものでも見るかのような目で見たくせに、そんなことさえ忘れたような顔をして、それでも確実に、笑顔の裏に隠している。だから、変な顔だというのだ。分かっているくせに、やめないのだろうけれど。
「これ、暖めてくるねー。」
いつの間にかそばに来ていたファイが、冷めたカップを持ち上げる。
チラッと目が合った。睨みつけてやると、へにゃっと笑みを返されて。
唇だけが動く。
『また後で』
「・・・・・・・・・。」
そして、モコナと二人(?)、部屋に取り残されて、腹立ち紛れに、新しい短冊に、『怪生物(白小)注意!!』と書いてみた。彼(?)には何かと注意が必要だという、自分への戒めの意味も込めて。
短冊は多めにあると言っていたから、少しくらい平気だろう。
「黒鋼、何書いてるのー?」
モコナが覗き込んできたが、隠す気はなかった。無視して壁に立て掛けておくと、自分のことだと分かったらしく、嬉しそうにモコナも短冊を手に取る。何を書くのかと思えば、『猛犬(大)(小)注意!!』。黒鋼と小狼のことなのだろう。
ついでなので黒鋼ももう一枚。『猛猫(大)注意!!』。一番注意が必要なのは、きっと彼だ。
(部屋の扉にでも貼っといてやるか。)
ちょっとした嫌がらせを考える黒鋼だが、ファイにはこの字は読めないということは失念している。
二人で三枚、短冊を無駄にした時、ファイが暖めた飲み物を持って帰ってきた。
「はかどってるー?・・・ようには見えないねー。」
字は読めなくても、注文票でないことは分かるようだ。
文句を言われる前に、黒鋼は書きかけていた注文票を再び手に取った。
モコナは、自分で書いた短冊を持って、いつものように跳ね回っている。やはり手伝う気などないらしい。
ファイは、しばらくそんなモコナを笑顔で眺めて、そして黒鋼に視線を向けて、そのまま今度は窓の外へ。
「ねえ、黒りん。」
「何だ?」
「この花、なんていう名前?」
「知らねえのか。『桜』だ。」
「桜・・・。」
黒鋼の部屋の外には、見事な桜の木が立っている。
それを珍しそうな目で眺めるファイ。
きっと、彼の国では咲かなかったのだろう。かなり寒いところに住んでいたはずだから。
「黒りんの国では咲いてたんだねー。」
「春だけだがな。」
「ふーん・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・おい、何してんだ・・・」
「ちょっと、異文化に触れてきますー。」
そう言って、窓から出て行くファイ。手には今暖めてきたカップ。
「異文化ってなあ・・・。」
夜桜で花見は確かに異文化だろうが。
普通、二階の窓から出て行って、桜の木の上で夜桜見物はしない。
ファイは気にしていないようだが。
「黒るーも、書き終わったら来てー。」
「・・・・・・・・・。」
二人も乗ったら、木が折れる。そしてさっきの続きは何処へ行ったのか。
しかもちゃっかり、飲み物まで持っていってしまっている。
「それは俺のじゃなかったのか?」
「飲むー?甘いよー?」
「・・・いらねえ。」
嫌がらせだ。
「あ、もうそのクッション、いらないから、使っていいよー。」
「座布団だ!!」
大差ない。
ファイは、桜の枝に腰を下ろした。先と同じ三角座りで。そしてふと思い立って、黒鋼の座り方をまねてみる。どんな座り方をしても、違和感は消せないのだが、足を組むこの座り方の方が、少し落ち着く気がした。
不機嫌を顔中にちりばめて作業に戻る黒鋼を見て、小さく笑みをこぼしながら、湯気を立てるカップに口をつける。口の中に広がる苦味に、少し顔が歪んだ。コーヒーをブラックで飲むのは苦手だ。それでも、嘘をついてまで飲んでみる気になったのは、今朝、食事の後に出したら、黒鋼は結構気に入ったようだったから。
(遠いなあ・・・。)
溜息に、コーヒーからたつ湯気が揺れ、そのまま風に流されていく。
こんなことをしても、近づけるわけではないのだけれど。
暗闇に舞い散る花びら
その間を縫うように流れる白い湯気
窓からあふれる光と、降り注ぐ月明かり
耳には木々のざわめき
足の裏には夜の風
たまにはいいかもしれない
ほんの少し、距離を忘れるのも
忘れてください。(いきなりだな・・・。)
コミックス派の方には申し訳ない、Chapitre.39の表紙妄想です。
表紙一枚で、こんなに妄想したんだって、雪流さん。
日記に書ききれないから、こっちに持ってきたんですよ・・・
だってファイさんが胡坐組んで、桜の木の上に座ってるんですよ!!
何かあったと思わねば。というわけでこれです。
ギャグにしようと思ったら、微シリアスになり、途中でエロが混ざりました。
正直、収集がつかなくなってました。修行不足ですね・・・。
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