「ファイ、」
「あ、お早うござい・・」
振り向いた彼の言葉を抑えて唇を奪う。強引な朝の挨拶はもういつものこと。
そしてそのキスを、おはようのキスにとどめておきたくて、唇が離れると彼がまた朝の挨拶を繰り返すのも。
「・・・お早うございます・・・」
「ああ、お早う。」
1日の始まりはその辺りで許してやって、王子はファイの横に並んだ。
「今日は何の授業だ?」
「今日は・・・」
ほっとした表情をすぐに隠して教育係の顔に戻った魔術師は、しかし不意に背後から掛けられた声に表情をこわばらせる。
「ファイ、アシュラ、」
「っ!!陛下・・・」
「早いな。これから授業か?」
「は・・・はい・・・」
王を前にして俯くファイに、王子は眉を顰めた。

ファイと父王が、恋仲とは少し違うにしても、特別な関係にあったことは知っている。もう終わったと聞いていたが、ファイのこんな反応を見れば、まだ未練があるのは明らかで。
「ファイ、先に行く。」
「え、殿下・・・?」
不機嫌そうに踵を返した王子に戸惑った声上げたのはファイだったが、呼び止めたのは父王。
「待ちなさい、用があるのはお前だ。」
「・・・・・・」
そう言われては無視する事もできず、王子はしぶしぶ足を止めた。
「ファイ、急で悪いが、城下の視察に王子を同行させたい。借りていっても構わぬか?」
「え・・・ええ。勿論です。」
自分に用事と言っておきながら、自分を外した場所で変更される本日の予定に、王子は思わず苦情を申し立てる。
「そんな勝手に・・・今日の授業はどうするんだ。」
王子と教育係としてでしかなくても、共に過ごせる時間を奪わないで欲しい。しかし、
「殿下、城の外でしか学べない事もありますよ。」
先生にそう言われては、反論の仕様もない。いや、困らせる事を承知で、してみようか。
「では、ファイも一緒に。」
「・・・・・・・オレは・・・」
ちらりと、王に視線で求めたのは拒否か許可か。父王は、ファイの好きにとでも言うかのように微笑むだけ。
「・・・・オレは・・・残ります・・・」

いつも自分の言葉に後悔するのは、ファイを今にも泣き出しそうな顔で俯かせてからだ。




「不機嫌だな。」
城下へ向かう馬車の中、自己嫌悪に浸っていると、向かいに座る父王に声を掛けられた。
「・・・誰の、せいですか。」
「自分の、だろう。」
的確な指摘だ。確かに、あんな顔をさせると、分かっていて口にしたけれど。
「父上が誘えばよかったでしょう・・・。ファイは期待していました。」
「・・・・来ても、側にいれば辛い思いをするだけだ。」
「じゃあ、愛してやればいい。ファイは・・・今もまだ・・・」

求めても手に入らない。それは、ファイの心をまだ、王が占めているからではないのか。
ファイが一体誰のために、あんな顔をしたか。

「ファイは、私を愛してなどいない。」
「口だけです。」
「いや。愛してなどいない。期待しているだけだ。」
「では誰を・・・」
「誰も。あれは、誰も愛してはいない。私も。お前も。」
「・・・なら、どうして抱いたんですか。」
「・・・・・・・・・」

王は、膝の上で指を組んだ。二人きりの馬車の中、しばらく沈黙が続く。
再び口を開いたとき、王は、全く関係のない話を持ち出した。
「勉強は進んでいるか?」
「・・・は?」
「私ももう長くはない。近いうちに、お前が王位を継ぐ日が来るだろう。」
「話をはぐらかさないで下さ・・・」
「お前は、国とファイとどちらが大事だ。」
「・・・」
こんな質問は卑怯だ。叶わぬ恋のたわごとが、一国の前には塵にも等しい事など、王族として十分判っているのに。
判っているけれど.。
「許されるなら・・・ファイだと答えます。」
「・・・・」
王は無言でわが子を見つめ、そして静かに目を伏せた。

「ファイは、この国の至宝だ。知識であり、歴史であり、剣であり鎧だ。王の代わりはいくらでも作れるが、彼の代わりはいない。いつかは、彼もその知識の全てを次の代へと引き渡すのだろうが、まだそのときではないし、その器を持つだけの人材もいない。今、彼はこの国そものもだ。ファイを護る事は、すなわち、国を護る事だ。」
王子は黙って話を聞く。話の先が見えないが、とりあえず国よりファイを選んだことを、とがめられる流れではなさそうだ。
「私が知る限り、ファイは私の父のものだった。その前の事は知らない。父とはこういう話はしなかったが、2人の関係は見ていれば分かった。しかし父は死んで・・・ファイは、後を追おうとした。」
「え・・・」
「今では傷痕は殆ど消えているが、父の墓の前で手首を切った。ファイを捜していた私が見つけた。」
王族の墓所、1番新しい墓の前、白い雪の上に広がる紅い液体と金の髪。
「発見が早くて大事には至らなかった。公にはされていない。このことを知るのは、私と、当時城に使えていた中のほんの数人だけだ。ファイは父を呼びながら丸一日眠り続けて、目覚めたファイを私は抱いた。」


 『陛下・・・・』
 何十回目になるのか、その痛切な寝言の後、ファイはうっすらと目を開けた。
 『ファイ・・・』
 覗きこむと、蒼の双眸がゆっくりと焦点を合わせる。
 『殿・・・下・・・?』
 『・・・違う・・・『陛下』だ・・・』
 それはもう嘘ではなかったけれど、限りなく卑怯な暗示。
 『陛・・・下・・・?』
 『ああ。『陛下』だ。』
 『・・・・・・陛下・・・』
 ファイが安堵したようにふわりと微笑む。王となったものは、その体を抱き寄せた。



「時がたてば、傷は癒え暗示も解ける。暗示が解けたファイに、私は今の形を強いた。」
彼は、求められれば体を開くだけの人形。
誰かを愛する事などなく、人の心など持たず、ただその美しい姿で人を魅了し続けるだけの。
「父の失敗を繰り返すわけには行かない。あれを愛する事はしない。あれが愛する事も許さない。そうしなければ、私を亡くした時に、ファイはまた死を望むだろう。」
「・・・国を護るために・・・?」
「・・・今となってはもう、分からんよ・・・。」
不思議だな、と王は言う。ファイを護る事は国を護る事なのに、国を護る事はファイを苦しめる事にしかならない。

「あれは私に愛されたいのではない。誰かと共に死にたいんだ。」
「・・・・・・」
常々、疑問に思っていたことが、はっきり分かった気がする。明言はされなかったが、ファイは年老いないのだ。完全にと言うわけではないだろう。しかし、出会ってから今までの間に、自分に認識できないほどに、彼の時間は緩やかに流れる。
伸ばすと約束した髪は、いまだ伸びない。
あの美しい姿のまま、彼は何人もの人間に愛されて、そして全て亡くして来たのだろう。それはどれほど孤独で、過酷な時間だっただろうか。初めて出会ったあの日、彼の蒼い瞳がひどく悲しく見えたのはきっと、自分との別れをも、予感していたからなのだろう。
強すぎる魔力は厄を呼ぶ。
いつか彼がそういって声を震わせた事を思い出した。護ると宣言した言葉すら、きっと彼には、悠久の時の中で味わう苦しみの1つでしかなかったのだろう。
「愛すれば愛するほど、辛いのはファイのほうだ。それでもファイを愛したいというなら、ファイを殺す覚悟をしろ。」
「ファイを・・・殺す・・・?」
「そうだ。遺して逝くな。与える愛が途切れる前に、ファイの時間を終わらせろ。」
国よりファイをと答えるものになら、できるのかもしれないと王は言う。
「それが、ファイの求める愛だ。」
「・・・・・・」




城に戻ると、王子は真っ先にファイの部屋に向かった。ノックをすると、少女の声がして、チィが扉を開ける。
「お帰りなさい、王子様。」
「チィ、ファイは居るか?」
「朝からお出かけしたの。」
「どこに?」
「チィ、分からない。」
「・・・・・」
どうしてだろう、嫌な予感がする。
「声は?届かないのか?」
ファイが創った魔法生物の少女は、思念で創造主と意思伝達ができるのだが。
「ファイ、返事しない・・・。寝てるのかも。」
「寝てる・・・?」
どくりと、心臓が嫌な音を立てる。
「分かった・・・捜してみる。」
平生を装って、ファイの部屋を後にする。

彼はどこへ行ったのだろう。久し振りの一人きりの時間、彼は何に思いを馳せたのか。
過ごしてきた時間、なくしてきた人々。
脳裏に、紅く染まった雪のイメージが浮かぶ。
「まさか・・・」
外は、昼頃から風が強まって、雪が窓を叩く音が聞こえる。王子は、構わず外に飛び出した。


新しく降り積もっていく雪の中に、うっすらと誰かの足跡が残っていた。
それに導かれるように、王子は雪の上を走る。
この国に暮らしながら、自らの足で踏むことなどめったにない新雪が、何度も王子の足をすくう。
雪の結晶が髪にまとわりつく。
吐き出した吐息は顔に当たるとき、すでに小さな氷の粒へと姿を変えていた。
「ファイ!」
たどり着いた歴代の王の墓所で、王子は彼の名を叫んだ。応える声はなく、風が悲しい声を上げるのみ。
けれど、ここに居るという確信があった。
願わくばどうか、彼の周りの雪が、紅になど染まっていないようにと。

1つの墓の手前で足を止める。うっすらと雪が積もった金の髪が、風に靡いていた。
「ファイ!」
雪の上に倒れていた彼を抱き起こして、呼吸を確かめる。
息はある。全身を見渡しても出血はない。ほっと息をつくけれど、握った手はひどく冷たい。
「いつからこんな所に・・・」
彼の前に立つ墓を見ると、それは先代『陛下』のものだった。


どうしてずっと、気付いてやれなかったのだろう。
与えられる愛を拒みながら彼が流す涙の中に、求めていた答えは全て詰まっていたのに。



「ん・・・・・・」
雪がやみ、月が空に昇る頃、やっとファイが目を覚ました。
「大丈夫か・・・?」
王子は、その顔を覗き込む。
「殿下・・・?ここ・・・」
「僕の部屋だ。」
「え・・・す、すみません!」
自分が寝ているのが王子のベッドだと気付いてファイは体を起こそうとするが、王子がそれを押さえつける。
「いいんだ、寝ていろ。軽い凍傷を起こしているが配はないそうだ。2、3日もすれば、完全に回復する。」
「凍・・・傷・・・?」
「先王の墓の前にいたんだ。覚えていないか?」
「あ・・・オレ・・・久し振りに時間ができたから・・・お墓まいりでもって思って・・・しばらくあの人のお墓の前にいたら、眠くなっちゃって・・・」
「命懸けの居眠りだな。こちらの寿命まで縮みそうだったぞ。」
けれど無事でいてくれてよかったと、王子は、苦笑いしながら指でファイの髪を梳く。

「髪、伸びないな。」
王子の一言に、ファイは苦しそうに表情を歪ませる。
「・・・すみません・・・」
「いいんだ。もう知ってる。お前の、時間のこと。」
「・・・・・・・」
蒼い瞳が、悲しげに細められた。王子は、そっとファイの頬をなでて、そしてゆっくりと唇を重ねる。
「殿下・・・」
ファイは、困惑した表情で王子を見上げた。その呼び名はいつか『陛下』に変わる。それは、彼を通り過ぎていく何人ものうちの一人を呼ぶための言葉だ。
「殿下じゃない。アシュラだ。」
「え・・・?」
「幾人もの王子の中の1人にしないでくれ。お前の中で、唯一の存在になりたい。だから、名で呼んでくれないか。」
「・・・・・・・」
ファイは驚いた表情で王子を見上げた。

知られたら、諦めてくれると思っていた。王だって、知っていたからこそ、人形のように扱うという選択をしてくれたのに。
どうしてそれ以上のものを求めるのか。どうして、悠久の時の中で一人にしておいてくれないのか。
縋るように、王子を見つめ、苦しそうに紡ぎだすのは拒否と同等の言葉。
「殿下っ・・・」
「違う。」
王子は許さない。
「アシュラだ。呼んでくれ。そしたら・・・」
王子は、ファイの首に手をかけた。
「僕がお前を、殺してやる。」
「・・・え・・・・・・?」
驚いて、目を見開くファイに、王子は優しく微笑む。
「僕は父上とは違う。国よりお前を選びたい。お前の望みなら、なんだってかなえて見せる。だから、お前も叶えてくれないか。」
力を込めればファイの呼吸を止められる体勢で、王子はファイに愛を囁く。
「呼び続けろ。僕の時間が終わる日まで。それができたら、お前を一緒に連れて逝く。・・・約束だ。」
「・・・・・・」
囁かれた言葉の甘美さに、ファイは思わず、言葉を紡ぐ。
「ア・・・シュ・・・ラ・・・」
アシュラは、満足気に笑んでファイの首から手を離すと、その手をファイの手に添えて深い口付けに代えた。
ファイは初めてそれを受け入れた。

途中、アシュラの手をファイの涙が濡らす。


ファイを苛む厄災は、この口付けによって振り払われたのだと、その涙が告げいていた。


Fin.




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原作っぽい展開につなげていく事も考えていたんですが、これはパラレルってことでいいかなと思いこれにてハッピーエンドとさせていただきます。お付き合いありがとうございました。
っていうのはあくまでもメインストーリーが終わったって言う意味で、小咄とか書きたくなったら書きます。
王子部屋フォーエバー!(>ワ<)ノ☆
・・・・・・・痛くない痛くない(自己暗示)
原作ではファイさんの髪がぐんぐん伸びてますけど、これはパラレルなので髪は伸びない設定で貫きました。
でも似非漫画とかでは勝手の伸びちゃってるんですよ、あれは長いのが描きたかったからです、それだけです。
王子部屋イズフリーダム!
これからも更新がありましたらよろしくお願いします。



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