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『41:ヴィンテージ』
雪が窓をたたく音が室内まで聞こえるような風の強い寒い夜は、暖炉に多めの薪をくべて、その灯りだけを頼りに、テーブルの上のグラスにワインを注ぐ。よく飲んだのは温めたブランデーにレモンやシナモンをたらしたものだったが、今夜はとっておきのヴィンテージを開けた。二人でグラスを傾ける、最後の夜にはうってつけ。
『よく、許してくれたな。』
「黒みゅーですか?・・・優しいから。」
本当は、あのまま起きようとも思ったのだが、ちゃんと別れが言いたくて。現実では、慌しく別れてしまったから。
けれどもう、背中のイレズミは消えている。箱が見せる過去の夢からは、既に覚めているのかもしれない。だとすればここは、本当にただの夢の中。
「夜明けまで、待ってくれるって。」
テーブルの上にはアゲハ蝶。おそらく、黒鋼の夢から渡ってきたこれが、箱の魔法が解けた後も二人の夢を繋いでいる。最後の別れが終わったら、黒鋼の元へと導いてくれるだろう。彼は、自分の国にいると言っていた。
「・・・・・アシュラ王、」
『ん?』
「・・・オレは、ずっと貴方に縛られて生きていくんだと思っていました。貴方の元を離れた後も、何かが変わるなんて思いもしなかった・・・。」
けれど彼との出会いが、確かに何かを変えてくれた。
手にしたグラスの中で赤い液体が揺れる。きっとこのワインのように、時間をかけて、少しずつ。
変わらぬものなど、きっと何もない。
「本当は色々、後悔していました。でも、次に現実で貴方と会っても、もう向き合える気がします。待ってますとは・・まだ言えませんけど・・・。」
『・・・それだけでも、ここへ来た意味はあったか。』
「はい・・。」
もう二人は終わってしまったけれど、過去を過ちにする必要はない。
大丈夫、もう向き合える。自分が立つべき場所を、ちゃんと見つけたから。
『42:哀愁』
『万時上手くいったというのに、相変わらず辛気臭いですわねえ。』
「・・・うるせえ。」
背中に哀愁を漂わせながら、黒鋼は一人祖国の酒を煽る。やはりこの国の酒が一番上手い。
『それでも許してあげるところが、貴方らしいと言うかなんと言うか。』
「・・・・他にどうしろってんだよ。あの状況で。」
あのまま帰れると思ったのに。
『あ、ちょっと待って!』
『何だ。』
『あの・・・もう一晩、今夜だけっ・・・駄目かな・・・』
『・・・・・てめえなあっ!!』
『今度こそちゃんと帰るから!だから・・・ちゃんと、さよならしたくて・・・』
あんな顔で頼まれたら、無理矢理連れて帰るわけにも行かないではないか。それに、もう過去に捕らわれることもないだろうと思ったし。夢の中の人間に何を言っても無駄な気はするが、それでファイが満足できるなら。
そうは言ってもやはり、自分以外の誰かを求めるファイを見るのは複雑な気分なのだ。
「・・・そういや、何であの蝶はアゲハ蝶だったんだ?なんか意味はあるのか?」
話題を変えるつもりで黒鋼は蝶の話を出した。あの時計の蝶と、同じ蝶が出てくると思ったのに。
『・・・・・・アゲハ蝶は、人の一生を乗せて飛ぶといいます。』
「一生・・・?」
『ええ。』
頷いて、知世は黒鋼の隣に腰を下ろす。こんなことが許されるのも、ここが夢の中だからか。
『アゲハ蝶は、幸せだった過去を黄色に乗せて、辛かった過去を青に乗せて、誰かを愛した過去の記憶を赤に乗せて飛んでいる・・・。』
そう言えば、遠い昔にそんな話を誰かから聞いたような。
「・・・黒は何だ。」
『これから来る未来を。』
なるほど、それでアゲハ蝶。記憶を呼び覚まし、未来へ戻るにはぴったりというわけか。
『さあ、少しは元気になりまして?そろそろ時間ですわよ。』
「ん・・・ああ。じゃあな。」
『ええ。』
杯に残っていた酒を一口でのどに流し込むと、その味だけが残って、後は白いもやのようなものとなって掻き消えた。
『43:メリッサ』
そしてセレス国の夜も明けて、蝶がひらりと舞い上がる。
「・・・時間切れ。」
『行くか。』
「はい。」
返す笑顔に未練はない。少なくとも、そう笑っているつもり。
『ファイ、』
立ち上がったファイを呼び止めて、王がテーブルの上の花を一輪ファイに差し出す。
「レモンバーム・・・?」
『メリッサとも言う。蜂蜜の使い方を発明した妖精の名だと、教えてくれたのはお前だったな。』
「・・・ええ。」
『花言葉は、』
「思いやり・・・」
過ぎ去った過去の時間は、優しい気持ちで満ちていた。
『想いが変わることはない。お前の幸せを願っている。』
「・・・オレも・・・気持ちは同じです・・・」
やはりこれは夢だ。現実では、どうしようもないほどにすれ違ってしまったのに。
それでもただひたすらに、彼の幸せを願っていた。
「・・・・・・・・・さようなら・・・」
『ああ。』
蝶がファイの持つ花にとまり目映い光を放った。世界が白く塗り替えられる。
目の前にいたアシュラ王はその光の中に消え、光が収まるとそこには黒鋼の姿が。
「・・・お待たせしましたー・・・」
ふにゃりと笑うと、後頭部を掴まれ抱き寄せられた。
「黒様ー?」
「夢の中でまで無理すんな。止まるまで待ってやるから。」
「・・・・・・ありがとー・・・」
彼が優しいのも夢の中だからだろうか。いや、それは本当はいつもの事で、素直に甘えられるのが夢の中だからだ。
どうせだからこの機会に思いっきり泣かせてもらおう。
手にした花を握り締め、ファイは黒鋼の肩に顔を埋めた。
『44:渦』
目覚めの感覚は、渦にまかれて一度深く沈みこみ、その後水面に浮かび上がるような、そんな感覚。目を開くと少し目が眩んで、本当に目覚めたのか一瞬判断がつかない。
本格的な覚醒は、待ってくれていた二人と一匹の声による。
「あ、二人起きた!」
「ファイさんっ、黒鋼さん!!」
「二人とも、大丈夫ですか!?」
「んー、おはよー、皆ー。」
ファイが呑気にそう応えると、一同にほっと安堵の色。よほど心配させたようだが、
「そんなに寝てたのか。」
「3日です。」
「3日!?」
いや、むしろあれだけ色々あって、3日で終わったことに驚くべきか。
起き上がると、まだ渦にまかれているような錯覚。目が回る。
「どんな夢見たの?」
モコナが興味津々に尋ねてくるが、殆どの舞台はファイの夢の中だったので黒鋼にはあまり記憶がない。祖国の酒を飲んだことと、夢の中だというのに若い君主に説教されたことくらい。
「何か・・・苦労した気はするんだがな。あんまり寝た気がしねえ。」
出来ればもう一度寝直したい気分だ。今度は夢さえ見ないような深い深い眠りを。
「ファイはー?」
ぴょんと腕の中に飛び込んできたモコナを抱きとめて、ファイは満足げに微笑む。
「んー、色々あったよー。黒むーは夢の中では優しくてさー。」
「『では』って何だよ。」
「えへへー。」
そこでモコナがふと気付く。
「ファイの手、良い匂いがする。」
「んー?」
嗅いでみると、確かに手のひらに残るレモンに似た甘酸っぱい香り。
(メリッサ・・・・・・)
花を現実まで持ち帰ることは出来なかったが、香りだけは手に残った。
不思議な夢だった。ファイは枕元に目を向ける。そこにはあの箱が、開いたまま置かれていた。
「・・・・・・すごく、良い夢を見たんだ・・・。」
そう呟くと、ファイはそっとそのふたを閉じた。
『45:ヴォイス』
翌日、再びあの魔法具屋を訪れたファイは、女主人に箱を差し出した。
「何だ、いらないのかい?」
「もう必要ないですからー。旅の途中で開いちゃっても困りますしー。」
「あれ、言わなかったっけ?過去に行けるのは一人一回。あんたたちはもう行けないよ。」
「あ、そうなんですかー?」
しかしまだ行っていないメンバーもいる。過去に捕らわれるほど弱い二人ではないと思うが、人の心は分からない。
「ところで、夢の中の人と会話が出来たんですけど、どういうことでしょう?」
最初は話せなかった。ファイは過去に捕らわれたからともかくとして、黒鋼も、祖国の人間と話をしたらしい。それに、よくよく考えると、最初に会った時のアシュラ王の抱擁、あれも都合が良すぎたような。
「夢の中特有の都合のいい展開ですかー?」
「んー、そりゃ多分、アンタの魔力が変に影響したんだろう。この箱の魔力なんて、あんたのに比べりゃ弱いもんさ。」
「あ、そういうことかー。」
しかし使用者の魔力に影響されるようでは、まだまだ改良の余地がありそうだ。
しばらく箱を見つめてなにやら考えていた女は、それを再びファイに差し出した。
「やっぱりあげるよ。こんな小さな箱一つ、持ってても邪魔にはならないだろ?」
「え、でも・・・」
「開けてごらん。二度目は夢は出てこない。あんたが今一番、大切に思ってる言葉が入ってる。」
「言葉ー?」
恐る恐る、ファイはふたを開けてみた。すると、
『愛してる!だから戻って来い!俺がお前の居場所になる。ずっと側にいてやるから!!』
「っ・・・!」
思わずふたを閉める。これは確か、夢の中で何処か遠くに聞いていた黒鋼の声。
「うーわー・・・・・」
ファイの夢の中でのことだったので黒鋼が覚えておらず、もう一度言えとも言えなくて悔しがっていたのだが。
「気に入ったなら持ってきな。」
「・・・・・・頂きますー・・・」
今度黒鋼に聞かせてやろう。どんな顔をするだろう。
顔が笑うのをこらえながら、ファイは箱を抱きしめた。
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