Mirror





一つの命が二つに分かれた。
オレはキミ。キミはオレ。 
キミの存在を護るために、オレは君の餌になった。





喉が乾いて目が覚めた。
鉄の匂いのする液体を嚥下する心地悪さにはやっと慣れてきたが、この喉の渇きにはいまだなれない。食事が足りないわけじゃない。こちらから求めなくても、彼はそれを与えてくれる。
きっと、おなかがいっぱいでも、無性に甘いものが食べたくなるような欲求に近いものだと思う。その欲求を、満たす必要はない。
けれど、再び目を閉じてもなかなか眠れなくて、ファイはベッドを抜け出した。

何か小さな音がしていると思ったら、キッチンに『小狼』がいた。
「あ・・・すまない、起こしてしまったか・・・?」
申し訳なさそうに眉を顰める。そんな表情は小狼そっくりだ。
「ううん、喉が渇いただけ。君は?」
「おれも・・・喉が渇いてしまって。」
みると、ポットが火にかけられていた。小さな音は、湯が沸いた音だったようだ。『小狼』が、火を止める。
「紅茶で良い?」
「あ、ああ。」
お湯だけで他の用意は何もしていなかった『小狼』に代わり、ファイが手際よくカップを用意する。普通の人間の食事は必要なくなった今も、台所はファイのテリトリーだ。
「少し甘い紅茶だけど、平気?」
「ああ。」
ポットから琥珀色の液体が注がれると、キッチンに甘い香りが広がった。

カップは、2つ。

「貴方は・・・」
「ん?」
「・・・いや。なんでもない。」

二人で一つずつカップを持って、リビングに移動する。
「君と二人で並んで座るなんて、珍しいね。」
微笑を浮かべながら、ファイがカップに口をつける。笑った瞬間に、唇から白い歯が覗いた。
「・・・・・・」
思わず凝視してしまう。ファイは、困ったように目を細めた。
「何か、オレに聞きたいことがある?」
「え・・・?」
「君は、オレが内緒にしてることを、いろいろ知ってるみたいだから。」
「・・・・・・」
『小狼』は、紅茶を少し口に含んだ。上品な甘さが口内に広がる。こんなことを言うのは無神経だろうと思ったが、少し気持ちが和らいで、言っても良いのだろうかという気になった。
「きっと・・・貴方が思ってるようなことじゃない・・・もっと・・・くだらない事を考えていた・・・」
「どんな?」
「・・・・・・気を、悪くさせたらすまない・・・。その紅茶・・・貴方にとって、どんな味がするんだろうかと・・・」
ファイは、吸血鬼の血を受けてから、あまりこういった嗜好品に手を出さなくなった。摂取する必要がないからだろうと思っていた。吸血鬼にとって、これはもう食料ではないから。
どんな味がするんだろうか。血ではない飲み物は。
「そうだねえ・・・どう表現したらいいんだろう。すごく、乾いた味がするよ。砂っぽいというか・・・。」
「・・・そうか・・・」

「他には?」
「・・・牙って・・・あるんだろうかって。」
「牙?」
ファイがきょとんとした顔をする。
「あ、あの・・・あいつが、星史郎さんの影響か、吸血鬼に少し興味があったみたいで・・・それで・・・」
「君も、影響受けちゃったんだ。」
ファイが、くすりと笑う。
「影響・・・・なんだろうか・・・」
「違うの?」
「・・・時々、分からなくなる・・・。自分の感情が、自分のものなのか、あいつのものなのか。」
東京と呼ばれた世界で、自分から作られたもう一人の小狼がなくした心を、自分の中に戻した。それ以来ずっと。
「すまない・・・こんなことを聞くべきじゃなかった・・・」
ファイが、こんな体になったのは、小狼の、つまり、自分のせいだ。
「すまない・・・」
「・・・この目と体のことを謝ってるなら、その必要はないよ。君のせいじゃない。」
「でも・・・あいつは・・・・おれだ・・・」
「君とあの子は違う存在だよ。だから、サクラちゃんだって・・・」
良いかけたファイは、口を噤む。
「・・・やめようか、この話は。オレも、人に言える立場じゃなかった。」

双子は生まれつきの写し身。東京で出会った吸血鬼は、小狼のことを『餌』と呼んだ。
それなら自分は、『ファイ』を護るための『餌』だ。彼の名を騙って、彼の存在を護っていても、彼の心は持たない、紛い物。
「オレはそろそろ戻るよ。少し落ち着いたから、よく眠れそう。」
ファイは砂の味の液体を飲み干して、空のカップをキッチンで軽く洗った。

「あ、一つだけ良いかな?」
「なんだ?」
『小狼』が顔を上げると、ファイが両手を頬に添えた。顔が近付いて、思わず目を閉じると、右目の瞼の上に、尖ったものが当たる。

カリ・・・

「仕返し。これでお相子。ね?」
「あ・・・」
こんな甘い痛みでは、償いようもないだけのことをしたのに、右目に歯を立てた、ただそれだけを仕返しされても。
けれどファイは、それで良いんだと微笑む。
「それで、牙はあった?」
「え・・・」
そういえば、尖った感触はあったけれど
「よ、よく分からなかった・・・」
「そう。残念。」

また機会があったら話そう。今度はもっと他愛ない話。
そう言って、ファイは自分の部屋に戻った。

『小狼』は、ファイの背中が消えた扉の先をしばらく見つめて、また、カップに口をつける。
自分達は、似ているような気がする。
いや、自分達だけではない。

人は皆、誰かの『餌』なのかもしれない。本人の意志の有無に関わらず。

『小狼』は、サクラの部屋の扉に視線を移した。
浮かんだ考えは悲しすぎて、残りの紅茶と共にそれを飲み込む。
「おやすみ。・・・良い夢を。」
きっと届かない扉の先にそう呟いて、『小狼』はリビングを後にした。




Fin.




ファイさんが片目になったときにネタバレ日記でやってたおめめ祭りネタ(あの時は弟君(コピー小狼のこと)の方で書いてたんですが)を文章にしてみたら案外重い話になってしまいました・・・。
あれ、もっとウハウハした気分で書き始めたはずなのにな。やはりあの衝撃の目カリ(弟君がファイさんの目に歯を立てたあれ)から時間が経ちすぎて、あのときの興奮が薄れているのでしょうか。ちゃんと書き出す前にあのページ見つめて気持ちを奮い立たせたのにな・・・。しかしまあこれはこれで。
でも何らかの方法で弟君がもとに戻ったときは、また改めてカリッとやってほしいです。




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