哀韻恋歌




京を発った黒鋼とファイは、とりあえず小狼の村を目指した。断食期間が長かった為か、ファイは最初のうちは短い期間で飢えに襲われたが、黒鋼は躊躇う事無く血を与えた。星史郎の邸から頂戴して来た薬と包帯で何とか手当ても出来て、村に到着すると、小狼とサクラが迎えてくれた。
心配していたサクラは何事も無かったかの様に元気で、何か在った証拠と言えば、鬼が建てた小狼達の新居は、この小さな村には不釣合いな大きな邸で、中には今まで小狼が所蔵していた書の数倍の書が収められていた事。そして其の所為で、小狼の活字中毒に拍車がかかった事位だ。
黒鋼とファイは無事の再会を報告したついでに3日ほど滞在して、また旅に出ようと決めていた。

其の、旅立ち前夜。

「黒むー、ちょっといいー?」
子供達はもう眠って、黒鋼も寝床へ入ろうとした所へ、ファイが声を掛けた。
「何だ?」
「ちょっと・・・散歩しない?」
「散歩?」
こんな時間に?と思ったが、ファイは妖怪。夜の方が好きなのだろうと、誘われるままに外に出た。月が美しい夜だった。冷たい夜風が、先を行くファイの髪を揺らす。
「寒くねえか?」
「オレ妖怪だよー?お腹空いてる時は寒いけど、風が冷たいのは平気。黒様はー?」
「此れ位なら平気だ。」
「そう、良かった。」ファイは小さく笑うと、また歩を進めた。何時しか村を出て道を外れ、山の中に分け入る。ファイの歩みは無音だが、黒鋼が踏み出す毎に、落ち葉が音を立てる。まだ全ての葉が落ちきった訳ではないが、もう少ししたら、裸になった枝の上に、白い雪が積もるだろう。此の時期の山中は、少し寂しい気配が漂う。何時も口数の多いファイが黙りこくっているのも、其の所為なのだろうか。
「そういや、そろそろ腹が減る頃じゃねえのか?」
最後に血を与えたのは旅の途中だ。一週間はまだ経たないが、今日での一件以来、穴の空いた容器の様に、ファイの腹の減りが早い。それも、徐々に元の間隔に戻りつつはあるが。問うと、ファイは振り向かずに、曖昧な返事をした。
「ん?んー・・・」
「?」
少し歩を早めて、ファイの手を取る。激しい飢えを示す其の温度に、思わず目を見開いた。
「お前っ・・・もっと早く言えよ!!」
「・・・うん・・・ごめんね・・・」
「刀置いてきちまった。戻るぞ。」
「待って。」
踵を返すと、袖を掴んで引き止められる。
「何だ?歩けねえか?」
「そうじゃないんだ・・・聞いて・・・」
「ん・・・?」
何時もと違うファイの様子に、黒鋼は改めてファイに向き直る。ファイはしばらく黒鋼の瞳を見つめて、けれど、口を開く前に俯いた。
「オレ・・・このまま・・・いこうと思う・・・」
「・・・いくって・・・何処に・・・」
「逝く・・・だよ・・・。死ぬって事・・・。」
「な・・・何でっ!!」
黒鋼はファイの肩を掴んだ。
「一緒に旅するって言ったじゃねえか!何で今になって!」
ファイはやっと顔を上げて、ふにゃりと笑ってみせる。けれど其れは何処か歪で、睫が小さく震えていた。
「だって、このまま一緒に居ても、オレ、黒むーにいっぱい痛い思いさせるだけだもん・・・。また、前と同じになる・・・。」
「俺は其れでもいい!お前が側に居てくれるなら・・・!!」
「オレは・・・嫌だよ・・・。黒むーが痛いと・・・オレも痛い・・・。」
「だからって何も死ぬ事っ・・・!」
「一緒に居られないなら、生きてる事は辛いよ・・・」
ファイは黒鋼の背に腕を回して、肩の頭を乗せた。
「大丈夫・・・オレ、妖怪だから・・・想いが、次への可能性になる生き物だから・・・。」
「ファイ・・・」
「黒むーの事だけ想いながら死んで・・・其の想いだけで生まれて来るんだ・・・。今度は黒むーが一番最初に見つけて・・・?オレに、色と名前を頂戴・・・。今度は力なんて要らない・・・。君を傷付けなくても・・・側に居られるように・・・。また忘れるかもしれないけど・・・きっと思い出すから・・・。」
別れる為に逝くのではなく、共に在る為に離れるのだと。
「でも、それは・・・大丈夫なのか・・・?」
「ちゃんと、生まれて来られるのかって事ー?」
「・・・ああ・・・」
「・・・・・・愛してるから・・・」
顔を上げて、にこりと微笑むと、少し不安も覗くけれど。
「こんなに幸せなの、初めてなんだ・・・。こんな、強い想い・・・だから、大丈夫だよ・・・」
ファイは、黒鋼の胸にそっと手を当てる。
「其れに黒みゅーも、想っててくれるでしょ・・・?」
「・・・ああ。」
「見つけてくれるよねー・・・?」
「ああ・・・必ず。」
「なら、大丈夫。」
ファイは胸に当てた手を離して、黒鋼の手を取った。冷たい肌を気にしてか、衣の上から。
「もっと歩こう?しばらく会えないから、一緒に歩きたいんだー。明日は急がないでしょー?」
そう言ってファイは黒鋼の手を引く。月明かりに照らされて、金の髪が揺れる。一歩下がった場所から見つめる其の姿はとても美しくて、次の言葉を、ファイがどんな顔で呟いたのか、黒鋼には判らない。
「夜明けまでは・・・かからないと思うから・・・。」
「っ・・・」
けれど気が付けばファイの手を振り払って、其の体を背中から抱きしめていた。
「黒むー・・・」
「・・・こうしてたい・・・触れてたい・・・」
「・・・・・・・・オレだって・・・」
可能ならば、残された時間の全てで。
この肌、この感触、この存在、この想い。
深く深く刻み付けて、離れても決して薄れない様に。
「でも・・・」
ファイがそっと黒鋼の手に触れる。今度は衣の上からではなく、肌と肌が触れ合う。
「こんな・・・冷たい体・・・」
今夜死ぬと言った時でさえ、笑顔を崩さなかったファイの声が、今夜初めて震えた。
死の恐怖にも流れなかった涙が、たった一つ叶わぬ願いの為に頬を伝って、黒鋼の手を濡らす。
「一晩中抱いてたら・・・凍えちゃうよ・・・?」
「馬鹿野郎・・・」
黒鋼はファイを振り向かせて、両手で濡れた頬を包み込んだ。痛みを伴う程の冷たさも、もう慣れた温度だ。
「此の程度で凍える程、人間は軟弱じゃねえよ。」
体が冷たいなら温めてやれる。其れが人間。
引き寄せて深く口付けた。二人を包む風の冷たさが、少し和らいだ気がした。


黒鋼は木の葉の褥に衣を敷いて、ファイを横たえ帯を解いた。月明かりに露になる白い肌を、確かめる様にゆっくりと手でなぞる。
「黒むー・・・一つだけ、お願い・・・」
「何だ?」
「・・・・・・名前。」
「名前?」
其れは共に過ごした時間の中で、たった一つだけ、黒鋼が許してくれなかったもの。
「『黒』しか聞いてない・・・全部教えて・・・?」
情報を握られる事は時として命を握られる事となるからと、出逢ったあの日には教えなかった。
今は違う。全てを、ファイに捧げる程の覚悟がある。
「黒鋼だ。」
「黒鋼・・・」

ファイは、黒鋼の腕の中で何度も、その名を唇に乗せた。





風が優しく木の葉を揺らす。月は随分傾いた。黒鋼は大きな木の根元に座って、ファイは黒鋼の膝を枕に静かに目を閉じて。時々、髪を梳く黒鋼の指に、擽ったそうに笑う。
体を重ねた後、再び立ち上がるにはファイの体は弱り過ぎていて、月夜の散歩を再会するより、このまま此処でという彼の希望に従って、二人静かに其の時を待つ。
恐怖は無かった。
ふと、ファイが目を開く。
「オレ、次はどんな姿で生まれて来るんだろー。」
夜明けが近い。未来への期待は、今の終わりを悟ってのものだろう。
「どんな姿になりたいんだ。」
「黒鋼の望む様に・・・」
黒鋼が掌でファイの頬に触れると、ファイが其れに自分の手を重ねた。珠の様な白い肌が、仄かな月明かりに照り映える。これ以上に美しい姿など知らない。他の姿など、望み様も無い。
「じゃあ、このままの姿で。」
「オレの顔好きなのー?」
少し驚きを見せた拍子に、金の髪が揺れた。月の色を宿したという其れは、今は夜闇の中で少し濃く見えて、春の花の明るい黄色を思わせる。
「顔が違ったらお前じゃねえみたいだろうが。」
「じゃあ好きじゃないのー?」
「・・・綺麗だとは・・・思ってる・・・。」
「へえー。」
思いがけず容姿を褒められたのが嬉しかったのか、それともこんな遣り取りに頬を赤らめた黒鋼が可笑しかったか。もうすぐ消えてしまうとは思えない安らかな表情でファイは笑った。
「でも・・・色は変えて欲しいな・・・。」
髪は月の光の色。
肌は太陽の光の色。
今度は、そんな強大な力は要らないから。
「黒髪も良いなーと思うんだけど。黒鋼の髪の色。」
「じゃあ肌は赤か?俺の瞳の色。」
「えー、気持ち悪いよー。」
「お前、そんなこと言ったら赤鬼に失礼だろ。」
「う〜・・・」
其れと此れとは話が別だと顔を顰めるファイを小さく笑って、黒鋼はまたそっとファイの髪に触れた。
「髪は・・・春の野に咲く花の色。」
「え・・・?」
一瞬きょとんとしたファイは、すぐに其の言葉の意味を解してぱっと顔を輝かせた。
「じゃ・・・じゃあ、肌は?」
「肌は・・・珠。」
不思議な柔らか味のある光沢を持つ、白い宝石の色。
「じゃあ瞳は?晴れた日の空の色?」
「そうだな・・・」
それなら、力を得るような要素は無さそうだが。ただ、空の蒼は、少し遠い。
黒鋼は、はっと思い出して懐を探った。硬い物に指先が当たる。其れは、京でファイと再会した後も、なんとなく手放せなかった、彼の瞳と同じ色の石。
ファイの手を取って、其の掌に其の石を乗せる。
「石・・・御弾き?」
「ああ。」
「綺麗ー・・・」
「じゃあ、、瞳は其の石の色。」
「うん・・・」
ファイは一度石を胸元で握り締めて、其れを黒鋼に返した。そして、両腕を伸ばして抱擁を請う。
「ね・・・抱きしめて・・・?」
黒鋼は、もう自分では起き上がれない体を抱き起こして、胸に抱き寄せた。
「黒鋼・・・」
「ん?」
「今度は・・・一番最初に、名前、教えて欲しいな・・・」
「・・・ああ。分かった。」
黒鋼の返事を聞くと、ファイは満足気に微笑んで、ほっと息を付いて目を閉じた。
「ファイ・・・?」
訪れた静寂に不安を感じて名を呼ぶと、黒鋼の視界の中で、ファイの体が崩れだす。
最初は足の先から。砂の人形が崩れるように、今までファイの形をしていた物は無数の光の粒子となって、そして其の粒子も、消えて空に溶けて行く。
「ファッ・・・・!」
「大丈夫・・・抱きしめてて・・・」
この瞬間の訪れを感じていたのだろう。ファイは落ち着いた様子で、黒鋼の衣を弱々しく握る。
「大丈夫・・・また会えるよ・・・怖くない・・・」
「ファイ・・・」
「口付けを。もう一回だけ・・・」
「っ・・・」
強く、ぶつける様に重ねた。決して長くは無いその口づけの間に、黒鋼の衣を掴んだ指も消える。
「ファイ!愛してる!必ず見つける!」
「うん・・・黒鋼・・・黒鋼・・・」
喉が崩れて、最後の言葉は唇の動きだけで。
『アイシテル』
「ファイッ!」
叫んだ時にはもう、髪の一本すら遺さずに。
残ったのは、石と、約束と、次に繋がる確かな想い。
「・・・ファイ・・・・・・」
もう一度、小さく呟いて、黒鋼はゆっくりと立ち上がった。
東の空が、微かに白み出していた。




約、一年半後。

「よお、生きてるか?」
突然訪問して断りも無く戸を開けた僧侶に、小屋の中に居た少年――もう、青年と呼んだほうが相応しいかもしれない小狼が、ぱっと顔を上げた。
「黒鋼さん!久し振りです!!」
「元気そうだな。そっちも。」
「はい。」
視線を移した先で、サクラが笑顔で頷いた。

一年半前、鬼に大きな邸を建てて貰った筈の二人は、広すぎて落ち着かないと言って、其の隣にまた小さな小屋を立て、邸は書庫と化している。二人が其れで良いなら、其れで良いのだろう。

邸と言えば、この一年半の一人旅の間に、京のある邸の噂を耳にした。
一年中、桜が咲き誇る、不思議な邸が在ったらしい。邸の主は高名な陰陽師で、桜が散らないのは彼の術の所為だとか。ところが、去年の春の終わりと共に、其の桜が全て散ったとか。誰かが陰陽師に理由を問うと、彼はこう答えたそうだ。
『桜なら、今も隣で咲いている』
彼は、もう独りではないのだろう。


「悪い、荷物預かっててくれねえか。ちょっと行って来る。」
「着いたばかりなのに?え、刀もですか?」
「ああ。必要ねえ。」
刀と他の荷物を受け取って、小狼は行き先を訪ねる。黒鋼は一言、
「迎えに。」
と。

何故其処だと分かるのかと言われると、なんとなくとしか答えようが無い。愛の力だなどと薄ら寒い理由を口にするつもりはさらさら無く、ただ、繋がっているからではないかと思う。想いが形になるのが妖怪だと言うなら、きっとソレは、彼の想いと自分の想いから出来たモノだから。
最期にファイと二人で歩いた道を辿って、木々の間に分け入る。足を止めたのは、一度だけ彼と結ばれて、そして別れた場所。記憶は消えているだろうと覚悟していたが、其の場所に居ると言う事は、思い出すのは案外早いかもしれない。
「其処に居るな。」
目に見えない相手に声を掛ける。それは、かつてファイだった、そして、これから、花と珠と石の色を宿し、再びファイとなるモノ。
意識が動く。
(誰・・・?)
「迎えに来た。約束通り。」
(約束・・・?)
「ああ。お前に色と名前をやる。」
(オレに・・・名前・・・・・?)
「でも、まず先に俺の名前を呼べ。俺の名前は―――――――――――――」








お付き合い頂きありがとうございましたー!!!お疲れ様でした!(えー)
いやあ、長かったですね。長文ばっかり書いてる雪流さんですけれどもサイト用で此処まで長いのは初めてじゃないでしょうか。書くのはともかく打つのが一苦労です。書くのも最初に書き出してから書き上げるまで3年近くかかってますがね。(途中で放棄してたんですけれども)きっと読むのも一苦労だったのではないかと思います。ごめんなさ・・・○| ̄|_
和物を書きたいと思って、使いたいキーワードを色々集めて並べて繋げたらこうなりました。『アシュファイ』『黒ファイ』『背中の紋様』『左手の傷跡』『しゃれこうべ』『師匠』『血を飲む』『唇を舐める』『死に別れる』『人型氷抱き枕』『花の宴』『寝物語』『散らない桜』『体温差』『御弾き』『珠(真珠)』『花盗人』などなど。一章分のテーマ的扱いにしたものからさりげなくしか組み込めなかったものまで。
あと『遺された星史郎さん』が書けて満足です。エックスでは先に死んじゃったからね。お前一回置いてかれてみろや!とちょっと思ってましたからね。(何この一人暴露大会)
血を飲むに関しては、丁度公開に向けて打ち込んでるあたりでしたっけ、CLAMP先生に先を越されてやられたーと思いました・・。今時の少年誌って凄いね!!





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