追悼の涙が乾いたら、この箱庭に別れを告げよう。



Hakenkreuz ]I.悪魔 ガ 開ケタ 扉





「これからどうする?」
「・・・・・・・・」

やっと泣き止んだ神威だったが、まだぼんやりと虚空を見つめたまま。
封真の問いに返る言葉はない。
これだけ苦しんでもまだ、翼は黒いままだ。
どこまで重い罰を与えれば、神は気が済むというのだろうか。

「もう、悪魔になる理由はないだろう?」
「・・・・・・・」

神威はぎこちない動きで封真を見上げて、そしてまた俯いた。

「どうしたいのか・・・わからない・・・」
「そうか。」

それもまた良いと、封真は神威の背に回した手をゆっくりと上下させた。
子供をあやすような動きに、神威は静かに目を閉じる。
思えば、初めからずっと、この悪魔の手は心地よかった。
知れば知るほど、分からなくなる。

「何が・・・正しいんだろう・・・」

何が罪なのだろう。
何が悪なのだろう。

「俺は・・・間違ってたのかな・・・」

神の意に逆らい、穢れなき人の魂を地獄に堕とした。
しかし昴流は望んだのだ。

「・・・古の天使が、地に堕とされた理由を知っているか?」
「・・・知らない・・・」
「お前と同じことをした。」
「・・・・・・」
「あの頃は地獄がなかったから、天に行けない魂は地上に戻ったはずだ。
 人の願いを叶えて、天使は罰を受け地に堕ちた。」
「それで・・・地獄を・・・?」
「エデンに行く事は地上から切り離される事だ。
 だが望まない者がいた。
 何故叶えられないのか。大切な者の側に居たいと、ただそれだけの願いを。
 堕天は世界を創った。
 神の秩序から外れ、一切の幸福を手放して、唯一つだけの望みが叶う世界を。」

封真は神威の瞼に口付けた。

「俺たちには、お前が正義だ。」
「・・・・・・ありがとう・・・」

神威は、とても安らかな笑みを浮かべた。
ずっと独りで苦しんでいた。
誰かに認めて欲しかった。

「封真・・・」
「ん?」
「俺・・・人間になりたい・・・」
「人間?」
「うん・・・。天使は悪魔になれないから・・。
 人間になって、死んだら封真に迎えに来てもらって、地獄に行くんだ・・。
 駄目かな・・・。」

エデンには戻れない。自分の正義は、悪魔の所業だから。

「・・・俺が迎えに来るかどうかは分からないな。あと・・・俺にお前を人にする力はない。」
「じゃあ・・・無理なんだ・・・」
「神に頼め。」

せっかく浮かべた笑みが落胆に替わる前に、封真は神威の目を見つめた。

「叶えてくれるとは思えないが、もしかすると。」
「でも・・・」
「エデンに戻る方法なら教えてやれる。罪に値する善行とやらを。」
「本当に・・・?」

そういえば初めてあった日にも、封真はそれを教えてやると言った。
悪魔の戯言だと思っていたのに、頷く彼の瞳は真摯だ。

「高いぞ。」
「・・・うん。いい。もうこれ以上・・・失くして辛いものはないから・・・」
「・・・そうか。」

それなら構わない。神威が悲しくないのなら。

「・・・一つ、頼みがある。代価じゃなくて・・・ただの頼みだ。」
「え・・・何・・・?」

人になれば、きっと忘れてしまうだろう。
天使だったこと。
罪を犯したこと。
スバルと出会い、悪魔になろうとしたこと。
そして、こうして出会えた事。
或いは、神は願いを叶ずに、その願いに至る記憶だけを消すかもしれない。
それならそれで構わない。忘れてしまえば、神威は悲しくないだろう。
だから。

「人になれても・・・俺の事を・・・忘れないでいてくれないか・・・。」
「・・・うん・・・忘れない・・・絶対・・・。」
「・・・・・・・・・・・・ありがとう。」

だからこんな約束ごと、忘れてしまえばいいと思う。

封真は神威の頬を両手で包んで引き寄せた。
唇が重なる。
神威は瞬間瞠目して、しかし、今はそうすることが相応しい気がして、静かに目を閉じた。
長いキスが終わって、唇が離れる。
悪魔は囁いた。

「代価は・・・天使の生き血だ・・・」
「血・・・?」

封真は、どこからか先の尖った金属を取り出した。
見覚えがある。あの日、昴流に渡したものだ。
昴流を地獄に送ったときに、受け取ったのだろうか。
ずっと、持っていたのだろうか。

「腕を。」
「あ・・・うん・・・」

神威は封真に腕を差し出した。
封真は金具で少しだけ神威の腕を傷つけて、滲んだ血を舐めた。
天使の傷はすぐに塞がる。後には何もなかったように。

「・・・そ・・・れで・・・?」
「・・・・・・」

封真は、悪魔とは思えないくらい優しく微笑んで。
静かに、神威の胸に、倒れこんだ。

「え・・・?」
「ぐ・・・」

苦しげに顔をゆがめて、胸を押さえる。

「封・・・真・・・?封真っ!?」
「大・・・丈夫だ・・・」

荒い呼吸の間に、封真が途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「悪魔は・・・穢れた・・・存在だから・・・・・・天使の血は・・・毒になる・・・」
「っ・・・・・・!」

似た存在でありながら、対極に位置してしまった二種族は。
天使が地獄の風に当たれないように、悪魔は天使の聖なる血には触れられない。

「じゃあどうしてこんなっ・・・!」

叫んだ神威の頭上から、ひらりと一枚の羽根が降ってきた。
美しい純白の羽根。
恐る恐る振り返った。
目に映るのは、背中にはえた自分の翼。
罪に穢れ黒く染まったはずのそれは。
いつの間にか。
目映い程の。

白。

「悪魔は・・・穢れた存在だから・・・消せばどんな罪でも・・・許される・・・。」
「そんな・・・嫌だっ・・・!封真!!」
「いいんだ・・・お前が・・・悲しくないなら・・・」

失くして辛いものなどもう何もないと言った。だから、良いのだ。

「神威・・・」

封真が目を閉じる。
唇だけが動いた。

「     」
「っ・・・・・・や・・・封真・・・封真っ!!」

呼んでももう返事はなく、封真は微笑を浮かべたまま、神威の腕の中で呼吸を止めた。
直後、その体が崩れ去る。
『封真』を形作ったものは一瞬のうちに霧散して、残ったのは、彼の服と、白い翼の天使。

「嘘・・・嘘だ・・・どうしてこんなっ・・・」

冗談だと信じたかった。
少し待てばまたどこからか現れて。
『悪魔の言動をいちいち真に受けるな』と。
けれど彼が消えた腕の中は悲しいほどに空虚で。
背中の翼は残酷なまでに白い。

神威は封真の服を抱きしめて、神に問う。



『僕は地獄に行きたい』

「あれが悪で・・・」

『お前が・・・悲しくないなら・・・』

「これが正義なんですか・・・」

『     』

「神様・・・・・・っ!!!!」



封真の服から何かが落ちた。
大きさの割りに軽い音を立てて、それは神威の前に転がる。
神威はそれを、封真の服で包んで拾い上げた。
そのとき、空から明るい声が降る。

「神威さーん!!」

見上げると、迎えに来るという約束どおり、護刃が天から舞い降りてきた。

「赦されたんですね!おめでとうございます!!
 まさかこんなに早いなんて!どんな善行をしたんですか?」

純粋に、歓喜と祝福を口にする天使は、話せばどう思うのだろうか。
地上でずっと支えてくれた悪魔を、殺して罪を濯いだなんて。
これがこの世界の正義だというなら、世界など――。

「神威さん・・・?」

スバルのために流しすぎて枯れたかと思った涙が、また溢れて頬を濡らした。

「どうしたんですか?そんなに辛かったんですか?」

護刃が神威の両肩に手を置く。
手に握り締めたそれが護刃に触れないように、神威はそれを更に強く握り締める。
それは、布で包んでも少し熱い。

「泣かないで下さい・・・。大丈夫、エデンに戻れば、悲しい記憶なんてきっと神様が消してくださいます。」
「・・・消す・・・?」
「はい!エデンには悲しみなんていりません。あるのは幸せだけ、でしょ?」
「幸せ・・・だけ・・・」

それは、魂を迎えに来るたびに、神威自身も何度も繰り返した言葉。
それはとても素晴らしい事で。
それは何物にも変えがたいもので。

天使の傷はすぐに塞がる。最初から何もなかったように。
体も心も同じ事。神は、白い翼の天使を、傷付いたままにはしないだろう。
けれどそれは、本当に幸せなのだろうか。

どうしてだろう、前にも、こんなことがあった気がする。
エデンにはありとあらゆる幸せがある。
信じて手を伸ばし、何か、大切なものをなくした気がする。
それが、何だったのか。本当にあった事なのかも判らないのに。
幸せという響きが、今は酷く悲しい。

「護刃・・・」
「はい?」
「・・・ごめん・・・俺・・・帰らない・・・」
「え・・・?」

約束したのだ。忘れないと。
その約束を守る事が、あの日なくした何かに代わる気がする。
エデンを満たす幸せに勝る気がする。

神威は護刃から離れて、手に握り締めていたそれを、前に突き出した。

「神威さん・・・?何してるんですか・・・?」

護刃には、見えないのかもしれない。
彼女には、必要ないものだから。
この手の中にあるもの。
地獄への、鍵。

いつか封真がしたように、そこに鍵穴があるように、ゆっくりと鍵を回す。
地獄の扉が開く。
息が詰まった。
構わず、封真の服を抱きしめたまま、踏み込んだ。

「神威さんっ!!」

護刃の声がやけに遠くに聞こえて、扉が閉まる音がそれをかき消した。



天使は堕ちた。
地獄の空気の中、羽根は焼けて羽ばたく事はできず、息を吸えば肺はただれて、
目を灼かれ意識を失い体が灰になるその瞬間まで、最後に確かに愛しく思った悪魔の服を抱きしめたまま。

天使や悪魔は、死ぬとどこへ行くのだろうか。
同じ場所へ行けるだろうか。
あの日なくした何かを、彼なら、教えてくれる気がする。
だから、命を代価に悪魔に願う。
幸せに満ちる場所でなくても良い。ただ彼の元へと。

「  」

もう声の出ない喉で、彼の名を呼んだ。それは悪魔を呼び出す呪文だから。
もう一度出会える。そして、きっと今度こそ。

(今度こそ・・・?)


その言葉の先は知らなかった。

そして思考も続かなかった。




けれど意識が途切れるその瞬間

天使は

愛しいものが待つ楽園を




垣間見た気がした。









完結!
創作の動機が「神威ちゃん泣かせたい」で全体的に救いがなくて死にネタ多数という、一話で宣言したとおりの結末になったかと思いますがいかがでしたでしょう・・。宣言のわりに覚悟が足りなかったのはこちらのほうで、10話まで載せた後に、最終話ホントにこれでいいのかなと少し悩んじゃったりしましたが。一話で『地獄へ続く第一歩』って結末書いちゃった以上、二人は地上で幸せに暮らしましたなんてラストには出来ないわけで腹括って初志貫徹です。
話があれすぎて後書きといえどもあんまりふざけたものは書けない雰囲気ですね・・。
最初は10話構成だったんですが、気がついたら一話増えてて、タイトルが一つ異質なのはそのせいです・・。あとは天使と悪魔で一つずつ対になってるはず。
物凄く素直じゃない封真と恐ろしく鈍感な神威ちゃんは書いてて楽しかったです。ラストがこうなると分かっていても楽しかったです・・。一番酷いのは神様じゃなくて雪流さんだよねとか、うん、その通り・・。
それでは、最後までお付き合いいただきありがとうございましたv




                                BACK