Chapitre.0 世界の終焉 全ては必然的に、一つの結末に向かっていた。 後悔も哀咽、懺悔も祈求も、今となってはすべて、どうしようもないことだけれど。 それでも出会わなければよかったとは思わない。あの瞬間は間違いなく、彼だけが全てだったから。 『オレを愛してますか?』 疑問は言葉になることなく、胸の内に巣食ったまま、ファイは異例の若さとスピードで、魔術師の最高位に上り詰めた。それは間違いなく実力に叶ったものであったが、ファイをよく知らない者の中には、王の寵愛の結果だと思うものも多かった。 ファイとアシュラ王が共にすごす時間は増えた。それは職務上自然な流れだった。そしてこれも仕方のないことだったが、二人の逢瀬は大幅に減った。新入り魔術師だった頃と違い、なれない激務に追われるファイを、王が気遣ったのだろう。ファイの胸中など、王は知る由もない。 体を重ねている間は、そのぬくもりだけが全て。 その愛が偽りでも幻想でも、その間は信じていられるのに。 「眠れないなあ・・・」 今日も一人寝のベッドの上、ファイは天井を見上げて呟く。 その言葉は『会いたい』と同義。けれど、自分から会いに行こうとは思わない。それは、臣としての立場と、いつかも抱いたくだらないプライド。 向こうから会いに来てくれた、あの雪の夜はもう遠い。二人の距離は縮まったはずなのに、もうあのぬくもりに手が届く気がしない。 いっそ声に出して確かめれば、楽になれるのかもしれないけれど。 自分の思い上がりを確認するだけの結果に終わったら、どうすればいいのだろう。 今も彼だけが全てなのに。 寝返りを打つと、壁に立てかけてあった杖が目に入った。それは最高位就任の際、王から直接賜った魔法具。ただの地位の証だが、よく考えるとそれは、ファイが王からもらった唯一のもの。 もしも彼から離れる時が来たら、これはできるだけ早く手放そう。二度と自分の元へ戻ってこないようにして。 そんな考えが頭をよぎった。 離れたかったわけではない。 けれど、この時すでに予感していたのだろう。 全ては必然的に、一つの結末に向かっていた。 いつの間にか、嬉しくもないのに笑う癖がついていた。 そうしていれば、心の中に渦巻くこの気持ちを見せずにすんだから。 口にすればよかったのかもしれない。たった一言。 けれど、覚めると分かっているなら、せめていい夢であって欲しい。 愛を確認したかったわけではない。ただ信じたかっただけ。 こんな方法しか思いつかなかった。勝算はあると思った。 あの雪の夜に気づいたこと。彼は意外と独占欲が強い。 「はじめましてー。」 目を開いた少女に、ファイはにっこりと笑いかける。 「オレはファイ、君の名前はチィだよー。」 全ては必然的に、ひとつの結末に向かっていた。 初めてチィを見せると、王は最初驚いたような顔をして、そして僅かに眉間にしわを寄せた。 「どうしたんだ、それは。」 「オレが作りましたー。チィっていいます、よろしくー。」 「作った・・・?」 「生命体作るぐらいできますよー。」 癖になった笑顔で、台詞の意味をすり替えて、次の質問を妨げる。 『何のために』 そんなもの決まっている。こんな方法しか思いつかなかったのだ。勝算はあると思った。 予想通りの不機嫌な顔。彼は意外と独占欲が強い。 「ほら、ご挨拶はー?」 自分にぴったり寄り添っているチィを、ファイはそっと前に押し出す。 自然な動作。けれどこれさえ、計画通り。 「はじめまして。」 教えた通り、ぺこりと頭を下げると、チィはすぐに元の場所に戻った。 「ファイ、できたっ。」 「うん、よくできたねー。」 ファイが頭をなでてやると、チィは嬉しそうにファイの首に腕を回す。意識がアシュラ王に向いたのは一瞬だけ。彼女の世界の中心は、創造主であるファイだけだ。 そして王は、ファイが誰かの世界に組み込まれることを嫌う。ファイが、自分以外の誰かに注意向けることを嫌う。 あの雪の夜もそうだった。 「ファイ。」 やけに静かな声にこもるのは怒りか嫉妬か。 どちらでもよかった。愛を確かめたかったわけではない。ただ信じていたかっただけ。 「今夜部屋に。」 いつも優しかった腕は、その夜はひどく乱暴だった。 いや、正確には、その夜からは。 こんなことを望んでいたのだろうか。 ガチャ・・・ 「ファイ!おかえりなさい!」 「ただいまー。」 真夜中、ファイは王の部屋を抜け出して、自室に戻った。彼の腕の中で、朝を迎えたくなくて。 扉を閉めて、そのままその場に座り込む。ここまで歩いてきたのが不思議なくらい、体中ががたがただ。王は、最近本当に容赦がない。 原因を作っているのは自分だと、自覚していてやめないのだけれど。 「ファイ、どこか痛い?」 満面の笑みで出迎えてくれたチィは、今度は心配そうに、ファイの顔を覗き込む。 「大丈夫だよー。」 そう答えて抱き寄せると、腕の中の体は、彼の腕ほど温かくはなかった。 所詮は作り物の体。 何を望んでいたのだろう。何を望んでいるのだろう。 「・・・どこか遠くへ行きたいなー。」 「遠く?旅行?」 「んー、そうじゃなくて。」 馬鹿げている。叶うはずもない願いを。 どこか遠くへ。ここではないどこかへ。 それでも共に居たいと望むのは、彼一人しかいないのに。 今でも彼だけが全てだ。 「チィも連れてってくれる?」 「いいよー。その時が来たらね。」 叶わない願いを礎にした約束。成就されるはずがないのに。 「ファイ、大好き!」 チィは嬉しそうにファイに抱きつく。ファイが教えた言葉を口にして。唯一教えた感情を表して。 愛することだけ知っていれば、ずっと幸せでいられるのに。 どうして人は、疑うことを知るのだろう。 そんなことを考えながら、ファイは小さく呟く。 「そろそろ限界かなー。」 「何が?」 「・・・いろんなことが。」 分からない、という顔するチィの頭を、ファイは優しくなでた。 そのままでいい、と。余計なことを知らなければ、ずっと幸せでいられるから。 ひびが入れば、後は容易い。 ∞が1になるよりも、1が0になるように。 世界は簡単に砕け散る。 もうすでに、事態は二人の問題ではすまなくなっていた。 だから、遠くへ行きたかったのに。 彼が彼でなく、自分が自分でない場所へ。 全ては必然的に、一つの結末に向かっていた。 それでも何もできないまま、また数日が過ぎた。 「・・・ひょっとして、もうお昼かなー」 目を覚ますと、雪雲の向こうに太陽の気配。寝過ごした、などという可愛い範疇にはおさまらない。 しかもよりにもよって、ここは王の部屋。最近、朝は自室で迎えるようにしていたのに。王はそれも気に食わなかったらしいが。それでもそうするしかなかったのだ。たとえ、ほんの気休め程度にしかならなくても。 「にが・・・」 口の中に残る精の味。それは昨夜の行為の激しさを物語るのに十分。 水が飲みたいと思ったけれど、今日に限って、運悪く水差しが置かれていなかった。気の利かない侍女を恨みながら、ファイは隣で寝息を立てている王を見下ろす。 「二人そろって寝坊ってゆーのは、ちょっとまずいんじゃないですかー・・・?」 そう呟いた時、誰かが扉を叩いた。たまりかねた侍女が起こしに来たか。それとも・・・。 ファイは毛布を肩に羽織っただけの格好で、扉を開けに向かった。そこにいたのは、ファイと同期で城に入った魔術師。今はファイの部下だが、かなり下の位のため、顔をあわせるのも久しぶり。 彼は、ファイの姿を見て、さっと顔を赤らた。 「おまっ・・・!なんて格好して・・・!!あ、し、失礼しました・・・。」 昔の会話の調子が抜けないらしい。きっと彼は、あの時から何も変わっていないのだろう。羨ましいと感じたのは、きっと錯覚ではない。 「フローライト様、アシュラ王様はいらしゃいますか?」 発言はファイから視線をそらしたまま。確かに目のやり場に困る格好をしているのは認めるが、彼がこんなタイプだとは思わなかった。もっと軽い感じがしていたのに。 「アシュラ王ならまだ寝てるよー。急ぎの用かなー?」 そもそもこの時間に寝ているほうが間違っているのだが。 「あの・・・」 彼はファイに用件を伝えた。どちらでもよかったらしい。当事者の二人なら。 「へえ・・・。」 「・・・驚かないんですね。」 「予想してたからねー」 むしろ自分より驚いている彼に、ファイはへにゃっと笑って見せた。何のために笑っているのか、自分でも分からないまま。 だからこの部屋で朝を迎えないようにしていた。 それよりも遠くへ行きたかった。 「お願いがあるんだー。」 「何ですか?」 「水くれないかなー?」 少し拍子抜けしたような顔をしたが、彼はすぐ任務遂行に向かった。 きっと彼と言葉を交わすのもこれが最後。せめて名前くらい訊いておけばよかった。 そう思っているということは、結局最後まで、訊く気はないということだけれど。 そろそろ限界だと思っていた。王が王であり、自分が魔術師として最高位に就いている以上、問題は二人の間だけでは収まらない。 ファイの最高位就任から、不満を抱くものは多かった。そこに加えて、最近の二人の職務怠慢、留めは今日の寝坊か。きっかけとしては弱い気がするが、きっと何でも良かったのだろう。反乱への起爆剤など。 受け取った水で喉を潤して、服に袖を通す。 水を受け取った後、彼には城を出るように頼んだ。数少ない、味方と共に。 こうなることは分かっていた。それでも何もしなかったのは、きっとどうでも良かったのだろう。アシュラ王を中心に回る世界には、彼と自分しかいなかった。 その世界は今から粉々に砕け散る。それ以前にもう、隠し切れない亀裂が入っていたが。 世界は簡単に砕け散る。 夢幻が現になるよりも、現が夢幻になるように。 今から始まるのは束の間の悪い夢だ。 「だから貴方は、見なくていい・・・。」 ファイが頬に触れると、アシュラ王は目を覚ました。 「おはようございます。」 「・・・・・・ファイ・・・?」 きっと、いつもと違う気配を感じ取ったのだろう。王はファイを見て眉をひそめる。けれど何を訊いていいのか分からないらしく、戸惑った表情のまま、それ以上は口を開かない。 ファイの口から、小さく笑みがこぼれた。それは、今から話す事実に対して、少々不謹慎だとは思うけれど。 「貴方を、永い眠りに堕とします。」 「何・・・?」 「貴方が目覚める時、オレはもう側にはいません。」 最初の一言で事態が飲み込めなかった王は、二言目で、やっと目を見開く。 「・・・どこへ・・・?」 「さあ。どこか遠く、貴方のいない所へ。」 本当は、一緒に行きたかったけれど。 「・・・私の側には居たくないか・・・?」 「・・・・・・。」 そんなはずがない。それでもあえて、そう取れる言い方をした。 こぼれそうになった涙をこらえたのは、きっといつかと同じ、くだらないプライドのため。 王の額に手をかざす。深い眠りの中へ。 けれど最後にひとつだけ。どうせこれから始まるのは束の間の悪い夢だ。 「愛しています。」 たとえ貴方はそうでなくとも。夢でも幻想でもいいから。 「貴方もそうだと信じたかった・・・。」 告白は懺悔にも似ていた。 王は、また驚きの表情を浮かべて、そしてファイを抱き寄せる。 最後のキスは、今までで一番優しい味がした。 所詮キスなど、愛の証にはならないと、そう思っていたはずだったのに。 そのキスは、愛されているのだと信じさせるほどに。 知っていたはずだ。この王は、いつも最低限のことしか口にしないこと。 想いは、言葉よりも行動に、全て込められていたのに。 「・・・それでも、言葉が欲しかった・・・。」 求めたのは、揺ぎ無い、確かな証。 「それでは、目が覚めた後に。」 「・・・・・・はい。」 それでは駄目だと分かっているのに。追いかけると、そう言ってくれることがただ嬉しくて。 生きて、逃げ続けることを選んだ。 許されない恋だったのだろう。けれど、出会ったことだけは嘘にしたくなかった。 「おやすみなさい。」 深い眠りの中へ。これから始まる悪夢から、彼を守るために。 勝敗はすぐに決した。魔術師として、ファイに適う者などいない。躊躇などなかった。世界の中にいるのは、王と自分だけだったから。 累々たる死体と怪我人の中、ファイは王の体を棺に納めて、水の中に沈めた。 「眠ちゃったの?王様。」 尋ねてくるチィは、きっといまいち状況を理解していないのだろう。 そのままでいい。余計なことを知らなければ、きっと人は、ずっと幸せでいられる。 一緒に連れて行くと、いつか約束したけれど、残ってくれというファイの願いを、チィはあっさりと引き受けた。 「チィはファイがつくったんだから。」 初めて、この純粋さに胸が痛んだ。 チィの姿を変えて、本当に一人になった城の中で、最後にファイは水中のアシュラ王を見つめる。 目を覚ませば、この惨状を目にすることになる。そして自分はもう側にはいない。 目覚めた後に待っているのは悪い夢。だからせめてどうか、 「眠りの中では良い夢を。」 世界を渡る魔法を使う。たった一つの言葉のために、生きて逃げ続けるために。王が王でなくなることなどありえず、そうである以上、再び自分たちが結ばれることなど許されないのに。 視界が揺らぐ。最後に見たのは、窓の向こうの曇り空だった。これから行く世界がどんなところかは分からないけれど、空が晴れていればいいと思った。 何かが変わる時は、いつも空は晴れていたから。 目を閉じて、魔法具を握り締める。 そういえば、これは手放そうと思っていたのだった。できるだけ早く、確実に。 対価を差し出せば、願いをかなえてくれるという『次元の魔女』。彼女に渡せば、これは二度と戻ってくることはないだろう。 全ては必然的に、一つの結末に向かっていた。 頬に当たる水の感触で、世界を渡り終えたことを知った。ファイの期待を裏切って、世界は雨にぬれていた。 終わった・・・(溜息) ホントに終わるのかとかなり不安になりながら書いておりました。 アシュXファイで過去話捏造という素敵なリクエストで書かせていただきました。 キリ版ゲッター暁夏様、ありがとうございました。 ほんとに捏造とこじ付けと妄想の嵐ですが、大丈夫でしょうか。 全話、地下帝国に埋納するべきかもしれません・・・。 アシュラ王がなんだか痛い人に・・・(痛) こんなに長い話を(しかも内容は薄い)最後まで読んでいただいてありがとうございました。 back |