『虹の彼方に』

Somewhere over the rainbow
Way up high
There’s a land that I heard of
Once in a lullaby
虹の向こう。高い空の上のどこかに
いつか子守唄で聞いた国がある

オズの魔法使いより“OVER THE RAINBOW”




朝から雨の日曜日だった。
灰色の雲がすっぽり空を覆い、雨音が低く絶え間なく鼓膜に響いていた。

これと言って理由はないが、神威は雨の日が苦手だ。
取り残されたみたいな、ひとりぼっちの午後。
ブランチに簡単なサンドイッチを作ってほお張り、部屋の掃除を終えるともうすることがなかった。
仕方なくあお向けに寝転んで天井を見つめる。
ラジオからは空の鬱陶しさを振り払うように軽快なナンバーが流れていた。



『封真はいいよな。
あいつは1年中棒を振り回していれば楽しいんだから』

同居人は朝から部活に行ったきり。日曜日だっていうのに。

ラジオの曲がピアノ・チューンに変わった。雨音に絡みつくような優しいバラードだった。
ああ、この曲知ってる、と神威は思った。

ずっと昔に母さんが聴いていた。俺がまだ小さかった頃。まだ封真や小鳥とも出会う前。

今みたいに雨が激しく降っていて、がらんとした部屋に母さんとふたりきり、することもなくて。俺は床に寝そべって絵を描いていた・・・いや、おもちゃで遊んでいたのかもしれない。
ふと顔を上げると、テーブルに肘をついて窓を見ていた母さんの頬を、涙がころんと伝って落ちた。

柔らかいピアノの音。ピアニッシモの後の余韻に哀しみが宿る。

あの時母さんは泣いていた。声も出さずに。ここにいない誰かを想って・・・。
甘く切ないメロディにのって母さんの痛みが俺の中に流れ込む。胸が苦しくなる。

『どうしたの?神威』
母さんは気がついて、涙を拭うと俺を抱き上げてくれた。

『お腹がすいたの?おねむなの?』
歌うようにあやし、優しく頬をすり寄せてくれた時にはもう母親の顔に戻っていた。




一体人は、いつ悲しみというものに出会うのだろう。
誰かを失った時?心に傷を受けた時?

いや、そうじゃない。
悲しみは最初からここにあった。
人は悲しみを抱えて生まれてくるんだ。
俺も、母さんも、小鳥も、封真も・・・・。


曲が終わる。
雨音に吸い込まれるように。

キース・ジャレットの「オーヴァー・ザ・レインボー」だとDJが言った。






封真が帰宅すると、神威は畳の上で眠っていた。
鍵を開けたまま寝ないようにとあれ程言っているのに。

「たく、悩み無さそうな顔して。おい」

つけっぱなしのラジオを消し封真は軽く舌打ちして横にひざをついた。

「おい、襲うぞ」

手を伸ばし額に当てた瞬間にぱちりと目が開いた。

「な・・・なに?」

神威は顔を引きつらせ封真の手首をつかむと反射的に飛び起きた。

「大丈夫か?」
「何が」
「お前、雨の日はよく熱出すから」
「それはガキの頃の話だろ」
「今だってガキだろうが」
「なに?・・・て、あれ、もう5時か」

ふと見回すと辺りはもう薄暗い。

「わ。今日俺が食事当番だよな」

神威は封真を押しのけて台所に行くとあたふたと手を洗いはじめた。
その背中を追うように封真ものっそりついてきて食卓に座る。退屈そうに周囲を見回し手近にあるバナナをむいて食べだした。

「封真、制服着替えろよ。手ぇ洗ってんのかよ」
「大丈夫」
「・・・たく。よくそれで病気にならないよな」
手早く米を研ぎながら神威は悪態をつく。

「機嫌悪いな。何かあったのか?」
「別に」

神威がぷりぷりしていると、封真は少し悲しそうな顔をする。
それで今度は神威の胸がチクンと痛む。


「そっちはどうなんだよ」
「ん?」
「新入生、集まらないって言ってただろ」
「ああ。それな」

封真は食べ終わったバナナの皮を無造作にテーブルに放った。
「剣道部に新人が集まらんのはどこも同じだからな」
神威が無言で手を差し出すと、封真は気がついて「悪い」と目で言いながらバナナの皮を投げる。器用にキャッチしてゴミ箱に捨て、米研ぎを再開しながら神威がポツリと言った。

「俺、やってみようかな」
「ん?」
「剣道」
「え?」
その一言に封真の表情が変わった。
驚いたように神威を見つめ、ついで悪ガキみたいな笑みが顔中に広がっていく。

「そうか、よし。そうと決まれば膳は急げだ」
「は?」
「早速今から稽古をつけてやる!」
封真は椅子の音を立てて立ち上がると神威の腕をつかんだ。

「待てよ。夕飯の支度が・・・」
「せっかくお前がその気になったんだ。俺がラーメンでもおごってやる」
「でも雨が・・・」
「もう止んだ。そうだ、虹が出ているかもしれないな」

壁に立てかけてあった竹刀を2本取ると、封真は強引に神威の腕を引っ張り玄関の扉を押し開けた。外には雨上がりの夕方の、冴え冴えとした空気が広がっていた。
ひんやりとして気持ちがいい。

「よかった。雨やんだんだ」
神威がほっとした表情で言うと、封真は靴を履きながら優しい目で「俺は雨の日も嫌いじゃないぜ」と笑った。
「俺たちが最初に会った日を思い出さないか」

神威は一瞬目を見開いた。

そうだ。こんな雨の日に俺は出会ったんだ。
大切な俺の封真に・・・

心の中だけでそっと呟く。そうだ。雨の日も悪いことばかりじゃない。

靴を履いて外に出ると、先を歩く封真の背中を駆け足で追いかけた。




Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can’t I
虹の向こうにあるそこには青い鳥が飛んでいる。
鳥たちが虹を越えて飛んでいけるのなら
私にだって飛べるはず






みすずさんのサイト、]wings様の59999を踏んで、キリ番でもないのにずうずうしくお願いして書いていただきました(汗)
リクエストは「雨の日の封神」。それでこんなに素敵な小説が・・・(///)
雨がキライだった神威ちゃんも、封ニイの一言で好きになれるんですね。神威ちゃんの世界は封ニイを中心にどんどん変わって行くんですよ。みすずさんの書かれるそんな雰囲気が大好きです。
二人のちょっとしたやり取りにも萌えました。
みすずさん、素敵な小説をありがとうございましたvv






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