「あの天の龍の望みは貴方が考えているようなものとは違いますよ」 「たとえそれがどんなものであれ、干渉しないでもらえますか?」 風発点 初めて会ったときから食えない奴だという印象はあった。 丁寧な言葉遣いに柔和な物腰、一見人の良さそうなごく普通の会社員に見えるが、その実誰よりも血の匂いを纏っていた男。桜塚星史郎。 誰がどれだけ人を殺そうが、そんなことはどうでもいい。ただ、彼は底が見えなかったから。 何をしているかは知っていたし、望みも分かってた。だけど、心までは見えなかった。底なし沼のように、ブラックホールのように、まるで底が見えない。触れた、と思った所には何も無くて、掴んだ、と思った物は虚像だった、そんな感じ。あえて例えるなら蜃気楼のような、でもそれとは違う。所業も望みも、掴んだ物は全て本物だ。なまじ表面的な、上の部分だけを知っていたから、余計に質が悪かったのかもしれない。 そんな相手は初めてだった。だから気になった。全く掴み所が無い人だったが、それで落ち着かないということも、不快になることもなかった。 結局、彼は死んだ。 あの天の龍の望みは自分を殺すことかと聞いて、はっきり否定されたにも関わらず、彼は自分の望みを叶えた。或いは、否定されたからだったのだろうかもしれない。今となっては知る術がないことだが。 あれは自殺行為に近い、というよりはそれそのものだった。相手を殺そうとすると、逆に自分が殺される術がかけられているのを知っていながら、彼は手を翳した。 もし、彼が相手の望みを知っていたら、状況は変わっていたのだろうか。 ふとそんな疑問が浮かんだが、すぐに、どちらにしろ同じことだったのかもしれない、と考え直す。 互いの望みを知ったところでどうにかなるものではないほど、彼らは不安定な場所に立っていた。ぎりぎりのところで何とか持ちこたえている薄氷の様な、そんな所だったのだ、二人が居たのは。 あの男はそれがわかっていたから、自分にも本当の望みを訊かなかったのかもしれない。 自分達の世界は、遠くない未来に必ず壊れると知っていたから。 『仕事』を終えて、とあるビルの屋上に着地する。 そこには先客が居た。 黒いハイネックに黒いズボン、上に羽織っているコートも黒。まるで喪服のように、全身を黒で覆った青年。皇家十三代目当主で現・桜塚護、皇昴流。あの男が唯一愛した青年。 俺がここに降り立ったのに気付いているのだろうか、彼は見向きもしなかった。ビルの縁に座ったまま、身じろぎ一つせずに先刻俺が破壊しようとした辺りを眺めている。 破壊工作に勤しんでいる間から、彼が見ているのには気付いていた。何をするわけでもなく、ただ眺めてる、という感じだったので放っておいたのだが。 空虚な目。此処ではない、何処か遠くを見ているような。 「ナタクは死んだ」 「・・・そう」 本当に『見て』居なかった場合の為に、一応報告しておく。言ったからといって、どうなるものでもないだろうが。 彼はそっけなく一言そう言うだけだった。 「右目は?」 彼を心配しているわけではない。ただ、あの右目は自分が拾ってきたものだし、それに、あれはあの男の願いだったから、一応確認しておこうと思ったまでのこと。 「・・・見えてる」 相変わらず、何の感情もない無機質な声で、必要最低限の答えのみが返される。 彼は。 「そうか」 何を見ているのだろう。 何が見えているというのだろう。 「何も言わないんだね、君は」 初めて彼が俺の方をじっと見て、自分から言葉を発した。その眼は深く、そこには確かに俺が写っている筈なのに、何も見えていないようにも見える。 あの男も深い眼をしていた。彼とは全く違ったけれど。 「何も言われたくはないだろう」 彼が思っていることを違えずに言葉にする。 「総ては前・桜塚護と現・桜塚護の間のことだ」 彼が俺から視線を外して、先刻見ていた方に顔を向ける。 「二人だけの」 その眼には、あの男が写っているのだろう。 なんとなく、彼の注意を引きたくなった。 「俺を見ても、もう誰にも見間違えないだろう。勿論、その右眼の持ち主にも」 彼が自分の手に視線を落とす。 「・・・そうだね」 左手の黒い手袋を外しながら、彼は答えた。 細っそりとした、白い綺麗な手。その手の甲を見ながら、言葉を続ける。 「あの人はもういないしね。どこにも」 淡々と彼は言ったが、その声は何処か悲痛な響きを帯びていた。 「いるだろう」 その言葉に反応して、彼が此方を向く。相変わらず、その眼に俺は映っていない。 「そこに」 血に濡れた右手で彼の右目を指差すと、彼は何事かを思った後、静かに眼を閉じた。 「好きにすればいい」 彼に背を向けて、もう帰ろうと歩き始める。 きっと、彼の眼に俺が映ることはない。世界さえも、その眼には映らないのかもしれない。 「桜塚護を継いだと同時に『地の龍』の空席を埋めたとしても、何かをしなければならないわけでもない。」 そう、好きなようにすればいいのだ。自分が願うままに。或いは、願わないままに。 誰が何をしようと、誰が何をしなかろうと、世界は回っている。定められた運命の下に。 「・・・したいことなんて、もうない」 相変わらずひどく無気力な声で言われた言葉に、足を止める。 「なら死ぬか?」 ひどく無機質で冷淡な声になったのが、自分でも分かる。 彼は、答えなかった。それが何よりの答えだった。 「自分が死んだらその右眼も死ぬ。だから自分では死ねない・・・か」 振り返ると、俯いた彼の哀しげな背が見えた。 あの男は、こうなることを見越して願ったのだろうか。それとも、ただ単純に、他の男につけられた傷があるのが気に食わなかったのか。いずれにせよ、全てあの男の願い通りになっていることだけは確かだ。 「つくづく我儘な男だな。あの男・・・、桜塚星史郎は」 本当に、なんて我儘、なんて傲慢、―――そしてなんて純粋な。 俺の言葉に反応して、彼が此方を振り向く。 困惑した表情。 少し優位に立ったような錯覚を覚える。・・・・・・馬鹿な。上も下もありはしないのに。 「分からないか」 そして、思い出す。 『昔・・・つまらない賭けをしたことがあってね』何でもないことのように、あの男は言った。 微笑を浮かべて親しげに言った。『クレープ屋にご一緒しませんか?』あの男が本当に誘いたかったのは、彼だったのだろう。 互いが互いしか眼中になく、互いが互いに殺されることを望んでいた。 二人の歯車は、一見噛み合っているように見えて、その実、全く違う場所で回っていた。 それはあまりにも滑稽だ。 「そうだな。誰にも誰かの本当の願いは分からない」 だからこそ運命は。 「君には分かるんだろう」 はっきりとした声で言われた言葉。予想しない言葉に、彼の顔を見る。 彼は真っ直ぐに俺を見たまま、続けた。 「僕の願いが分かったように、神威の願いも」 ものすごく冷たい表情になるのが、自分でもはっきり分かった。 滅多に感じることの無い強い苛立ちを感じる。 自分のことだけを、自分とあの男のことだけを考えていればいいものを。あの男しか眼中にないのならば、他人のことなんていにしなければいいのに。 彼は俺に視線にも動じることなく、静かな眼で俺を見ている。 先に視線を逸らしたのは、俺の方だった。 「知っている。だからこそ、『神威』は俺に勝てない」 それを聞いて、彼は少し悲しそうに視線を落とした。 わかっている。 彼は『神威』を昔の自分と重ね合わせていて、それ故気に掛けているだけだ。彼が常に追い求め、焦がれ続けていたのは、あの男、ただ一人。まるで自分の弟でもあるかのような『神威』の面倒を見てやっていたが、それは文字通り『神威』を弟のように思っていたからであって、決してそれ以上のことはなかった。その証拠に、彼はあの男が死んだ今も、あの男に焦がれ、あの男の影を探している。 『神威』もまた彼のことを兄のように慕っていたが、それ以上の感情を抱いていた訳ではない。『神威』が求めているのは『封真』という青年であって、彼ではない。 わかってはいるのだ。 『神威』が俺を見る時は、いつも『封真』を見る眼で、全く俺のことを見ようとしない。それなのに、この男は『神威』に慕われていた・・・・・・。 単なる嫉妬、だ。それも、お門違いの。 無理矢理それを振り切るようにして、彼の方を見て口を開く。 「『神威』が気になるようだな。俺ではなく、もう一人の」 黙って俺の方を見てその言葉を聞いていた彼は、すっと立ち上がった。 「それなら」 彼と向かい合って、彼は続ける。 「・・・君の願いは?」 彼は真っ直ぐな眼で俺を見ていた。 その左眼は彼本人の眼、そして右眼はあの男の眼。その両眼に俺を映して。 ああ、あの桜塚護が愛した訳だ。 なんて優しい心の持ち主なんだろう。それは、あまりにもあの男に似つかわしくない。 じっと見詰めてくるその深い眼は言っていた。 僕に出来ることなら、力になろう。 俺を誰とも見間違えなくなった彼の言葉は、間違うことなく俺に向けてのもの。俺にそんな優しさを向ける理由なんて、何処にもないのに。 ふ、と口元が緩む。 この男になら言っても言いか、と思った。この深い眼をした優しい心の持ち主には。 「・・・俺の願いは、神威にしか叶えられない」 あお様から頂きましたvv ナタクが死んだ直後のあの二人のシーンを深く掘り下げてくださいました。 (ナタク漢字出ません・・) 封真の視点で昴流君を見詰めると、また一味違いますね。 深い悲しみを背負って、それでも優しい心だけはそのまま。 その悲しみがこの先少しでも癒されるといいのですが。 封真の願いって結局なんなんでしょう。 星史郎さん達みたいな悲しい最後は迎えて欲しくないなあ・・。 などと色々考えさせられました。 あお様、素敵な小説ありがとうございました!! BACK |