「あなたのための、あなただけの店」

店の主は、そう答える。

 

私は、もう戻れない。

私は、もう進めない。

 

 

あなたの願いは、なあに?

 

 

 


誰もいない町

 

 

 

 


朝起きると、窓の外は真っ白だった。

 

銀世界、という訳ではないようだ。

何もなく、唯々(ただただ) 続く、真っ白な外。

足をつけば、地面の感触はある。

でも、歩くと音はしない。

走っても走っても、果ては無い。

 

いつの間にか、自分の家も消えていた。

 

飛び跳ねてみる。

しばらく足が地面につかない代わりに、頭から落ちたり、背中から落ちたり。

不思議なことに、頭から落ちてもどこも痛くない。

でも、地面の感触はある。

自分で自分の顔を叩いてみる。

なぜか、この時だけ痛みを感じた。

夢ではない事は分かったが。

 

変な感触だった。

 

私だけ、ここに取り残されたのだろうか。

誰もいない、真っ白な孤独の中へ。

 

皆、どこへ行ったの?

 

言葉を発しても、大きな声で叫んでも。

声は音にならない。

確かに声を発している。

 

でも、自分は何も聞こえない。

 

その時、一気に恐怖と錯乱のどん底へ突き落とされた。

ただ叫び、頭を抱え、その場所にへたり込んだ。

 

何も聞こえず、何も見えず、その場所へ。

誰も来ない、1人になった、その場所へ。

 

 

 

 


あなたの願いは、なあに?

 

 

 

 

 

…どのくらい時が経ったのだろう。

しばらく眠っていたらしい。

もう日が落ちる時間なのだろうか。

 

でも、太陽も月も見えない。

 

辺りが真っ暗なのか、それともまぶしいのか。

 

何かが眠っている間にあったのだが、思い出せなかった。

 

 


その時、誰かを招くかのように鈴の音が鳴った。

 

 


シャーン

 

 

 

 

 

シャーン

 

 

 


なぜこの空間で音が聞こえたのだろうか。

私が声を出してもなにも聞こえなかったのに。

 

この空間に、誰か私以外にいるの?

 

目を凝らした。

遠くのほうに、小さな建物が確認できる。

さっきまでは無かった。

それとも、気付かなかったのだろうか。

 


意を決し、その建物のほうへと走っていった。

 

 

 

 

あなたの願いは、なあに?

 

 

 


そこは、和風な佇(たたず)まいだった。

周りはさっきと同じように真っ白な空間。

この場所だけ、懐かしい匂いがした。

すぐ横には、桜が咲いている。

 

…あ、私と同…

 

 

 

 

…?

思考が途切れてしまった。

 

足が、勝手に進んで行く。

この、懐かしい匂いのする佇まいへ。

止めようとしても、止められない。

 

足が、勝手に進んでいく。

 

ガラガラ、と音を立てて戸は開いた。

「いらっしゃいませ?」

小さな2人の女の子が私を迎え入れる。

 

また、足が勝手に進んでいく。

 

この空間で、声が聞こえる。

小さな、2人の女の子の声が。

 

私も声を出す。

…やっぱり聞こえない。

 

 

 

 

「それは、あなたがまだ、この空間に慣れてないからよ」

 

 

 


ふいに奥のほうから声が聞こえる。

形がはっきりしている、声。

 


小さな女の子2人。

奥にいる、まだ姿が見えない人。

 

…うらやましい。

この人達、声が出せてる。

 

私も と、もう一回、声を出してみる。

 

「…  ……、   。    …?」

 

何かが出せている。

でも、何も聞こえない。

「…あら、創ることは出来ているみたいね」

 


創ること?

 


小さな女の子2人が、奥のふすまを開けた。

…髪の長い、綺麗な女の人が、ソファにもたれて、私を見ていた。

 

この人も、懐かしい匂いがする。

 

「この空間に入ってきてしまうだなんて、珍しいわね、あなたみたいな女の子が」

珍しい、ということは、他にも誰かがこの空間に入ってきたのだろうか。

 

私みたいに、何も分からないまま。

 

「ああ、名乗らないと不謹慎よね。私は  … 」

 

 

 

え?

 

 

 

何かが途切れている。

 

「あ、そっか。漢字だとまだ分からないか。イチハラユウコ。これで聞こえた?」

…さっきは聞こえなかったのに。

 

漢字だと分からない?

 

言ってる意味が分からなかった。

無性に頭がグルグルしてくる。

 

「他の漢字が分かって、名前の漢字が分からないのね。じゃあ、もし戻ろうとしても、しばらくは戻れないわね」

 

戻る?


どこに?


「…まあ、あなたは多分戻らないとは思うけれど」

理解が出来ない。

 

この人   ―ユウコさん―   の言っていることは難しい。

 

「とにかく、あなたはまだ言葉を創ることしか出来ていないの。これから 『形』 にするように努力しなきゃね」

 

 

『形』、にする。

 

 

少し分かってきたような、そうでもないような…

「私たちは、言葉を声にして、その上音になっている。あなた、まだ出来ていないでしょう。私たちのこと、うらやましい?」

 

問いに、私はうなずく。

「…そう。じゃあ、早く頑張らなきゃ」

 


「あ 、…って   お…で  ?」

 


なんとか、途切れたけれど言えた。

 

それだけのこと。

 

でも、私は嬉しかった。

「無理しなくていいのよ。あなたの思っていることはだいたい分かるわ。」

こうしているうちに気持ちが悪くなってきた。

 

空間に慣れていないから?

言葉が 『形』 に出来ていないから?

 

頭が痛くなる。

 

小さな女の子2人がいすを持ってきてくれた。

「どうぞ座ってくださいな?」

 

「あ が  」

 

「その調子ですー?」

「その調子ですー?」

 

だんだん、感じはつかめてきた。

これが 『形』 というものか。

 

「私まだ何も教えてないのにね。凄いわ」

「  だ か   つか…き  た」

「そう。良かったわね」

ユウコさんは足を組んだ。

 

「 『形』 になる1歩手前だと、薄い 『色』 がついてくるからね」

 

「い で…?」

「そう、 『色』。言葉には必ず特有の 『色』 がつく」

言葉になるまでは難しいのよ、と侑子は後から補足した。

 

 

「 の、ここ…どんな 店なん すか 」

 

 

さっき途切れ途切れ言った言葉。

今度は、だいぶ言えるようになった。

 

「あなたのための、あなただけの店」

ユウコさんは反対に足を組みなおす。

 

 

 

「あなたの願いは、なあに?」

 

 

 

そのとたん、頭にあの音が響いた。

 

 

 

シャーン

 

 

シャーン

 

 

 

そうだ、このセリフ、さっき聞いたような気がする。

私がこの空間に放たれて、混乱していたとき。

 

 

 

 

願い。

今、この瞬間では、これしか思い浮かばなかった。

 

 

 


「声を 『形』 にしたい」

 

 

 

「あら、もう出来ているじゃない」

いつの間にか、完全に話せていた。

『形』に出来ている。

「え…」

何かがおかしい。

 

 

なぜ?いつから?

そんなことはもうどうでも良かった。

 

 

「あとは、その 『形』 をどれだけこの空間で維持出来るか、ね」

 

 

維…持?

気持ちを集中しなければいけないの?

日常では当たり前に言葉を話していたのに。

 

 

なんだか、言葉に縛(しば)られているような…

 

「注意しておくけど」

ユウコさんは立ち上がる。

 

「1度言った言葉は2度と戻せないから気をつけるのよ」

 

 

「…はい。有り難うございます…」

物事がどんどんと進んでいってしまう。

「私は特別なことは何もしてないじゃない。あなたの努力よ」

そう言うと、近づいてきた。

 

 


「…あなた、名前は?」

 

 


「さ……   あれ?」

また、思考が途切れた。

 

「…」

ユウコさんは少し真剣な顔をしている。

「名前が、思い出せないのね?」

 

言葉は 『形』 に出来たのに。

なんで?

名前を思い出したい。

 

「…まあ、現実の世界に1度戻ってみれば分かるはずよ」

「どうやって戻ればいいのですか?」

「そんなの簡単よ。自分の言葉で 『形』 にすればいいの」

 

「…そんな事、出来るんですか?」

「ええ、やろうと思えば。但し、これだけは言っとくわ」

ユウコさんは結構補足が多い。

 


「もう、この店には絶対に戻ってきては駄目。後悔しないなら、これから外のほうに体を向け、もう、こちらを振り返らずに、空間へ出て」

 

 

 


決心はついていた。

「はい」

一言、返事をすると、振り返り、戸を開けた。

 


ガラガラ、と鈍い音をたてながら。

 

 

 


あなたの願いは、なあに?

 

 

 


物事がなんだか早く収まってしまった。

 

振り返らずに、まっすぐ走る。

本当に出来るのだろうか。

現実世界を 『形』 にするなんて。

 

 


「…地面」

 

 


すぅ、とコンクリートや土が浮かび上がる。

「出来た!!」

 

幻かと思った。

でも、現実だった。

 


「空、雲、太陽、月、空気、町並み、道路、家…」

 


なんでも、口にした。

どんどんと、現実世界へ戻っていく。

 

(面倒かな…)

流石に、個別に言っていくと疲れる。

 


「…現実世界全部」

 


無理かな、と思ったその矢先。

真っ白な空間に放たれる前にいた、私たちが住んでいた、景色。

 

 

 

やっと、戻れたのだ。

 

 


私が住んでいた家も、もう目の前だ。

懐かしい、あの匂い。

 

 

 

 

シャーン

 

 

 


シャーン

 

 

 


「え!?」

あの鈴の音だ。

何で聞こえるのだろう。

でも、現実世界のことで頭がいっぱいだった。

 

でも、少し違うような…

 

 

 

忘れていた、

「自分の名前」

 

 

「さくら!!」

遠くから、声が聞こえる。

 

ああ、もうあの空間じゃないんだな。

少年が走ってくる。

 

「さくら…どこにいたんだ!?」

 

さくら?

それが私の名前?

 

でも、この男の子の名前が思い出せない。

確かに、同じ、懐かしい匂い。

 

小さく、ささやいた。

 

「この男の子の名前」

 

ぶわっ、と頭の中に何かが入ってくる。

「…小狼」

「? どうかしたのか?」

「…ううん、なんでもない」

 

何かがおかしい。

 

「とにかく、家に戻ろうよ」

「?」

少年 ―小狼― は首をかしげた。

まっすぐと、『さくら』は歩いていく。

 

 

 

自分の住む家へ。

 

 


「…!待っ…」

小狼が叫んだが、もう遅かった。

さくらは家へと足を踏み込む。

家の中の、その景色。

 

 

 

さくらは、目を疑った。

 

 

 

赤く、鮮やかな色の液体が部屋中に飛び散っている。

その部屋の真ん中には、小狼がぐったりと倒れこんでいた。

 

 


「何…これ…」

 

じゃあ、後ろにいる『小狼』は誰?

 

 

「…もう、誰もいないんだよ」

 

後ろにいる小狼がぼそりと言う。

 

「忘れた?さくら、さっきの出来事…。現実世界での、出来事を…」

また、頭の中にぶわっ、と何かが入ってくる。

 

 

あの出来事。

 

 

 

 

さまよっている私

爆弾が音を立てて落ちてくる

周りは焼け野原が広がり

人々は逃げ回る

 

皆どこへ行ったの?

 

叫んで 叫んで

喉が嗄(か)れるまで

何を叫んだのか

人の名前か

 

向こうから少年が走ってきて

私の名前を呼んだ

(さくら!!無事だったのか)

(皆、どこへ行ったの?)

(安全なところへ逃げたんだ。さくらも、早く!)

(黒鋼さんとファイさん、それにモコナは?)

(先に安全なところへ逃げて行った。心配はないよ)

 

 

走って 走って

死にそうになるまで

私は夢中になって走っていた

爆弾から逃れるように

 

夢中になりすぎて

意識が朦朧(もうろう)としていて

 

 

いつの間にか 小狼がいなかった

 

 

さっきまで隣で一緒に走ってたはず

後ろを振り向こうとする

 

(振り…向くな…!)

遠くから小狼の声が

かすれて 途切れて 聞こえた

 

(おれが軍機を…引きとめてるから、さくらは早く…、皆の…逃げたところへ…)

(駄目、置いていくなんて…)

(早く!早くしないと…皆にまで…)

軍機と爆弾は、すぐそこだった

振り向かなかったが、音で分かった

 

 

涙が出た

私は走った

走って 走って

忘れそうになるぐらい

 

遠くで 爆弾の音が聞こえた

 

言いつけを 守りたくなくて

振り向いた

 

軍機が遠のいて

その場所に煙があがってて

 

(小狼!!小狼!!!)

 

急いで駆け寄った


小狼の体を抱き起こす

致命傷といえる深手だった


(小狼…!)


でも もう小狼は目を閉じていて

血は滞(とどこお)ることなくあふれ出して

 

 

 


「…思い出した?」

小狼が呼びかける。

そうだ、何らかの原因で空襲があって…

 

何の原因だったのだろう。

 

「じゃあ、あなたは…」

「この体の抜け殻…魂みたいなものって言えば分かるかな」

怖くなった。

現実世界で、こんなことが起きていただなんて。

もう、平和だった世界には戻れないの?

「…それは分からない」

思っていたことが通じた。

「もし戻れるとしても、ずっと先のことだと思う」

小狼の 『抜け殻』 も、徐々に薄くなっていく。

 

 

 


雨が降ってきた

周りの建物は音を立てて 崩れ

炎が燃え上がり

体の血が洗い流される

 

異様な光景だった

 

さくらは何度も呼びかけたが

小狼が目を開けることはもうなくて


鼓動を止めて


目を開けることは


もう2度となかった

 


もう 2度と

 

 

 

「…その後、さくらはおれを家まで運んでくれた」

『抜け殻』 は足から消えていく

 

「振り向くなって言ったけど。多分守れないだろうな、と思ってたけど」

声が、薄くなっていく。

 

「…消えちゃうの?」

 

「うん。もうこの世界に未練はないかなと思って。でも…」

 

よく聞き取れない。

耳を澄ました。

 

「さくらを、この世界に一人ぼっちにして、置いていって、ごめん。」

『抜け殻』 はほぼ消えていた。

 


「さくら、す…

 


『抜け殻』 は消えた。

 

さくらは後悔していた。

あの時 あの場所で

小狼を強引にでも一緒に走ろうとしていたら。

こんなことには…

 

 

 

 

部屋には、 『器』 だけが残った。

でも、もうここには居たくなかった。

 

 

 


小狼を部屋に置いて

さくらは外に出た

さっきよりは 空襲が酷くなかった

軍機も少ない

 

でも、もうここには居たくなかった

 

自分を追い詰めて 追い詰めて

平和に戻らない世界を 消した

 

どうやって消したのかは覚えていない

でも、強く思っていたら 消えていった

 

これからは 何もない空間で暮らそう

黒鋼さんとファイさんとモコナに

何も言わないで来てしまったけれど

私があの世界にいなかったら

多分想像はつくだろう

 


私だけ、この空間に来て

家はとりあえず消さなかった

この空間へと 一緒に連れてきた

 

私は布団の中へもぐりこんだ

このつらい気持ちがなくなればいい

やり残したことがないのを確認してから

 

自分の記憶も 消した

 

 

 

 


そうだ、またあの空間へ行こう。

あの空間なら、つらいことを忘れられる。

 

 

もう一度、この世界を消そう。

あの空間に戻れたら

あの店を探して

 

無かったら

ひたすら走ろう

 

どこまでも続く

果てない空間を

 

 

 

記憶を消して、同じ事が繰り返される

何もない空間に逃げて、声を消す

 


私は、もう戻れない

 

私は、もう進めない

 


あなたの願いは、なあに?

 

end

 

 

WITCH様から投稿して頂きましたvv
神秘的な雰囲気の小説ですね。
さくらちゃんは、どんどん逃げて、記憶までなくしてしまうので、あの出来事が繰り返されてしまいます。
虚しいようで悲しいようで、でもそれは小狼君が好きだからこそ。
そう思うとどこか暖かいようなそんな印象も受けました。
WITCH様、素敵な作品をありがとうございました!

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